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続編公開の今だからこそ、“時代と向き合った”映画『トレインスポッティング』を振り返る

『T2 トレインスポッティング』が、2017年4月8日に日本で公開されました。狂いに狂いきったあの名作の復活に、胸が躍るという方は筆者だけではないはずです。

今回、続編の公開に先駆けてDVDなどで前作『トレインスポッティング』をおさらいしたという方も少なくないかと存じます。または『T2』を鑑賞して、前作を再び手に取ろうという方もいらっしゃるかもしれません。そこで改めて『トレインスポッティング』についての記事を書こうと思い立ちました。

ドラッグ、ドラッグ、ドラッグドラッグドラッグ――『トレインスポッティング』をざっくり一息で要約するとしたら、こんな調子でしょうか。主人公の名前も出さなければ舞台や時代設定も明らかではありませんが、作品を知っている方ならばこのやる気のない要約でも決して首を横には振らないかと思います。

トイレに潜り、床に沈み、赤ん坊が天井を這う。ドラッグ、セックス、強盗、万引き、息継ぎなしでまたドラッグ。刺激的な映像表現に過激なキャラクターたち。殺人的に破天荒なプロット。筆者が本作を子どもの頃に見た時は衝撃で頭が真っ白になってしまいました。

しかしながら大人になった今、改めて鑑賞するとこれほどまでに「時代」と向き合った作品は多くないのではと感じます。万年ヤク中のレントンが我々観客に政治的なメッセージを発しているとは到底信じがたいですし、みなさんご存知の通り『トレインスポッティング』が説教じみた頭の堅い作品ではないことは間違いありません。とはいえ彼らの行動や考えを語る上で、当時の政治的なバックグラウンドを知ることは作品の理解(あるいはレントンへの共感)のための大きな手助けになるのではないでしょうか。そこで本稿ではキャストや監督、あらすじなどのおさらいは他にお任せするとして、世界史にも少し触れながらいくらか踏みこんだ解釈・考察をお届けしたいと思います。

【注意】

この記事には、映画『トレインスポッティング』の内容や描写などのネタバレが含まれています(まだ見ていない方には、一刻も早く本編を見ることを強くお勧めします)。

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「何かが変わっていく」怒涛の1990年代

『トレインスポッティング』は原作小説の発表が1993年、本国での映画公開が1996年です。物語の時代設定も1990年代と考えるのが妥当でしょう。舞台は言わずもがなイギリスのスコットランド。映画の中でレントンの正確な年齢はわかりませんが、高校生とのセックスが法的にアウトな年齢であることは確かです(セックスの翌朝、レントンとダイアンのやりとりから)。

彼らが生きたこの時代には世界史的に大きな事件や出来事が相次いで頻発しています。本編を注意深く鑑賞するとこのような世界史的事件とレントンらの心境が密接にリンクしているのではないかと疑わずにはいられません。1989年にベルリンの壁が崩壊。冷戦がついに終わるかというところで、翌年にはイラクのクウェート侵攻。この湾岸危機の同年に11年半続いたサッチャー政権が倒れ、さらに翌年1991年にはマーストリヒト条約が合意されてEU(欧州連合)の設立が約束されます。

「何かが変わっていく」。そんな莫大かつ漠然とした、霧の中のような世界情勢下で不況に喘ぐスコットランドに暮らす若者を代表するようなキャラクターとして主人公レントンが設定されていることが分かります。

(C)Channel Four Television Corporation MCMXCVC http://www.imdb.com/title/tt0117951/mediaviewer/rm387038976
(C)Channel Four Television Corporation MCMXCVC http://www.imdb.com/title/tt0117951/mediaviewer/rm387038976

不遇のスコットランド

レントンらの心境や行動は本当にどうしようもない日常への絶望に由来するものでしょうが、彼らを取り巻く環境をひもとく上でスコットランドの政治経済を無視することはできません。極めて反社会的な生活をしている彼らが目を背けている社会とは一体どういったものだったのでしょうか? レントンらが多感な10~20代を過ごしたであろう、1980~90年代のイギリスの政情を振り返ってみましょう。

イラン革命に由来する1979年の第二次オイルショックの影響により世界的に殺人的なインフレが起こりましたが、イギリスもその例外ではありませんでした。インフレ抑止政策の副作用としてイギリスの失業率は増加し1983年には10%を超えます。くわえてこの失業者の発生は、イングランド以上に製造業が主たる産業であったウェールズやスコットランドに集中することになります。後にサッチャーの尽力で実質GDPは次第に回復に向かうのですが、これは金融・サービス業の発展によるもので、製造業への配慮はほとんどありませんでした。失業問題の深刻な地域では、世論に反してサッチャーへの圧倒的な不支持が強く、1983年の総選挙もこの状況を反映する結果となりました(余談ですが、こうした背景で発生した炭鉱ストライキは『リトル・ダンサー』で扱われたストと同じものです)。

