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【コラム:UKカルチャー難民の告白】『T2 トレインスポッティング』は、30代以上にとってのホラーである

2016年8月、大阪で”Born Slippy”を聴いた

20168月。自分は舞洲スポーツアイランドに来ていた。サマーソニック大阪の二日目に参加するためだ。夕刻になり、アルコールを買い込んでメインステージへと向かう。丁度ALESSOがクライマックスを迎えているところだった。響き渡る“HEROES”の調べ。天を仰いで踊り狂う若者たち。何もかもが最悪だ。俺はこの後、本当の音楽を聴きにきたんだ。

悪夢のようなステージが終わり、前方に陣取る。セットチェンジの間、ひたすらアルコールを流し込む。トイレのことなど考えない。どうせ踊っているうちに小便は汗になって流れていくだろう。

そうやって始まったUNDERWORLDのステージ。音は古いし(午前に見た関西ローカルアイドルのほうがまだ同時代性があった)、カール・ハイドのダンスは若い頃ほどのキレもないし、なのにずっと涙が出てきた。そしてラスト、遂にあの鐘の音のようなフレーズが鳴り響く。“Born Slippy”。『トレインスポッティング』(’96)を初めて見た20年前から、変わらず胸に刻まれてきたアンセム。誰も彼もが汗だくで踊っている。笑顔じゃない観客なんて一人もいない。これが俺達の青春だ。俺達は世界で一番素晴らしい夏を過ごしているんだ。

そこで自分は恐ろしいことに気づいてしまった。

見渡す限り、若い観客が見つからないということに。 

『トレインスポッティング』がファッションアイコンだった時代

(c) Channel Four Television Corporation MCMXCVC
(c) Channel Four Television Corporation MCMXCVC

T2 トレインスポッティング』を見終えたとき、すぐに連想したのは去年の夏の出来事だった。あのいたたまれなさを、気まずさを、自分は一生忘れない。『トレインスポッティング』や“Born Slippy”から20年、自分はいつの間にかそれと気づかぬままロートルの仲間入りを果たしていた。その事実を突きつけられた記念すべき一日としてUNDERWORLDのステージは記憶に刻まれていくだろう。ALESSOで踊り狂っていた半裸の女の子達は見事に消え去り、ビール腹の男性と日焼けサロンの跡がシミになっている女性たちに囲まれている踊っていることを自覚したとき、はっきりと自分の青春は死んだ。そして、『T2 トレインスポッティング』はまさに、そんなやりきれない現実を30代以上にとってのホラーとして叩きつけてくる作品である。おそらく、若者達にとってはむしろコメディに近いのだろうけれども。

『T2 トレインスポッティング』は言うまでもなく映画『トレインスポッティング』の正式な続編である。そして『トレインスポッティング』は90年代後期からゼロ年代初頭において、ここ日本でも莫大な影響力を持っていた。ブリット・ポップだとかイギリス映画ブームだとかブレア政権だとかとの関連性は散々誰かがどこかで書いてきたので今更書くまい。ただ、実感として同世代でUNDERWORLDPULPや『007』シリーズが好きな人間がいれば、まず間違いなく『トレインスポッティング』の影響である。大学時代、坊主頭にしている奴がいれば、松本人志ではなくレントン(ユアン・マクレガー)の影響だった。『トレインスポッティング』は我々世代にとってはただの映画ではなくファッションアイコンであり、思想だったのである。かくいう自分も、当時所有していた古着の大半は「トレスポっぽいもの」を意識して購入していた。

(c) Channel Four Television Corporation MCMXCVC
(c) Channel Four Television Corporation MCMXCVC

その後、ゼロ年代を通じていかにUKのポップカルチャーが去勢され、つまらなくなっていったかも省略する。しかし、『トレスポ』を通じてUKがポップカルチャーの最先端だと洗脳されてきた我々は面食らった。ロックミュージックにせよ、完全にUKUSの後塵を拝むようになり、我々の手元には誰も聴かなくなったUKバンドのCDだけが残された。ゼロ年代以後、Coldplayは好きになろうにもあまりにもルックスがダサすぎ、The Libertinesはキザったらしすぎ、The HorrorsKasabianを除けば、ファッションと音楽性を両立させてくれたUKバンドなど皆無だった(今では信じられないが、デビュー当時はArctic Monkeysでさえ「おぼこさ」がハンパなかった)。 

