【解説】『サバービコン 仮面を被った街』が描く「凡庸な白人家庭」が恐怖したものとは

「やっぱり、おうちがいちばん」
映画『オズの魔法使』(1939)より主人公ドロシーの台詞
1950年代のアメリカを象徴する映画作品のひとつがミュージカル『オズの魔法使』である。戦前に公開された本作はリバイバル上映やテレビ放映を繰り返され、『風と共に去りぬ』(1939)に並ぶ「アメリカ人の心の一本」になっていく。カラー画面の鮮やかさを活かした映像や使用楽曲の完成度がアメリカ人の心を打ったのは間違いない。しかし、それ以上に、ヒロインが「虹の彼方」を目指して旅を続け、最後に「おうちがいちばん」と宣言する物語が中流層の琴線に触れたのだ。
第二次世界大戦と朝鮮戦争を終え、冷戦による東側社会との対立が激化していたアメリカの50年代。国内ではナショナリズムが高揚し、「アメリカ人としての誇り」が叫ばれるようになっていた。そして、中流以上の豊かなライフスタイルが奨励され、「リッチで知的な文明人」のイメージに近づこうとする国民が増えていく。それにともない、自動車や電化製品といった産業が猛烈な勢いで発展する。そう、中流階級にとって「おうちがいちばん」とは、単なるまじないの言葉ではなかったのである。
ジョージ・クルーニー監督『サバービコン 仮面を被った街』でも『オズの魔法使』は引用されている。しかし、冷酷な強盗たちが口にするジョークのネタとして。
黒人一家の登場で白人たちが恐れたもの
1950年代、アメリカ南部ではジム・クロウ法による人種隔離政策が一般的に行われていた。白人と黒人は居住区も、利用可能な公共施設も別。教育も職場も別。バスに乗っても、白人の座席と黒人の座席は隔てられていて当たり前。このあたりの事情は近作だと『ドリーム』(2016)に詳しい。当時のアメリカは国家が一丸となり、「アメリカ人の誇り」を形成していた。しかし、それはあくまで白人中流層にとってのアメリカに過ぎなかった。「豊かさ」から外れた低所得者層や、権利が認められていなかった有色人種は、アメリカ社会で居場所を失っていったのだ。
『サバービコン』では、自らが「アメリカ繁栄の一部」であると信じて疑わない住民たちに波紋が広がる。なんと、サバービコンに黒人のマイヤーズ家が引っ越してきた!緊急会議を開き、白人たちは口々に叫ぶ。「黒人と住みたくてここに来たんじゃない!」宣伝映像の穏やかな住人たちは見る影もない。会議は事なかれ主義のまま終わるものの、それで白人たちは納得するはずもなく、マイヤーズ家への嫌がらせが始まる。モンゴメリーで「バス・ボイコット運動」が起こり、公民権運動が拡大していくのが1955年だが、サバービコンの倫理観はどう見てもそれ以前である。設定が1955年よりも前なのか、それとも、公民権運動など最初から気にも留めていない街なのか…。
サバービコンの住人たちはどうして、黒人一家に不寛容であり続けるのだろう?サバービコンは決して安価な住宅街ではない。知識も教養も収入もあるはずの白人たちが、人種差別へ積極的に加担していく姿は怒りを通り越して哀れですらある。この描写を、「そういう時代だった」で片付けられるのかもしれない。しかし、彼らは恐怖していたはずだ。被差別者と同じ場所に住み、「成功者」であるはずだった自らの生活レベルが脅かされることに。
- <
- 1
- 2