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【考察】『ワイルド・スピード』シリーズの世界では、何年の月日が経過しているのか? 劇中の描写から計算する

©Universal Pictures

2001年の第1作公開から、16年以上も続く大人気シリーズとなった『ワイルド・スピード』シリーズ。

全8作品は時系列順に、第1作『ワイルド・スピード』(2001)、第2作『ワイルド・スピードX2』(2003)、第4作『ワイルド・スピード MAX』(2009)、第5作『ワイルド・スピード MEGA MAX』(2011)、第6作『ワイルド・スピード EURO MISSION』(2013)、第3作『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』(2006)、第7作『ワイルド・スピード SKY MISSION』(2015)、第8作『ワイルド・スピード ICE BREAK』(2017)となっています。

しかし作品内の世界においては、その多くが“2006年の出来事”なのではないか、という疑問を持っている人も少なくないのではないでしょうか。

注意この記事には、映画『ワイルド・スピード』シリーズのネタバレ内容が含まれています。

ハンを巡る2006年問題

『TOKYO DRIFT』で初登場し、命を落とすもシリーズ屈指の愛されキャラとなったハン。その契機となったのが『MAX』です。ハンを復活させるため、『MAX』は『TOKYO DRIFT』よりも前の話と位置付けられました。以降ハンが登場する作品は、『TOKYO DRIFT』の前日譚ということになります。

ミア(ジョーダナ・ブリュースター)の台詞によれば、ブライアン(故ポール・ウォーカー)との別れから5年後、つまり『TOKYO  DRIFT』と同じ2006年の出来事に当たる『MAX』。ハンを死に追いやったのがデッカード(ジェイソン・ステイサム)だと判明した『EURO MISSION』、そしてデッカードが東京からドム(ヴィン・ディーゼル)に連絡を取った『SKY MISSION』もまた、2006年の出来事ということになるため、3作目から7作目までが2006年の話ということになるのです。

『ワイルド・スピード SKY MISSION』より ©Universal Pictures
しかし『SKY MISSION』に登場するスーパーカー、“ライカン ハイパースポーツ”が発表されたのは“2013年”。とすると、『TOKYO  DRIFT』は2006年の出来事ではないのでしょうか。それとも“ハンが生きていた時期”という点以外、作り手たちは制作年を基準としているのでしょうか。『ワイルド・スピード』シリーズではこれまで、物語中に年月日が示されたことはありません。

『ワイルド・スピード』シリーズの世界では、いったい何年の月日が経過しているのでしょうか。

ドムとミア、ブライアン、それぞれの再会

ブライアンを演じた故ポール・ウォーカーは、“ドミニクとブライアンは8年間会っていない”と語っています(『MAX』Blu-ray収録の「U-CONTROL」より)。劇中でのミアの“5年ぶり”という台詞とは食い違いますが、4作目以降の作品で2007年以降に発表された車両が多く登場していることを踏まえると、ポールの“8年ぶり”=“『MAX』は2009年の出来事”というのも真実のように思えます。

この点は、ブライアンは“ミアとは5年ぶり”に、“ドムとは8年ぶり”に再会したのだと考えると、矛盾が生じなくなります。

『MAX』でのミアの話によれば、1作目でファミリーが解散した後、レティ(ミシェル・ロドリゲス)は何度もドムとミアの家(1327)を訪れ、ドムのダッジ・チャージャーを修理していたそうです。そして『MAX』で明らかになった“ブライアンがレティを潜入捜査に引き入れていた”という点を合わせると、“ブライアンは2009年の5年前、すなわち2006年にミアの元を訪れている”という可能性が考えられます。

これで2001年『ワイルド・スピード』、2003年『X2』、2009年『MAX』。そして『MAX』と直結している『MEGA MAX』が2009年ないしは(ブラジルの夏は年を跨ぐため)2010年ということになります。

『MEGA MAX』のラストで『EURO MISSION』への布石は出てきますが、この布石となるシーンそのものが『EURO MISSION』寄りの可能性もあるため、『EURO MISSION』を2009年ないしは2010年以降の話と置くことが可能に。その上で『SKY MISSION』のライカン・ハイパースポーツと合わせると、『TOKYO DRIFT』を2013年以降の話と置くことができます。

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