そもそもスコットランドは、1707年にイングランドに併合してから貧乏くじを引きっぱなしでした。首都はロンドンにありますし、議会制や法制度はイングランドの伝統に基づくもので経済力でもスコットランドはイングランドに劣ります。失業問題もこの状況に由来したものです。こうした国内のしこりについて、『トレインスポッティング』では、レントンが“We, on the other hand, are colonized by wankers.(イギリス人は馬鹿だっていうけど、俺らはその馬鹿に占領されてるんだ)”と語っています。併合ではなく占領(colonize)という言葉を敢えて選んでいることから、彼らがいかに劣等感を抱いているのかがうかがえます。

1970年代頃からスコットランドでは再び独立の世論が高まりますが、現在でも独立には至っていません。地元でわざと面接に落ち、失業保険で食いつないでいたレントンがロンドンでは不動産の職を簡単に得ているように、イングランドとスコットランドの格差は作中にも如実に表れています。 “Think About the way”をBGMに描写されるロンドンの様子(なぜかドキュメンタリータッチで撮られていました)は、それまでと一転しとてつもなく平和で華やか。ここでも経済格差を感じずにはいられません。スコットランドがロンドンに足元を見られる――これは物語後半の山場でもある、2kgのヤクの取引と同じ構図でもあります。レントンやベグビーらはヤクを捌きにバスでロンドンへ向かい、少々値切られながらもヤクの売買を成立させます。レントンも含め全員がおおむね売値に合意を示してはいますが、圧倒的に買い手が有利であったことは間違いありません。あのベグビーですら緊張してビビり倒していたことからも、互角の取引ではなかったことがわかります(マフィア相手なので当然と言えば当然かもしれませんが)。

さらに分かりやすいのは山のシーン。彼女に振られてヤケになるトミーと言い争った際にレントンはスコットランドについて言及します。

“It’s shite being Scottish!”(こんな国クソだ!) などなど、レントンは散々文句を言い放ちバツが悪そうにスミノフを呷ります。そしてこの直後、彼らは12時間ぶりにヘロインの世界へ再び足を踏み入れます。世界各地で民族自決運動が活発となる中、スコットランドは独立できないどころか EUの設立によってイギリスの主権さえも不安な状況でした。そんなスコットランドで、身体をボロボロにしながらヘロインを静脈に打ちまくる彼らは、まさに“the worst TOILET in Scotland(スコットランドで最悪のトイレ)”であり、レントンは目先の快楽を求めてさらにその奥深くへと潜っていくのです。

もがき続けるレントン

『トレインスポッティング』は破天荒な物語ながら、なんとなく寂しく、どこか影が差す映画です。「ドラッグの映画だ」と冒頭では茶化しましたが、これは「もがき苦しむ若者の映画」であると表現してもよいかもしれません。

“Choose life, choose a  job.”でお馴染みの冒頭の台詞からもわかるように、レントンは物質的な豊かさには一切の興味を示しません。そうした豊かさに縁がないどころか、彼らは現実世界の資本主義の価値観に徹底的に背を向けて薬物に手を出しているのです。赤ん坊が死んだ時ですら、みんなこぞって何よりもまずヤク。彼らにとってヤクを打つことは逃避行動以外の何物でもないのです。

しかしながら薬漬けの生活は当然長くは続きません。レントンは変化を求められます。ターニングポイントを迎えつつあることは “The world’s changing, music’s changing, even drugs are changing.(世の中も音楽も、ヤクだって新しくなってる)”というダイアンの鋭い言葉に集約されます。自分自身も変わらなければいけない、という冷たい焦りが物語中盤ではその深淵部に横たわっているように感じます。のちにレントンは、社会的な生活を得てから“Dian was right. The world is changing. Music is changing, drugs are changing.(ダイアンは正しかった。音楽もドラッグも変わってきている)”と、彼女の言葉を素直に受け入れます。

とうとう捕まったレントンに執行猶予判決の祝杯(?)があげられるさなか、レントンが非常口(Fire Exit)から宴会を抜け出す場面は比較的地味ではあるものの非常に重要かつ印象的なショットのひとつです。ヘロインを止めたくても止められない、底辺を抜け出したくても抜け出せない。世の中は大きく変化しつつある、けれどもやはり自分自身が変わることは難しい――。そうした心理的圧迫感を見事に映像的に表現しているといえます。非常口のシーンの直後、彼は耐えかねてまたもヘロインに手を出します。これが絨毯とともに床の中へとのめり込むように沈んでいく、あの言わずと知れた名シーンなのですが、この時彼の視野は異常なほど狭まっています。視野狭窄になりながら、下へ下へと沼のような床に飲まれていく。レントンの感じていた閉塞感・圧迫感に符合します。

