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マーティン・スコセッシ「マーベル映画はテーマパーク」発言の真意を語る ─ 「新しい芸術の形」と評価も、業界や文化の現状に危機感示す

マーティン・スコセッシ
Photo by THE RIVER

映画界の巨匠監督たちがマーベル映画に批判的な言説を繰り出し、マーベル側の関係者が相次いで反応する、という出来事が連日にわたって続いている。一連の発端となったのは、『タクシードライバー』(1976)や『レイジング・ブル』(1980)、『ディパーテッド』(2006)などを手がけてきた巨匠マーティン・スコセッシ。「あれは映画じゃない」「最も近いのは、良くできたテーマパーク」「人間が他者の感情や心に訴えかけようとする映画ではない」と英国メディアにて発言し、業界ごと巻き込む物議を醸した。

もっともスコセッシの発言には、かねてよりお伝えしてきたように、マーベル映画を批判するのではなく、むしろ大手スタジオや映画館に対して警鐘を鳴らす意図があった。米Entertainment Weeklyのインタビューでは、スコセッシが「映画じゃない」発言の訂正とも取れる言葉とともに、自身の真意を丁寧に語っている。なお、このインタビューが問題の発言より先に行われたものか、のちに収録されたものかは分からない。


スコセッシが見た「ハリウッドの現在」

そもそもスコセッシがマーベル映画についてコメントするに至った背景には、自身の最新作『アイリッシュマン』が大手スタジオによる劇場公開作品ではなく、Netflixによるストリーミング配信を前提とした作品として製作されたことがある。ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシという大御所俳優が揃い、スコセッシが得意の“ギャング映画”に回帰するという、映画ファンにとっては一大事件ともいうべき作品なのだが、あらゆる事情から、本作をハリウッドのスタジオが引き受けることはなかった。

かつて、スコセッシは「すでに私たちには(映画界に)十分な居場所がありません。あらゆる理由から、この映画を作る余地はなかった」と発言。今回のインタビューでも、『アイリッシュマン』について「昔ながらのスタジオでは作ることさえできなかった」作品だと語っている。映画業界の大手スタジオを「昔ながら」と呼ぶスコセッシにとって、もはや最先端の“スタジオ”はNetflixということなのだろう。

「(昔ながらのスタジオは)できるだけたくさんお金を稼ぐことを目的としています。それ自体は当然のことですが。ただ、それが通常の域を超えてしまったように思うのです。(『アイリッシュマン』のような)この手の映画は、居場所が本当に少なくなってしまった。“ああ、インディペンデント映画を作るんですね”と言われるんですよ。それは人々を、芸術を、(中心ではなく)端っこに追い込むことだと思います。

大ヒット映画、大作コミック映画は、“テーマパーク映画”です。多くの作品は、あらゆるレベルで非常によく出来ている。映画の新しい形、あるいは完全に新しい芸術の形式ですね。けれども私たちは、そうじゃない映画を見せる映画館がいくつもあってほしい。映画館にそのつもりがなくても、まだフィルムメーカーにはストリーミングという可能性があります。けれども、ある面では、それは人々の体験を変えることになります。2~3年以内にそうなるでしょう。イタリアやフランスから優れた作り手がやってきても、映画をシリーズ化しなければならなくなるか、あるいは作れなくなるか、ということになる。」

スコセッシは以前にも、マーベル映画のような“テーマパーク映画”は「また別物の体験」であり、「好きかどうかにかかわらず、我々はそちらに侵されてはいけない」と語っていた。スコセッシはマーベルという固有名詞を挙げたことで大きな物議を醸していたが、発言を読み解いていけば、それが必ずしもマーベル・シネマティック・ユニバース作品や、そもそもマーベル映画に限ったものでないことは明らかだろう。ハリウッドの大手スタジオが送り出している大作映画――それこそ、スコセッシの言葉を借りれば“テーマパーク映画”だ――の全体的な傾向をスコセッシは問題にしているのであり、たとえば実際にマーベル映画が劇場公開作品の何割を占めているか、といったことを問題にしてはいないのである。

ただし、スコセッシがこうした主張を繰り出す際に、マーベル映画を槍玉に挙げるように「あれは映画じゃない」と述べたことが正しかったかどうかは分からない。問題の発言そのものは、スコセッシの意図そのものにさえ結局は忠実でなかったように思われるほか、その真意を伝える上ではあまりにも無防備だっただろう。しかし、スコセッシがこうした言葉を使わなければ、映画業界もろとも巻き込むほどの物議を醸し、ヒーロー映画のファンがスコセッシの言葉に耳を傾け、その発言の意図が世界各国の言語に翻訳されることもなかったのではないか。

スコセッシが考える「観客と文化の現在」

現在、スコセッシは『アイリッシュマン』の配信開始を2019年11月27日に控えて、「このような映画が、ひとりの観客の、映画の受け入れ方を変えることに繋がることを願っています」とも話した。そこにはスコセッシ自身の、現在の観客たちのありように対する考え方があるようだ。彼の言葉は、スコセッシの“問題発言”に多くの人々がすぐさま反応したことにもそのまま通じているように思われる。

「(『アイリッシュマン』は)観るのに時間がかかる作品です[編注:上映時間209分]。今は、すべてが速く、もっと速く、さらに速く、という時代です。誰もがほんの短い言葉に文句を言う。けれども、みなさんがそういう言葉を読む時、その言葉は文脈の中にあるものだし、時には何かが変化することもあるわけですよ。

これは映画の危機というだけではなく、我々の文化の、我々の国の、そして子どもたちがどう生きていくのかということの危機です。その場が良ければいい、ということになってしまう。手間のかかる作品を観るべきだとは言いません。けれども、2日経っても理解できないかもしれないような、別のレイヤーを持っているものにオープンになれたなら、我々がそのお手伝いをすることができたなら、それは面白いんじゃないかと思うんです。」

『アイリッシュマン』は、実在のアウトローであるジミー・ホッファらの視点を通してアメリカの現代史を紐解いていく作品だ。スコセッシいわく、ジミー・ホッファは「かつてはよく知られていたけれども、時の流れに消されてしまった」存在。ローマ映画祭におけるスコセッシの言葉は、一連の発言を、そして『アイリッシュマン』という作品について知る上でも大いに役立つはずだ。

「私たちは、そういう(ジミー・ホッファが忘れられた)世界に生きています。我々の子どもたちは、デバイスを通じて、彼らが何をしていたかを知ることがない。現実の認識のしかたが違うし、歴史とはこのようなものだという考え方さえも違ってきています。今後、第二次世界大戦はどのように理解されていくんでしょうか。ベトナム戦争は、アフガニスタン戦争は、そういったものの全ては、どのように理解されていくのでしょう。それらは断片的に理解されていて、もはや歴史の連続性というものが存在しないように思えるんです。」

ちなみにマーベル映画に対するスコセッシの発言が話題となった際、アイアンマン役のロバート・ダウニー・Jr.は「スコセッシは(マーベル映画に)嫉妬なんかしませんよ」「本気でスコセッシがマーベル映画に怒ってると思ってるんですか?」と述べていた。ここにきて、ロバートの言葉が意味していたことも少しずつ明らかになってきたように思われる。

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Sources: EW, THR

Writer

稲垣 貴俊
稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

THE RIVER編集部。「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。国内舞台作品の執筆・創作にも携わっています。ビリー・アイリッシュのライブに行きたい。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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