「SHOGUN 将軍」は日本と世界を変えてしまう、本気のハリウッド戦国ドラマついに

生まれてはじめての感激を、筆者は「SHOGUN 将軍」に覚えた。日本を、そして世界を永遠に変えてしまうに違いない。このドラマシリーズこそが、まさしく“天下分け目”となる。
これまでのいかなる和風ハリウッド作品も、あるいは国内の民放ドラマ、大河ドラマや劇場映画も決して辿り着くことのできなかった、完全無欠たる“真髄”。ハリウッドの本気と日本の本気が、今ここに刃を交え、散る火花煌めく。全十話、一分の隙もなし。「戦国時代版ゲーム・オブ・スローンズ」との下馬評すらも一太刀に斬り落とす。
本作「SHOGUN 将軍」は、徳川家康と石田三成の陣営が激しく戦った「関ヶ原の戦い」をモデルにJ・クラベルが1975年に書いた小説『将軍』を、真田広之プロデュースのもと新たにドラマ化した渾身作。家康らにインスパイアされたキャラクターたちが登場するが、あくまでも物語はフィクションだ。歴史ファンが見れば史実との比較を楽しめるし、そうでない視聴者も置いていかれることがない。絶妙な塩梅である。
そのスケールや作り込みは海外ドラマ的であり、しかし繰り広げられる物語は本気の戦国ドラマである。「ゲーム・オブ・スローンズ」のような映画級の作品を好む目の肥えた海外ドラマファンはもちろん、日本のドラマや邦画のファンも夢中になる。
これまで筆者は日本の作品をほとんど観ることがなかったが、本作「SHOGUN 将軍」で凌ぎを削る一流の役者陣の熱演を目の当たりにし、平伏する想いとなった。なぜ今まで知らずにいることができたのか?ここ日本に、ここまでの、熱を帯びた才能が居たことを?彼らが、彼女らが、「SHOGUN 将軍」と共に、胸一杯の誇りと共に、いま世界へ向けて出立する。間もなく、あなたはその証人となる。

ハリウッドが初めて向き合った、本気の日本
私たち日本の観客は、これまで我が国の文化や風習、風景が、歪な形でハリウッド作品に登場する様を幾度となく目にしてきた。ハリウッド作品の中の日本人は、古(いにしえ)とハイテクの雑煮のような街に暮らし、未だに帯刀しているか、ニンジャ・アサシンの末裔であるか、あるいはヤクザのトライブであった。日本人の役がアジア人に獲られれば、彼らはカタゴトを話した。
それは、国際的な目線による誇張された日本であり、日本の言葉や文化は他のアジア諸国と区別されていない、できていないことの表れだった。時に“トンデモジャパン”と呼ばれるこの大改変は、いつしか娯楽的に受け止めるように部分もあったろう。あるいは、受け止めるしかなかった、と言うべきか。
なんとかせねば、と考えていたのは、『ラストサムライ』(2003)から『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)『ブレット・トレイン』(2022)など、日本が登場するハリウッド作品に幾度となく出演を重ねてきた真田広之も同じであった。いつも孤軍奮闘して日本描写への助言や修正を試みてきたという真田は、しかしながら巨大な製作体制の中にあって、「イチ俳優としてできる、言えることの限界を常々感じていた」という。
そして時は来た──。「SHOGUN 将軍」で、ついに真田はプロデューサーとしての肩書きを得た。もはや遠慮することもなく物申せる、公式な役職。本作のような大規模予算のハリウッド作品で、日本人が主演とプロデューサーを務めるのは歴史上はじめてのことである。

世界が夢見たサムライの国が、ハリウッドのスケール力と技術、そして半世紀にわたって時代劇に出続けた真田広之の徹底的な監修によって、歴史上初めて映像化された。すみずみまで、鬼気迫るものがある。真田は並々ならぬ責任感と共に、監督よりも早く現場入りし、日本人キャスト全員のセリフ一語一句にも妥協を許さず目を通し、エキストラの所作や衣装、そして背景に聞こえる声の一節に至るまで、すべてを考証した。足音の聞こえ方さえも監修したという。階級の高い姫の足音には、それに相応しい足音があるのだと、サウンドミックスの最終日まで、自ら粘って戦った。本編を観れば誰もが実感できることだが、このドラマ、すべての細部に魂が宿っている。
外国のクルーたちは、初めて日本側が本気で意見を貫く製作プロセスを経て、「どんどん謙虚に」「最終的にはほとんどひざまずくことに」なったという。共同製作、脚本、エクゼクティブ・プロデューサーを務めたジャスティン・マークスが言うには、彼らは「ずっと自分たちの文化でそれ(日本の描き方)について間違っていた」「長年にわたってどれほど間違ったことをしてきたか」と幾度となく認めることになり、「今回はそれを正しくやるんだ」と襟を正したという。

