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『アド・アストラ』が問う「男らしさ」 ─ 「男は黙って…」は現代にも通用するのか

アド・アストラ
(c)2020 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.

ブラッド・ピット主演のSF映画『アド・アストラ』で描かれるドラマを評価する声が多く寄せられている。本作では、ピット演じる主人公のロイが、太陽系の彼方で消息を絶った父を探して宇宙の旅に出る。人類の手の及ばない壮大な宇宙空間を舞台に、観客は「人が生きるとはどういうことか」という、最も身近でありながら最も深奥な、永遠なる課題と向き合うことになる。英Empireは「広大な宇宙での孤独の探求という繊細で壮大な旅だ」と評した。

『アド・アストラ』の主人公ロイは、ピットが演じるだけあってハンサムであり、また宇宙飛行士として非常に優秀で、降りかかる様々なトラブルも冷静に解決してみせる。まさに映画の英雄的であり、「男らしさ」の象徴的な存在であるように見える主人公ロイだが、胸の内にはある種の生き辛さを抱えている。

本作の製作も兼任したピットが米Varietyに語ったところによれば、この作品ではジェームズ・グレイ監督と共に「『男らしさ』の定義」を掘り下げたのだという。

『アド・アストラ』と、あらたしい時代の「男らしさ」

ピットは本作の来日記者会見にて、ジェームズ監督とは「お互いの恥ずかしいところも明かし合える関係だ」と語っていた。言葉にこそしていないが、ピットの口ぶりからは、こんな風に互いの弱いところを晒し合える間柄は稀である、ということが伝わってきた。米Varietyに対しては、「感じていることや自分の失敗、過ちを明かし合える」関係と言い、それは「普通の男同士の間柄ではない」と表現している。

単純に、ピットは監督と「普通の仲」ではない、もっと特別な深い関係であると言いたかったのかもしれない。しかし、なぜ互いの弱みも包み隠さず仲が「普通の男同士の間柄」ではないのか?それでいうと、「普通」とはどう定義されるのか?

ロイは仕事以外の様々なものごとを自分から遠ざけることで、ある種の「男らしさ」をなんとか保っているつもりでいた。ピットは、自分の世代の男たちは「強くあること」を期待されて育ち、その強さには価値があったと言う。こうした男性像のあり方は、「壁も作ることになった」と打ち明ける。「恥の気持ちも、いくつか(壁の中に)隠しているからです。誰だって、個人的な痛みや傷を抱えている。」

つまり、1960年代生まれのピットの時代における「男らしさ」には、「男は黙って……」的な価値観が求められていたと考えることができる。たとえ友人に対してでも、抱える恥や傷は明かさずに黙って耐えなければいけない、弱みを見せるのは「男らしさ」に反するのだと。

アド・アストラ
(C)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation

『アド・アストラ』の物語は、旧来的な「男らしさ」を求められることの生き辛さを認めている。「僕たちは、ある問いを投げかけているんです」とピットは説明する。「『男らしさ』に、もっと良い定義はないのか、と。愛する人や子ども、そして自分自身と、もっと良い関係性はないのか、と。

もしも10〜20年前に『アド・アストラ』を製作していたら、本作はもっと従来的な、クールな男のスペース・アドベンチャーになっていただろう。ピットとグレイ監督は米The Washington Postにそう認めている。

現代の観客は、弱みを抱えたスーパーヒーローに共感するようなった。宇宙の果てへ冒険へ出かける男だって、もう「男らしい」ヒーロー然とした人物像であるとは限らない時代だ。『アド・アストラ』を観るべき観客は、他でもなく「今」を生きる我々なのである。

映画『アド・アストラ』は2019年9月20日(金)全国ロードショー

Source:Variety,TWP

Writer

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中谷 直登Naoto Nakatani

THE RIVER創設者。代表。運営から記事執筆・取材まで。数多くのハリウッドスターにインタビューを行なっています。お問い合わせは nakatani@riverch.jp まで。

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