スピルバーグが生んだ、7組の「双子の映画」とは ― 『レディ・プレイヤー1』『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』同時期公開の理由

『レディ・プレイヤー1』と『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』が同じ時期に日本の映画館で上映されている(2018年4月30日時点)。しかし、予備知識が何もない人なら、この2本が同じ監督による映画だと気がつかないのではないだろうか。かたや、オンラインゲーム上の壮大なバトルムービー、かたや、アメリカ政府の闇を追った社会派サスペンスである。映画ファンならヤスヌ・カミンスキーの特徴的なカメラワークに共通項を見出すかもしれない。それでも、まったく異なる観客層を虜にしてしまうスティーヴン・スピルバーグ監督の超絶技巧に、改めて感嘆せざるをえないだろう。
しかし、『レディ・プレイヤー1』と『ペンタゴン・ペーパーズ』の構造自体はよく似ている。いずれも社会に隠された重大な「機密」を探し、「巨大権力」に立ち向かう物語である。また、正義を遂行しているはずの主人公側が、政府や企業の前では「違法者」として扱われてしまうプロットも同じだ。2作品が全米公開されたとき、間隔はわずかに3カ月。もちろん、天才スピルバーグは多作な監督なので、作品の公開時期が重なるのは珍しいことではない。その点を踏まえても、『レディ・プレイヤー1』の仮想現実と、『ペンタゴン・ペーパーズ』の70年代のアメリカが、まるで合わせ鏡のように観客へと迫ってくるのは興味深い。

スピルバーグ作品、公開時期で7つのペアに
スピルバーグのフィルモグラフィーを振り返ったとき、短い間隔で公開された2作品をペアにしていくと、より彼の傾向が浮き彫りになっていく(すべて全米公開時)。
1989年5月公開『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』
1989年12月公開『オールウェイズ』
1993年6月公開『ジュラシック・パーク』
1993年12月公開『シンドラーのリスト』
1997年5月公開『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』
1997年12月公開『アミスタッド』
2002年6月公開『マイノリティ・リポート』
2002年12月公開『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
2005年6月公開『宇宙戦争』
2005年12月公開『ミュンヘン』
2011年12月公開『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』
2011年12月公開『戦火の馬』
単に「夏休み映画で娯楽作を撮り、年末にアカデミー賞狙いのシリアスな作品を撮り続けている」との穿った見方もできる。そして、決して間違った意見ではないのだろう。しかし、それだけで終わらせられないほど、『レディ・プレイヤー1』&『ペンタゴン・ペーパーズ』を含めた7組のペアの顔ぶれは面白い。詳しく共通項を考えていくことにしよう。
2本で同じテーマを持つスピルバーグ作品
『最後の聖戦』と『オールウェイズ』は「年長者からの導き」という点で共通している。ちなみに、「父親(師匠)との複雑な関係」も、スピルバーグ作品に頻出しているテーマだ。
『ジュラシック・パーク』と『シンドラーのリスト』は作風こそ違えど、映画史の暴力表現を大きく更新した2作品である。また、1997年にも「夏にジュラシックシリーズを公開し、年末に人種問題を提起する」という構図が再現された。さすがに、このデジャブは意図的ではないだろうが、スピルバーグにとって「怪獣(恐竜)」と「人種問題」がいかに重要なモチーフなのかが理解できる。
『マイノリティ・リポート』と『キャッチ・ミー~』は分かりやすい。登場人物の「アイデンティティ・クライシス(自己同一性の喪失)」がテーマの2作品だ。
『宇宙戦争』と『ミュンヘン』はよりストレートな物語で、テロリズムの脅威を描いている。『宇宙戦争』で、トム・クルーズが異星人のポッドから落ちてきた「人間の灰」を被るシーンが、9.11のワールドトレードセンター崩壊になぞらえたものであることは有名な話だ。
2011年の2本はスピルバーグにとって念願の仕事だった。『タンタンの冒険』の映像化はスピルバーグが長年温めてきた企画である。そして、『戦火の馬』のように「馬」を主役とした作品は、アメリカ人監督にとっての到達点といえよう。西部劇、戦争映画、メロドラマなど、ハリウッド黄金期へのオマージュが詰め込まれた『戦火の馬』は、見過ごされがちな1本ながらスピルバーグ作品の集大成である。
同世代の大物監督とスピルバーグの違い
どうして、スピルバーグ作品は双子のように、同一のテーマを持った作品が立て続けに公開されるのか?
さまざまな理由が考えられるが、重要なのはスピルバーグが徹底して「現役」にこだわる映画監督だからだろう。スピルバーグと同世代で交流のある大物映画監督のほとんどは、現在では映画製作のペースを減らしている。一方で、彼らの近作では「作家性」とでもいうべき、原点的なテーマが強調されてきた。
彼らなりに「老い」への意識もあるのだろう。残された時間が少ないからこそ、1本の映画に精力を注ぎ込むような傾向が顕著になっているのだ。ブライアン・デ・パルマの『パッション』(2012)、マーティン・スコセッシの『沈黙-サイレンス-』(2016)などはそれぞれの作家性が凝縮された傑作である。そして、ジョージ・ルーカスやジェームズ・キャメロンにいたっては長らくメガホンを握っていない。
しかし、スティーヴン・スピルバーグは徹底して現場にこだわり続ける監督だ。『ペンタゴン・ペーパーズ』で現場を共にしたメリル・ストリープの「撮影が即興的」という発言からも分かるように、スピルバーグは極めて仕事が早い。これは「カメラテスト嫌い」で知られるクリント・イーストウッドなど、量産型監督の絶対条件である。だからこそ、スピルバーグはプロデュース作品を何本も抱えた状態で自ら現場に立ち、しかも「撮影休止中に別の映画を完成させてしまう」といった離れ業をやり遂げてしまうのだろう。

『レディ・プレイヤー1』のラストに宿る「らしさ」
こうした仕事ぶりを続けている限り、スピルバーグの現実社会に対するアンテナは研ぎ澄まされていく。デ・パルマやスコセッシが内的世界へと潜っていくのに対し(もちろん、それが悪いことではない)、スピルバーグの目は常に外的世界へと向けられている。だから、リアルタイムの社会的な変革や激動に反応しながら、柔軟に映画作りを進めていけるのだ。
愛国法の制定直後に『マイノリティ・リポート』が公開されたり、エドワード・スノーデンによるアメリカ国家安全保障局の告発事件の後で『ブリッジ・オブ・スパイ』(2015)が公開されたりしたのは偶然ではない。ちなみに、社会派で知られているオリバー・ストーンも常にアメリカの現在を映画にしてきたが、スピルバーグの方が反応速度ははるかに敏感だ。
言うまでもなく、映画とは「時事問題への反応が早かったからすごい」ものではない。それでも、スピルバーグがどれだけ広い視野で世の中を見つめているかの指針にはなるだろう。オタク系映画監督の最高峰として名前が挙がるスピルバーグだが、彼はオタクとして生きながらも世界とつながり続けている。そう、『レディ・プレイヤー1』のラストで定められた「ルール」は、いかにも社交的なオタクであるスピルバーグらしい提案だと思ってしまうのだ。
映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』公式サイト:http://pentagonpapers-movie.jp/
映画『レディ・プレイヤー1』公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/readyplayerone/
Eyecatch Image: 『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』©Twentieth Century Fox Film Corporation and Storyteller Distribution Co., LLC.