やがて『トレスポ』監督であるダニー・ボイルはアカデミー賞監督となり、オリンピック開会式を手がけるほどの偉人となった。アカデミー賞受賞作『スラムドッグ$ミリオネア』(’08)のスコアは完全なるインド音楽であった。

我々行き場を無くしたUKカルチャー難民は、音楽メディアがこぞって「今ニューヨークが熱い」と宣言し、映画メディアが『ハリー・ポッター』やら『英国王のスピーチ』やらに合わせて英国俳優特集を組む度に肩身の狭い思いをし続けた。誰もがUKを悪く言っているように見えた。完全なる被害妄想を抱えながら、歳月は過ぎた。 

UKカルチャー難民の息の根を止める『T2 トレインスポッティング』

UKカルチャー難民達が『T2 トレインスポッティング』に何を期待していたかが、これで分かっていただけるだろう。我々は20年越しにUKカルチャーの再興を求めていた。これはクーデターだったのである。どんなに虐げられようとも、我々には『トレスポ』続編という最高のカードが残されていた。今こそ、世界中にスマートでクールなUKポップカルチャーを知らしめよ! 

トレインスポッティング2

『T2 トレインスポッティング』の冒頭15分間はUKカルチャー難民にとって拷問のごとき時間が流れていった。設定は前作の20年後。小説版『T2 トレインスポッティング』とは別の映画版オリジナルストーリーである。若い頃は「あんたと同じ人生が楽しみだ」と嘯いたレントンはスポーツジムで心臓発作を起こす。ベグビーは刑務所で再審請求を却下され、サイモンは相変わらず女と一緒にケチな犯罪に手を染めている。予想通り最悪なのはスパッドだ。離婚、解雇、そして自殺未遂。「未来を選べ」と言っていた割に、あまりにも痛ましい主人公たちの未来を延々と見せられる。

そんな中、年寄りの冷や水とでも言うべき展開が待ち受けていた。レントンとサイモンは結託し、エディンバラに娼館を作ろうとするのだ。金のためか?スリルのためか?いや、本当の理由は中年の危機を克服するためだろう。彼らは老いを受け入れることができず、若い頃と同じような反社会的行為に走る。当然、止めていたはずのドラッグにも手を出してしまう。

レントンとサイモンは計画資金として、プロテスタント団体のパーティーに顔を出し、スリを働く。現実を受け入れられずに少数派で集まって傷を慰めあっている彼らは、レントンたちの映し鏡でもある。もっといえば、我々UKカルチャー難民の姿でもあった。

暴力とセックスに生きたベグビーでさえも不能に苦しみ、バイアグラをくすねる。セックスができないことが辛いのではない。セックスができない自分が腹立たしいのである。トイレでバイアグラを落っことすベグビーを目撃し、『トレスポ』の栄光を期待したUKカルチャー難民の夢は崩れ去っていく。そう、『T2 トレインスポッティング』は全てのUKカルチャー難民=青春依存症患者の息の根を止めるために注射された劇薬だ。終わっていく若さを認められない人間へ無理やりがなりたてられた、餞の言葉なのである。

『シャロウ・グレイブ』との類似と決別

『T2 トレインスポッティング』の終盤、ダニー・ボイルの初長編作であり、ユアン・マクレガーの出世作でもあった『シャロウ・グレイブ』(’95)と同じ展開が引用される。大金を手に入れた男二人女一人のサスペンス。違うのは『シャロウ~』が若者達の物語であったのに対し、『T2 トレインスポッティング』が中年男性二人と若い娘の仲間割れだということだ。よって、『T2 トレインスポッティング』のほうが情けなく、滑稽である。偶然とは思えないストーリー展開に、世界的名匠になったダニー・ボイルもまた、老いを前に葛藤している一人なのではないかと思わされる。ラストシーン、Iggy PopLust for Life”に踊り狂うレントンの姿は、自分を去年の夏のいたたまれなさと呼び戻す。ああ、さらば青春の光よ。

この原稿の意味が分からなかった若者は、お願いだから20年後、本作を見返してほしい。笑いながら涙すること間違いなしなので。

Writer

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石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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