【レビュー】『最後のジェダイ』はいかにしてスター・ウォーズの伝説をリセットしたか ─ 「古いものは滅びるべき」

溢された聖杯
「これは”#レジスタンス:ザ・ムービー”だ」米Colliderは『最後のジェダイ』をこう例える。「勝ち目のない敵に対峙すべく立ち上がるという映画であり、ローズが言うように愛する者のための戦いなのだ。」Colliderが指摘するように、『最後のジェダイ』はスター・ウォーズにおけるスカイウォーカー物語を終焉させた。「ヒーローに血筋は関係なく、どんな人間にも偉大な能力が備わっているということを強調する映画でもあるのだ。」
この新テーマは、映画のラスト・シーンにも如実だ。悠かな空や銀河を見つめるという構図は蘇ったものの、ラスト・シーンの作法は『フォースの覚醒』で覆され、「続編で大きな展開を迎える」ことを予感させる幕引きとなった。ただし『最後のジェダイ』は、その見境無さを最後まで発揮し、フォースの能力が備わった者はレイやカイロ・レンだけでなく、銀河中の名も無き者たちも同様であるという夢を与えようとする。杯にあってこその聖杯を、全銀河系に溢してしまったのだ。
スカイウォーカーの伝説は二つの太陽と共に地平線に消え、そうして訪れた長い夜をカント・バイトの少年が見つめる。この少年は、名を“テミリ・ブラグ(Temiri Blagg)”と言う。「あの少年の正体は」「エンディングの意味は」──Comicbook.comやCinemaBlendは早速その真相に迫ろうとするが、もはや何でも良いのではないだろうか。フォース感応者は銀河のそこら中に潜在していて、新たな物語がまたどこかで始まるのだろう。もしかしたら、僕やあなたにもフォースの力が備わっているのかもしれない。可能性は無限大だ。ただそれだけの話である。レイが何者でも無かったように、あの少年が誰であろうが、全く意味のないことなのだ。
クレイトの戦い、ルーク・スカイウォーカーはレイアに、ミレニアム・ファルコンのコックピットにあったファジーダイス(金のサイコロの飾り)を渡した。最後にそれはルークの強いフォースが見せた幻だったことがわかり、カイロ・レンの手の上で消える。なぜルークはそのような”まやかし”をレイアに渡したのか。いずれ消え失せるのなら、喪失感を煽るだけなのではないか。そして、レイアはなぜ鉱山の中に捨て去ったのか。
いずれにせよ、スター・ウォーズに抱いていた幻想は、ファジーダイスと共に消えた。結局のところ、ジョージ・ルーカスはずっと正しかったのだ。「これはただの映画だ。観て、ただ楽しむものなんだ。夕日みたいなものさ。そこにどんな意味があるのかなんて心配しなくていい。」
新しい時代が始まった。