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【ネタバレ解説】『スプリット』スリラー・ホラーというジャンルの背後に隠された裏テーマとは

スプリット
(C)2017 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved.

5月12日(金)に公開された、M.ナイト・シャマラン監督による待望の新作『スピリット』をご鑑賞された方は、その驚きの結末に思わず開いた口が閉まらなかったはず。毎度“どんでん返し”に定評があると謳われる監督だが、今作でもその才能を思う存分に発揮し、まさに“復帰作”とファンの間で賞賛されている。

さて、今作における“どんでん返し”だが、それはあのラストシーンであったのだろうか?私には、あの人物の登場以外にこの映画のテーマ性における“どんでん返し”があったように思えるのだ。

【注意】

この記事には、映画『スプリット』に関する重大なネタバレ内容が含まれています。

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ケヴィンの患う解離性同一障害と、生み出された23人格

そもそも、この映画における誘拐犯であるケヴィンについて考えてみたい。彼は解離性同一障害(DID)を患っていて、元となるケヴィンの他に23人もの人格を有している。

この解離性同一障害とは、所謂“多重人格”として知られており、原因は主に幼少期のトラウマだといわれている。

この病に関して知識のない人が、それを目の当たりにすれば思わず演技だと疑ってしまうだろう。映画の中でも、誘拐された3人組のうちの2人が「自分たちを怖がらせているだけだ」と怯えていた。しかし、今作の主人公であるアニャ・テイラー・ジョイ演じるケイシーは「どうやら演技ではなさそうだ」という事に勘づいていた。

「信じる」という精神的な行為が、肉体に影響を与える

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この解離性同一障害だが、劇中にもケヴィンの主治医であるフレッシャー先生のテレビ電話学会でのシーンで挙げられている患者の症例は全て実在のものに基づいていると、監督は語っている。ある一人格は失明していながらも、他の人格に切り替われば再び目が見える。また、ある一人格が持っているアレルギーを他の人格は持っていないということ。

これらから提示されるのは、「潜在意識が信じるものが、身体的にそれを可能とさせる」ということ。コレステロールの高い人格は「自分はコレステロールが高い」と信じている。しかし、母体となっている元人格、又は他人格はそんな意識を全く持っていないためその症例を持っていないのだ。

シャマラン監督はこの定義を用いて、簡潔に述べると今作で「人は信じれば何にでもなれる/できる」というメッセージを我々に送っているのではないだろうか。

これは、ヒロインのケイシーというキャラクター設定にも繋がってくる。

ケイシーという少女

ここで今作の主人公であるケイシーについて振り返ってみたい。彼女はクラスメイトが善かれと思って誕生日会に呼んだ、一匹狼だ。どうやら普段、学校で突然怒って叫んだりする問題児のようだ。しかし、彼女は誘拐されたものの中で最も聡明な少女である。何故そんな子が問題児で除け者になっていたのか?

それは彼女自身が独りになりたいと望んで“わざと”していた事だったのだ。誘拐された後も、皆一緒に力を合わせましょうよと、普段から別に友達ってわけでもないのにこんな時だけ仲間面した2人の少女に対して、「leave me alone.(一人にさせて)」と意思を貫いた辺、相当かっこいい。

そして一番最初にデニスが潔癖性であるのを見抜いて、連れて行かれそうになった友人に「おしっこをかけろ」とアドバイスをした、その洞察力の高さも素晴らしい。これは恐らく、彼女が幼少期に父と叔父に連れられて森にハントをしに行っていた時に培われたものだろう。その成果はクライマックスであるビーストとの対決での銃の扱いにも表れていた。

だが、彼女も決して強いわけではないのだ。気転のきく彼女でさえ、最初デニスが車に乗ってきた時誰よりも異変に気づいたのに涙を流して竦むだけだった。得体が知れず自分にとって危害のある存在だと感じたデニスを、ずっと信じていたのに変貌した叔父と重ねて見たのではないだろうか。

デニス(23人格のうちの一人)が女子高生を誘拐したわけ

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さて、そもそも論ではあるが、何故3人の女子高生は誘拐されたのか。まず誘拐したのは、ケヴィンのなかの23人格のうちの一人、デニスである。彼は潔癖性であり几帳面な性格。そして、映画の後半で我々は彼が女子高生を誘拐した真相を知ることになる。

それとは、デニスの職場に学校行事で見学に来ていたマルシアとクレアが、性に免疫のないデニスに対して自分の胸に彼の手を当てさせるといった“イタズラ”をしてからかったということ。

この出来事に対し、デニスは非常に恥をかき、弱者に対して平然と苛めをする彼女たちに復讐することを考えたのだ。

彼はその後、彼女達の日々の同行を探り、彼女らが「向上心の欠片もない堕落した人間」だと判断。そしてそれが24人格目のビーストへの「生け贄」にふさわしいと考えて、誘拐に及んだのだ。

デニスがあんなにも几帳面で神経質でありながらも、性に対して臆病ながらに興味がある事は、彼が誘拐した彼女達に「裸で踊れ」と命令した事からも伺える。

つまりだ。残念ながら、ケイシーはただ巻き込まれてしまっただけだし、あの無惨な死に方をした2人のJKは自業自得だったというわけだ。全ての事の発端や原因が彼女達にあったというのに、デニス(ケヴィン)だけが果たして“悪者”なのだろうか?

