『ショーシャンクの空に』トム・クルーズ主演案をめぐる監督の葛藤、本読みまで参加するも起用されなかった複雑なワケ

公開から25年以上が経過してなおも色褪せない名作映画『ショーシャンクの空に』(1994)では、ティム・ロビンスが演じた主人公アンディ役に何人もの名だたるハリウッドスターが検討されていた。大ヒット作『トップガン』(1986)後も『カクテル』(1988)『レインマン』(1988)『7月4日に生まれて』(1989)といった作品で実力をアピールしてきたトム・クルーズもその1人だった。
しかし、クルーズの起用が実現しなかったのには、ちょっとした複雑な事情があった。2014年、公開20周年を記念して掲載された米Vanity Fairの特集でその詳細が綴られている。
『ショーシャンクの空に』を手がけたのは、それまでは脚本家として活動していたフランク・ダラボン。スティーヴン・キングの大ファンだったというダラボンは、なかでも中編作品集『恐怖の四季』に収録された『刑務所のリタ・ヘイワース』の映画化を熱望していた。しかし1980年代当時、監督経験が皆無だったダラボンは信用に足るフィルムメーカーとして認めてもらうべく、まずは脚本家としての経験を積み、『エルム街の悪夢3 惨劇の館』(1987)に携わった後、「今こそ、その時かもしれない」と、のちに『ショーシャンクの空に』と名付けられる『刑務所のリタ・ヘイワース』映画化への行動を始めたという。
その後、権利を獲得して脚本執筆を終えたダラボンだったが、ここで問題が生じる。同じく『恐怖の四季』収録の中編『スタンド・バイ・ミー』を1987年に映画化し成功させたロブ・ライナー監督が、『刑務所のリタ・ヘイワース』映画化に興味を示したのだ。自ら監督を務めるつもりでいたダラボンは、ライナーから300万ドルという破格の額を提示され、監督権を譲るようオファーされた。この時、ライナーは『ア・フュー・グッドメン』(1992)で大御所ジャック・ニコルソン相手に迫真の演技を見せたトム・クルーズを主人公のアンディ役として希望していたというのだ。
リッチになるにはまたとないライナー監督の申し出に、フランスの難民キャンプで生まれ、「必死にもがいた脚本家時代には家賃すら払えたことがなかった」というダラボン監督は頭を悩ませた。これには『ショーシャンクの空に』で製作総指揮を務めたリズ・グロッツァーも「彼はものすごく葛藤していました」と証言している。さらに、ダラボンに提示されたオファーには、望みがあればどんな映画企画でもライナーの制作会社Castle Rockが出資するというボーナス付きだったという。しかし、ダラボンは熟考の末、このような考え方にたどり着いたのだった。
「お金と引き換えに自分の夢を先延ばしにすることはできる。でもそうしたら、準備してきたことを成し遂げないまま死んでしまうだろう。」
結果的にダラボンは望み通り『ショーシャンクの空に』で監督を務め、ライナー率いる制作会社Castle Rockは出資を担った。オファーを断ったということは、ライナーによるトム・クルーズ主演案も白紙になったのかというとそうではなかったらしい。
アンディ役にはトム・ハンクスやケヴィン・コスナーが有力候補として挙げられたなか、トムも脚本の読み合わせに参加していたという。しかし、当時監督として無名だったダラボンとのタッグに、トムは「尻込み」したそう。その後、トム側は「ライナー監督が製作に気を配り続けるのであれば承諾を検討する」という条件を提示までしたというが、これをライナーは断ったそうだ。なお、ライナーは『ショーシャンクの空に』の製作に携わっていない。
ちなみに、最終的にアンディ役に起用されたティム・ロビンスは、レッド役を演じたモーガン・フリーマンの推薦だったのだとか。当初はロバート・デュヴァルやジーン・ハックマンをアンディ役に希望していたダラボンだったが、スケジュール諸々の都合で実現せず。20周年の際、ダラボンは「もしモーガンがティムというなら、僕は何が何でも彼の言うとおりにするつもりでした」と振り返っていた。
Source: Vanity Fair