なぜ僕らの世界にはスーパーヒーロー映画が必要なのか? ─ その答えは『ワンダーウーマン』にある

先日(2017年8月上旬)、THE RIVERライターの集いが都内某所で催されたのですが、その席でのことです。

2017年上半期の「マイベスト映画」をそれぞれ発表しようという流れになり、ライター各々がやれ『ローガン』だ、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』だと挙げていくなか(ちなみに私は当然『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー/リミックス』)、当メディアの編集長中谷氏が自信満々に『ワンダーウーマン』を推してきました。しかも「今まで観たヒーロー映画の中でも一、二を争う」とのこと。上半期マイベストを順番に挙げて、飲みながらみんなでああだこうだ盛り上がろうぜ、って空気なのに公開前の皆がまだ観てない映画言っちゃったよこの人は。しかも今までで一、二を争うって?DCEUだぜ?(あとで謝ります)いくら出来がいいと言っても、『アイアンマン』とか『ダークナイト』とか、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の地位(私の中の)を脅かすなんてこと万に一つもあるわけないじゃない、まったく大袈裟ですな、とその時は思ったものでした。

また、メガホンを執るのが女性監督(パティ・ジェンキンス)という点もですね、その映画監督としての力量に疑う由はないものの、個人的にヒーロー映画に不可欠だと考えるバトル演出の「熱さ」や、「見切り場面のカッコよさ」等が表現できるのだろうかと勝手に心配しており、日本に先んじて公開された本国アメリカでの絶賛評価やぶっちぎりの興行収益を聞いても、「彼ら欧米人は映画の”道義的正しさ”だけで高評価をつけたりする。大きな期待は禁物ですぞ」とやや斜に構えておりました。

映画『ワンダーウーマン』を複数回鑑賞し終えた現在、前段でつらつら述べたような先入観は、すべて自らの不見識を露呈するものであり、ひたすら汗顔の至りであります。各方面、特にパティ・ジェンキンス監督ならびにDCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)のファンの皆様、ついでに編集長におかれましては大変失礼をしました。PCの前で深々と頭を垂れており、自分への戒めとして、非常に高額である(35,000円)ホットトイズのワンダーウーマンフィギュアを発注致しましたのでどうかご容赦頂きたい。
『ワンダーウーマン』はまごうことなく映画史に残る大傑作で、「マイベストヒーロー映画」にその名を挙げてなんらおかしくない作品でした。未見の方はこんな駄文を読んだりしてないで、またネガティブなレビューや、記事などに踊らされることなく、もう、すぐ!今からでも映画館へ駆けつけてガル・ガドット様の雄姿をその目に焼き付けてください。

「以上!」で終わるのもアレなんで、筆者が個人的に特に優れていると感じた点を書いておきます。

注意

この記事には、『ワンダーウーマン』の内容に少し触れています。

『ワンダーウーマン』が描くもの

この『ワンダーウーマン』という映画は、とにかく人間の「影」と「光」の描写が非常に秀逸なバランスで描かれています。あえて逆に並べましたが、世間知らずのダイアナの目を通してまず浮き彫りになるのは、人間という生き物の「救いがたさ」です。スティーブ・トレバー(クリス・パイン)と共にパラダイス島を出たダイアナが、最初に目にするのが大気汚染真っ盛りの黒い街ロンドンというのが象徴的で、青い海、白い砂浜の楽園からの落差にダイアナだけでなく観客である我々も眩暈を覚えます。(パラダイス島のくだりが若干長いという批判もあるようですが、私見ではこれには理由があり、ダイアナの生い立ちから、ヒーローとして立つまで、彼女の思考の流れを丹念に追うことにより、観客を人ならぬ彼女の心情にしっかり寄り添わせる為必要な手を抜けないシークエンスでした。)

兵卒たちが無駄死にまかせる将校や、戦場での謂れなく夥しい「死」、嬉々として大量破壊兵器を開発するマッドサイエンティスト。人間世界に蔓延るこれらの「影」をダイアナは「悪い神様」のせいであり、そいつさえ倒せば自分たちパラダイス島の住人達と同じように、人間世界も良くなると思い込んでいます。観客である我々は、彼女がそう思いこむ理由を知りながらも、「人間は多かれ少なかれ誰かのせいでこうなっているわけではない」ということを身に染みて判ってしまっています。

故に最終盤、ラスボスが問う「人間は世界に必要なのか」という命題に、ダイアナと同じように絶望しそうになるのです。その刹那脳裏に差し込む微かな「光」。自分勝手だけど愛すべき隣人たち、美味しいアイスクリーム、心が壊れかかっている狙撃手が唄う歌、戦闘が終わった後の密やかな宴、映画全編にさりげなく配されたこれら「人間捨てたもんじゃないよね」という絶妙な演出と、ある登場人物の尊い行動。「人間世界」はスーパーヒーローが救うに値するか否か、押し寄せる感動の涙と共に自然にその答えが出る演出は見事と言う他ありません。感動の涙の種類としては、ちょっと『アメイジング・スパイダーマン2』のラストを彷彿とさせます。僕たちの生きる現実には、全てを変えてくれるようなスーパーヒーローはいません。救いも報いも少なくて、失望することが多い毎日です。だからこそ「スーパーヒーロー映画」が必要なんだ。金儲けのためだけにこれらの作品はあるわけじゃないんだと、そんなことを改めて認識させてくれる映画です。

よく比較されるマーベル・シネマティック・ユニバースとの対比においても、あちらがキャプテン・アメリカとアイアンマンという、ヒーローと言えど「人間」に軸足を置いたキャラクターが狂言回しであるのに対して、DCは主要三人のうち二人(スーパーマンとワンダーウーマン)までが人ならぬ超常の存在です。先行するライバルとの差別化を図るにあたって、これからの話運びの視点「神様目線」にも期待が持てる作品でした。これは今更言っても詮無いことですが、DCEUの皮切りがこの『ワンダーウーマン』からだったら、アメコミ映画勢力図はいったいどうなっていたかと思うほど、ヒーロー映画としてほぼ完璧な映画です。

時間は元に戻せませんが、DCEU反撃の烽火は確実に上がりました。筆者もちょっと揶揄したりするのを改めて、襟を正して11月の『ジャスティス・リーグ』に臨む所存です。

About the author

1977年生まれ。週刊少年ジャンプ脳のクリーチャー愛好家。玩具コレクター。エンドレスダイエッター。「意識低い系」の文章を信条としています。

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