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『BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』毒気を抜かれた美しいファンタジー

ロアルド・ダール原作『オ・ヤサシ巨人BFG』は、『チャーリーとチョコレート工場の秘密』や『マチルダは小さな大天才』などで知られるロアルド・ダールの代表作のひとつだ。孤独な少女と心優しい巨人が心を通わせ、人喰い巨人に立ち向かう姿が描かれたファンタジーで、長年の構想を経てスティーブン・スピルバーグが映画化を実現させた。

アメリカでは全くヒットしなかったという本作。実際の内容はどうなのだろうか?魅力的な部分と、欠けている部分をそれぞれ検証したい。

あらすじ

ロンドンの児童養護施設に暮らす好奇心旺盛な少女ソフィーは、毎晩深夜になると眠れなくなってしまうため、その晩も1人で過ごしていた。窓の外から聞こえる物音の方を見てみると、そこには巨大な手が……次の瞬間、窓から入ってきたその巨大な手に持ち上げられ、ソフィーは「巨人の国」に連れて行かれてしまった。ソフィーを連れ去ったのは、夜ごと子どもたちに夢を届ける、優しい巨人BFG(ビッグ・フレンドリー・ジャイアント)だった。凶暴な人喰い巨人たちと共に、肩身の狭い思いをしながら暮らしているBFG。ひとりぼっちのソフィーは、自分と同じく孤独なBFGと次第に心を通わせていく。

美しくてワクワクするファンタジーシーン

『BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』の1番の魅力は、次から次へと展開される美しくてダイナミックなファンタジーシーンだろう。ロンドンの夜の街を闇に紛れて颯爽と駆け抜けていくBFG、快適に工夫されたBFGの部屋やソフィーの寝床、BFGが夢を収集している作業部屋、BFGが夢を集めるために訪れる丘の上の美しい光景、子供たちに夢を吹き込むBFG、人喰い巨人たちに追われるソフィーの逃走劇、ソフィーとBFGが招かれた女王の朝食会。それらすべてのシーンが魅力的だ。ときにワクワクし、ときにハラハラし、ときにウットリとし、ときにクスクスと笑ってしまう。それはまるで、心を弾ませながら絵本を1ページ1ページめくっていた、子供のときのような感覚だ。しかし、ページごとはどんなに素晴らしくても、それらがきちんと繋がっていなければ、感動は生まれない。

粗だらけのストーリー展開/どこにも見当たらない教訓

『BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』のストーリーは穴だらけだ。ソフィーは聡明だが頑固すぎるきらいがあり、なぜそこまでBFGを奮起させようとするのか根拠がよく分からないし、散々虐げられているBFGがなぜ他の巨人たちと一緒にいつづけるのかも分からない。なによりも、過去に心に大きな傷を負いながらもソフィーを連れてきてしまうBFGの気持ちが分からない。最後はハッピーエンドではあるものの、その解決策で正しいのかにはモヤモヤする。結局、観終わったあとに何の教訓も残らない。「見た目は怖くても、本当は良い人かもしれない」「諦めないで立ち向かうことの大切さ」といった、薄っぺらいメッセージが虚しく心に残るだけだ。

ロアルド・ダールの作品には、たいてい皮肉や教訓が込められている。『チャーリーとチョコレート工場』は膨れ上がった欲望の醜さを描いているし、『マチルダは小さな大天才』は教養が持つパワーと、子どもであっても1人の人間としての尊厳を備えていることを伝えてくれる。ティム・バートンが映画化した『チャーリーとチョコレート工場』は、描写は原作よりもかなり毒々しく誇張されていたものの、皮肉や教訓についてはハッキリと打ち出されていた。

『BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』のソフィーやBFGは、児童文学に出てくるイメージそのままだ。素晴らしいシーンの数々も、いかにも子どもが頭の中に思い描く世界観といった雰囲気で、本当にファンタジックだ。そういう意味では、ティム・バートンよりも原作に忠実だともいえるのだが、教訓や皮肉の部分が何も感じられないという点は、間違いなく致命的な欠点だろう。

まず、人間をさらって食料にしている人喰い巨人たちを”悪”とみなしている段階で、我々は気づかなければいけないはずなのだ。彼らは、牛や豚を殺して食べている我々とどこか違うのかと。牛や豚を食べる私は”悪”で、ベジタリアンは”善”だと決めつけられるのかと。また、たった数人の巨人がさらってくる人間の数と、人間が戦争で奪い合っている命の数と、いったいどちらが多いのかと。ロアルド・ダール作品に出てくる悪役には、込められた皮肉が投影されているはずであり、彼らは我々の姿でもあるのだ。

実際、原作でBFGは言う。仲間同士で殺し合いをするのは人間だけであり、巨人が人間を食べるのは、人間が豚を食べるのと同じであると。最も醜いのは同じ種族同士の殺し合いだと。そう。これは反戦の物語でもあるのだ。しかし、映画を観る限り、そのメッセージを読み取ることができる人間は少ないだろう。最後、女王が巨人たちを殺さないのも、「ただ獲物を食べていただけの巨人を、殺されたからといって殺していいという理由にはならない」ということなのではないかと思う。しかし、映画だけを観る限り、その場しのぎの無責任な判断にしか見えなくなってしまっている。

毒気を抜かれた美しきファンタジー

子どもの心を捉えて離さないファンタジーと、痛烈な皮肉とが共存しているロアルド・ダール作品。『チャーリーとチョコレート工場』が皮肉部分を強調した映画化だとしたら、『BFG ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』はファンタジー部分を強調した映画化だ。ひとつひとつのシーンだけを見れば、高いクオリティで非の打ちどころがない。ロアルド・ダールファンは、子どもの頃に夢中になって読んだ世界が目の前に出現していることに興奮するだろう。しかし、残酷だったり痛烈だったりする部分をオブラートに包みすぎてしまったせいで、何を伝えたいのかがボンヤリとしてしまい、凡庸な子ども向けファンタジーになってしまっている感は否めない。BFGを演じていたマーク・ライランスの演技があまりにも素晴らしかっただけに、気弱で優しいだけではなく、”毒気”の部分もしっかりと問いかけるBFGを描いてほしかったという気持ちになる。

Eyecatch Image:http://www.disney.co.jp/home.html

©Disney

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umisodachi

ホラー以外はなんでも観る分析好きです。元イベントプロデューサー(ミュージカル・美術展など)。

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