絶望的な苦境を徹底的に味わったレントンですが、最終的に彼はダイアンの言葉通り変化を受け入れてこの閉塞的環境から抜け出すことに成功。大事に隠してあったパスポートを持って姿を消します。彼がこれまでの自分に別れを告げて、ここではないどこかへ目指すところで『トレインスポッティング』は終わります。エンドロールを見ながら私たちが感動する理由は、レントンが苦しみから解放されたというカタルシスにあるのではないでしょうか。

時代の代名詞としての音楽

奇抜でエキセントリックな映像表現もさることながら、『トレインスポッティング』では、流れる音楽のすべてが魅力的です。筆者はリアルタイムの観客ではなかったのですが、日本公開当時は、この映画から洋楽に足を踏み入れたリスナーも多かったということです。それぞれの楽曲は実にクールで色褪せません。しかも音楽自体がレントンの物語に意味を与えているのではないでしょうか?

たとえば、冒頭に流れるイギー・ポップ“Lust for Life” とラストに流れるアンダーワールド“Born Slippy”。冒頭のシーンで、レントンはラリった勢いで犯罪行為を繰り返し、ひたすら逃げているだけでしたが、ラストシーンでは、鏡の中の自分をじっと見つめ、大金とパスポートを持って「俺は変わる」と決意して悪友の前から姿を消します。ここでBGMに注目すると、ラストにも冒頭の“Choose life, choose a  job…”に酷似した台詞が挿入されていることで、音楽の違いがさらにくっきりと際立っていることがわかります。レントンがもがき続ける中、80年代を代表するロックミュージシャンの声は消え、先進的なエレクトロサウンドが響き渡るのです(ちなみに、イギー・ポップに固執したトミーは、新時代の病気であるエイズによって死んでしまいます。ダイアンの「ギー・ポップは死んだ人よ」という揶揄も耳に残ります)。

もちろん、他のシーンで流れる曲も、「別の音楽で選び直せ」と言われたら頭を抱えてしまうほどカッコよく、しかも内容にぴったりのものばかりです。本稿では見送りますが、それぞれの楽曲の歌詞を読み込むのも面白いでしょう。

おわりに

いかがだったでしょうか。“勝手な深読みではないか?”というみなさまの声も聞こえてきそうですが、例えばダニー・ボイルが『スラムドッグ$ミリオネア』の監督であることもこの考察の裏付けのひとつになりそうです。彼はマクロな政治の歪みとして生まれる最小単位の貧困にスポットライトを当てるという試みを『トレインスポッティング』以降も続けています。

さて、レントンが私たちの前から姿を消してから間もなくして世界は21世紀を迎えました。世界は9.11テロを経験し、リーマンショックによる混乱や相次ぐISISのテロ行為をはじめ、大きな事件や出来事がひっきりなしに起こり、世界は常に変化し続けています。アメリカ大統領はブッシュからオバマ、オバマからトランプへと移り変わり、中国はもはや経済大国に。イギリスはEUの脱退を表明し、2014年にはスコットランド独立の住民投票が僅差で否決されたことも記憶に新しいですね。インターネットは当たり前のものとなり、あのスティーブ・ジョブズすら今や故人です。またレントンの予言通り、ジェンダーの境は曖昧になりましたし、音楽も絶えずアップデートされています。きっと、ドラッグも当時とは別の流行りがあるのでしょう(もちろん筆者は知りませんが)。

激動する社会情勢の中で、ダニー・ボイルは次に何を表現し、レントンは次に何を語るのでしょうか? 『T2 トレインスポッティング』は劇場公開されたばかり。スクリーンで彼らと再会できることが楽しみですね。

[参考文献]
・梅津實ほか(2016)『イギリス現代政治史』 ミネルヴァ書房
・リチャード,キレーン(2002)『図説 スコットランドの歴史』 (岩井淳ほか訳) 彩流社
・高崎通浩(2002)『民族対立の世界地図 欧州/北南米/アフリカ篇』 中公新書クラレ
Eyecatch Image: http://www.elperiodico.com/es/noticias/ocio-y-cultura/trainspotting-danny-boyle-revival-5856340
(C)Channel Four Television Corporation MCMXCVC

Writer

けわい

不器用なので若さが武器になりません。西宮市在住。