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ポップミュージック・ファンが観る『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』から学ぶこと―世界に融和の可能性を示すための方法とは―

ヨーヨー・マと旅するシルクロード

自分はヨーヨー・マやクラシック音楽に詳しい人間ではない。主に聴いてきたのはUS/UKのロックやダンスミュージックだ。しかし、『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』(劇場公開日3月4日)を観て思ったのは、ヨーヨー・マが立ち上げた「シルクロード・アンサンブル」というプロジェクトが、2000年代以降のポップミュージックの動きに共振、あるいは先取っているとすら感じられる内容だったということである。

この記事では、ポップミュージックを愛する者の観点から、「シルクロード・アンサンブル」へのリスペクト、そしてポップミュージックへの提言を述べたい。

懐古主義に終わらないシルクロード・アンサンブル

冒頭、シルクロード・アンサンブルのメンバーと路上アートのセッションが映し出される。非常にダンサブルで多彩なビートを奏でる彼らが、それぞれ演奏しているのが出身国の伝統楽器だと気付いた人は少ないだろう。

たとえばイラン人であるケイハン・カルホールが担当しているのはバイオリンの原型といわれているケマンチェ。中国人の女性奏者、ウー・マンが弾いているのは古典楽器の中国琵琶(ビパ)だ。スペイン人のクリスティーナ・パトが演奏しているのは伝統楽器のバグパイプである。

このシーンだけ観ても分かるように、ヨーヨー・マの呼びかけによって2000年からスタートしたシルクロード・アンサンブルとは、懐古主義や単純な伝統主義に基づいているプロジェクトではない。アフリカ、中東、欧州、アジアの名だたる伝統音楽が集結することで互いの文化を共有し、新たな価値観を知ろうという試みだったのである。 

9.11以降のポップシーンとの比較 

幼い頃から神童と騒がれ、世界的名声を手にしたチェリストであるヨーヨー・マがどうしてこんなにも実験的なプロジェクトに足を踏み入れる必要があったのか? 友人でもある映画音楽の大家、ジョン・ウィリアムズは自身の経験と重ねてこう解説する。

「全てを手にした神童にとって、問題は興味をどう維持するかだ」 

ヨーヨー・マにとってのシルクロード・プロジェクトは彼が音楽を続けていくために必要な、新たな興奮と刺激を探求するプロセスだった。そして、2001911日をきっかけにプロジェクトの意味が深刻さを増すようになる。ニューヨークをイスラム派の自爆テロが襲い、アメリカ国内では中東やイスラム教徒に対する反感が高まっていく。ニューヨークを活動拠点としていたシルクロード・アンサンブルには多くの中東出身者が在籍しており、早くもプロジェクトは存続の危機に直面した。メンバーは音楽で証明する必要があった。世界が相互理解を深め、もう一度手を取り合う可能性を。

ここで当時のUSポップミュージックを振り返ってみよう。中東への侵攻を深めていくブッシュ政権への批判をグリーン・デイ、エミネム、ブルース・スプリングスティーンなどのビッグネームは作品に込め、ライブでの政治的発言も目立った。しかし、彼らに共通していたのは、言葉による批判は見られても、音楽的にはむしろ保守化していった傾向だ。特に、ポップパンクの代表的存在だったグリーン・デイは、クイーンやザ・フーなどを連想させるコンセプトアルバムへと傾倒していく。今聴き返すと、グリーン・デイ本来のメロディー・センスは後退していて、背伸びしたアルバムだという感は否めない。むしろ、カントリーのアイドルだったディキシー・チックスのように、元々保守層から支持されていたミュージシャンが政権批判を活動に込め始めた事態の方が衝撃的な光景だった。 

言語が音よりも前に出ていた2000年代前半のポップシーンは、それだけミュージシャンたちの怒りや悲しみが深かった故だともいえる。しかし、ヨーヨー・マたちはあくまでも「音」によって平和の可能性を体現しようとしていた。当時、愛するロックバンドがこぞってコンサバなサウンドを鳴らしていたことに違和感を覚えていた自分からすると、ヨーヨー・マたちの活動を後追いで知ることは非常に驚きだった。

シルクロード・アンサンブルがあくまで「音」による表現を貫いた理由の一つとして、彼らが元々、音楽的アイデンティティーを求めて彷徨う、「流浪の民」だったことが挙げられるのではないか。ヨーヨー・マやウー・マンは両親ともに中国人だが、幼少期から世界中で演奏をする日々で、母国への帰属意識を持ちにくい環境にあった。クリスティーナは伝統音楽とジャズやラテンを融合させたことで、賞賛と同時に大きな批判にも晒された。シルクロード・アンサンブルにも「伝統を薄める」という批判は付き纏う。彼らが帰属するのは言語や慣習ではない。音楽そのものであり、だからこそ、彼らの世界情勢への思いは、民族同士の音楽を融合するという挑戦によって表現されたのだ。 

Writer

石塚 就一
石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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