製作が進むにつれて「SHOGUN 将軍」海外クルーたちは、日本人による日本の“所作”は、見様見真似では到底再現の追い付かないものであることに気付かされていった。例えば、ムーブメント・アドバイザーとして参加したアキコ・コバヤシが、女官役としてエキストラ出演した場面。彼女が主要人物の後ろで“すすすっ”と歩み入る、その所作。「そういったことはごまかせません。教えることはできないんです。アキコが歌舞伎を通して、その文化の中で動きを学んだ期間(同じ時間)を、その文化の中で過ごす以外に、いくら訓練しても無理なんです」(ジョナサン・バン・トゥレケン監督)。
あるいは、石堂(平岳大)が卓に座るシーン。着座する前に袖に手を入れる些細な所作を見るや、「そのレベルのディティールを役者に教えるにはどうしたらいいか教えてほしい」と、海外クルーは迫ったという。日本人さえも改めて意識したことがなかったような、潜在的な“日本らしさ”の表現に、東西融合のチームが一蓮托生し、史上初めて真剣に向き合った。
あたりまえのことが、あたりまえとして尊重された。日本人のキャラクターは全て日本人キャストが演じており、劇中の言語はほとんど日本語で話されるのだ。この手の作品にありがちな、なぜか日本人の誰もかれもがスラスラと英語を話すという奇妙な現象がない。ほとんどの場面において、英語を話す日本人は基本的に、劇中で外国語を14年学んでいるという鞠子(アンナ・サワイ)のみ。あとは、“史上初の外国人侍”をモデルにしたジョン・ブラックソーン(コスモ・ジャーヴィス)ら外国人キャラクターくらいだ。日本人はみな、どの場面でも堂々と日本語を話す。そのためこのドラマでは、七割ほどが日本語で展開される。

「天下分け目の戦い」を描く、魂震える戦国ドラマ
時は1600年、“天下分け目”関ヶ原の戦い直前。太閤の死から1年、大坂では五人の大老が権勢を張り合っていた。後の征夷大将軍である徳川家康をモデルとした主人公、吉井虎永は、大老評議にかけられるため大坂城へと招集される。五大老のひとり石堂和成は、関東で勢力を伸ばす虎永を目の敵としていた。大老評議会は、事実無根の疑惑を虎永にかけて排除を目論んでいる。石堂は、その名や設定から分かるように、石田三成に基づいている。
その頃。英国人航海士ジョン・ブラックソーンらは決死の漂流の末、日本に漂着する。未開の地・日本の所有権を国に持ち帰ろうと考えていたジョンだが、そこで彼らを待っていたのは、鎧甲冑に身を纏い、無礼者の首は構わず刃で斬り落とす、恐るべき武士たちによる封建社会だった。
領主たちはジョンを“蛮人”と呼び卑劣に扱うが、虎永はこの青い目をした男が、天下の潮目を変えると踏んだ。彼らの船には多量の鉄砲や大筒があり、また異国で用いられている未知の戦術も得られる。さらにジョンは、いま世界ではカトリック国とプロテスタント国に分かれた対立があり、これまで友と思われていたポルトガル人が密かに日本侵略を企てているというではないか。虎永はこの異国人を見込み、“按針(あんじん)”との和名、さらに旗本(側近)としての身分も与えるようになる。こちらの側につければ、カトリックも含まれる五大老を掻き乱すこともできる……。