ビーストはヴィランなのか

そしてデニスと同じように、24人格目であるビーストも果たしてヴィランだったのか

もちろん、彼は凶暴であり並み外れた身体能力を以て女子高生を喰い殺しただけでなく、主治医さえも殺した。その行為自体は邪悪極まりないだろう。

しかし、ビーストが産まれた経緯は他人格のものと違う。それは演じたマカヴォイ自身も言及している。

デニスや、9歳のヘドウィグ、エレガントな女性であるパトリシア、そして映画には登場しなかった他の人格らは、元のケヴィンが感じた幼少期のトラウマによって生み出された。

だが、ビーストはケヴィン自身のトラウマによって形成されたのではなく、他人格が自分たちを守ってくれる存在を信じたことによって形成されたもの。つまり、ビーストは彼らを守り導く伝道師的な役割を担っているのだ。

実際、ビーストの生け贄となるのは「向上心がなく、弱者をいじめるもの」。弱者にとってはまさに救世主だ。

それが色濃く描かれているのが、ケイシーが殺されずに済んだシークエンスである。

生き延びたケイシー、そこで明かされた“救済”という裏テーマ

ケイシーは何故生き延びたのか。それは、ビーストとの対決によって破れた衣服の下から現れた、根性焼きや多くの傷、彼女が日常的に家庭内暴力を受けているという事実があったからだ。彼女もまた、弱者であったからなのである。

ビーストはそんな彼女に対して、

“壊れは進化の証し。

純粋な心であることを喜べ。”

と、弱者には価値があると存在を肯定し、賛美した。このシーンのビースト、ぶっちゃけ『シャイニング』のジョニーばりに強烈な表情ではあるものの、悪い奴じゃない気がする。

その後、キャシーらが囚われていた場所が動物園の地下だったことが明かされる。その際ロングショットで館内にあるライオンの像が映る。弱ったライオンを守るかのように佇む勇ましいライオンの像。まさに、ビーストとはこのライオンを指していたのではないだろうか。

そして、ビーストに見逃されたケイシーは足に重傷を負っているものの救出される。しかし、肉体的には救出された彼女にとって、精神的に救出される事が重要なのだ。救急車に運び込まれて手当を受けたり、パトカーの中に居ることだけでは彼女が本質的に求めている精神の救いを得ることはできない。

警察官は彼女が日々虐待を受けている事に勿論気づかず、その張本人である叔父と連絡がとれて迎えに来てもらっていると告げる。しかし、ケイシーはパトカーの中から出ようとしない。その様子に、ようやく警察官は異変を悟るのである。

今まで幾度となくこのような、人にSOSを出すチャンスは合ったはず。それが出来なかったから、ずっと酷い目に遭っていた。しかし、今の彼女にはそれを出す勇気がある。その勇気は、ビーストから授かったものなのだ。つまり、ビーストは彼女を肉体的に救出した者たちより、より深い精神面で彼女を救済したのである。

ケイシーと同じように、何かずっと心に膿みのような苦悩を抱えながら日々過ごす“弱者”の立場の者からすれば、この物語は果たして悲惨なスリラーであるのだろうか?

この映画は単なるサスペンスホラーではなく、ヒューマンドラマに近い

この映画では、解離性同一障害などの障害を持つ者たちが、そうでない所謂“正常の人”よりも、より優れた存在なのではないかということ。そして、「信じる」行為は時に精神的だけではなく肉体的にも何かを可能にしてくれること。それらのメッセージを、世間に虐げられた全ての弱者に対しておくったヒューマンドラマに近いものを感じた。

これはシャマラン監督の代表作でもある『シックス・センス』にも通じている。ラストのブルース・ウィルスの秘密が明かされるまで、サスペンス・ホラーであった映画が突如、多くの意味をもってくる。

「僕……死んだ人が見えるの…」でお馴染みの主人公コール君は、死んだ人間が見えるから友人から“異常者”扱いされ、精神科にかかっている。そしてそんな彼を救済しようとするマルコム(ブルース・ウィルス)もまた、過去のある事件のせいで心に傷を負っている。そしてそんな彼が、ラストでコール君によって救済されるのである。

『スプリット』のように、特別な医者にかかる者が登場し、傷を負ったり弱っている者を救済するというテーマは、まさにヒューマンドラマであり、シャマラン監督はサスペンス・スリラー・ホラーというテーマでそれを覆っているのだ。

ただのホラー・スリラー、そしてミステリーではない。その奥に潜められた“救済”という、まさにどんでん返しなテーマに気づいた時、我々は改めてシャマラン監督の実力を思い知らされるのであった。

そして、続編として公開が決定した『GLASS(原題)』。シャマラン監督作の『アンブレイカブル』そして今作である『スプリット』の続編である、謂わばシャマランユニバースとして展開される作品の第三弾目となる。「壊れる」事を通じて進化をしたビースト「破壊不可能」な男ダンとの対決の行方も気になるところだ。

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Writer

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ANAIS

ライター/編集者/Ellegirlオフィシャルキュレーター、たまにモデル。ヌーヴェルヴァーグと恐竜をこよなく愛するナード系ハーフです。