侍が闊歩する戦国時代に異国人が混じる様は、真田も出演した『ラスト サムライ』のようであり、彼らが日本の慣わしに運命を弄ばれるのはマーティン・スコセッシの『沈黙 -サイレンス-』(2016)のようでもある。また、王座をめぐる陰謀や派閥合戦が描かれる壮大な群像劇は「ゲーム・オブ・スローンズ」(2011 – 2019)のような一大絵巻でもある。
中心となるのは三人の視点だ。虎永、鞠子、そして按針。「生と死」や「宿命」という題材が、彼ら三者の間でまるで違う姿形に見える。
関東の領主である虎永は幼き頃から戦場を駆け抜け、死と戯れて生きてきた。幼少期は人質として育ったことなど、背景は徳川家康をよく踏襲しているが、真田の演じる虎永は、肥満だったとされる家康とはおそらく違って凛々しく鋭い。とにかく彼が画面に現れるたび、観ているほうは自然と背筋が伸びる。

鞠子のモチーフは細川ガラシャで、史実の彼女は織田信長に謀反を起こした明智光秀の娘だ。波瀾万丈を生き、悲劇的な最期に呑まれたキリシタンとして知られる。『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』(2021)で世界的注目を浴びたアンナ・サワイが、日本の気品を堂々と世界に示す。

そして按針は、西洋の視点から侍の国を見聞し、帰国を夢見ながらなんとか戦乱を生き延びようとする。日本の視聴者と海外の視聴者は、彼を通じて物事の見方や考え方を交換する。理不尽な仕打ちに悪態をついたり、日本の美徳に畏怖したりと、宿命に振り回される演技は天晴だ。演じるコスモ・ジャーヴィスは本作を機にブレイクするだろう。次作は『レインマン』(1988)名匠監督の新作ギャング映画で、ロバート・デ・ニーロと共演する。

戦や処刑、切腹が日常にあり、常に死の香りが漂う戦国の狂乱を、異国生まれの按針は理解ができない。自分でも知らぬうちに、大いなる宿命に駆り立てられてゆくこのイギリス人は、言語や知識、戦術、価値観、生き方、そして死に方の違いを、日本人とぶつけ合う。自然、そこには信頼や絆といった言葉を超えた関係が生じてくるわけだが、しかし決して、御涙頂戴の友情物語にも、日本人女性との安いメロドラマにもならない。
映像の意匠についても触れたい。役者の配置についてよりも、むしろ余白の活かし方に意図が込められたような、上品なフレーミング。照明は『ゴッドファーザー』の様式美に倣い、バウンスライトを駆使した自然な表現を貫いたそうだ。きめ細やかなところまで凡事徹底のセットと、CGを多用できるハリウッド作品ならではの壮大な風景描写。「ゲーム・オブ・スローンズ」をはじめて観た時、無作為な場面で一時停止しても必ずポストカードにできるほど美しい絵作りだと感嘆したことを覚えているが、「SHOGUN 将軍」はまさにその日本版と言えよう。
2024年。日本と世界は、これから「SHOGUN 将軍」前・後に決定的に分けられることになろう。「今後、こういった(日本の)題材を海外で撮る場合、これをとにかく最低ラインにしてもらいたい」とは、座長・真田の言葉である。「外国の文化を扱うのなら、ここまできちんとリスペクトしなければ、もうこの時代では恥ずかしいよねっていうものにしていきたい」「その大きな布石は打てたんじゃないかなっていう充実感はありますね」。
海外プレス関係を迎えた第1・2話のスクリーニングでは上映後に絶賛の拍手が巻き起こり、これには真田も驚かされたという。後にRotten Tomatoesでのレビュースコアが解禁されると、満場一致の絶賛で100%の評価となった。
これは天下を変える。つまり「SHOGUN 将軍」を視聴することとは、天下の変わり目を見るということである。単なるドラマシリーズではなく、間違いなく後の歴史で語られる出来事となる。
エグゼクティブ・プロデューサーを務めるのは、『トップガン マーヴェリック』(2022)の原案を務めたジャスティン・マークス。浅野忠信、二階堂ふみ、西岡德馬、平岳大ら国内外で活躍する日本人俳優と共に、エピソード監督には「ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪」(2022-)「ウエストワールド」(2016-2022)などを手がける実力派たちが集った。

「SHOGUN 将軍」は2024年2月27日(火)からディズニープラスの「スター」独占配信。全てを欺き、天下を獲れ。
Supported by ウォルト・ディズニー・ジャパン