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【ネタバレ】『アベンジャーズ/エンドゲーム』ブラック・ウィドウとホークアイ、なぜ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯ならなかったのか ─ ルッソ監督と脚本家が経緯を明かす

アベンジャーズ/エンドゲーム
©Walt Disney Studios / Supplied by LMK 写真:ゼータ イメージ

賛否両論、ブラック・ウィドウの結末

『アベンジャーズ/エンドゲーム』でナターシャがチームを守るため、大義のために命を落とすことには、公開直後からSNSなどで賛否が分かれた。男性主人公の物語で、男性キャラの動機を作るために女性キャラが殺されることは、「冷蔵庫の女(Woman in Refrigerators)」として批判される傾向にある。語源は1994年刊行のコミック『グリーン・ランタン』#94で、主人公のガールフレンドが文字通り冷蔵庫に入れられて殺されたこと。『エンドゲーム』のナターシャの死は、この「冷蔵庫の女」にほかならないのではないか、というわけだ。

なぜアンソニー&ジョー・ルッソ監督や、脚本家のクリストファー・マルクス&スティーブン・マクフィーリーは、ホークアイではなくブラック・ウィドウをここで死なせることに決めたのだろう。米The New York Timesにて、マクフィーリーは「ナターシャの物語が終わるのは、彼女がアベンジャーズを取り戻せた時だと考えていました」と語る。どういうことか、米Entertainment Weeklyでのジョー監督の解説も確かめてみよう。

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「ナターシャはヒーローになる以前、ヴィランとしてのアイデンティティを抱えていました。『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014)では、それがキャプテンの問題だったんです。ナターシャにはまだグレーな部分がある、だけどキャプテンは白黒はっきりした人間ですから。ナターシャが、“私は自分自身と戦っている。私を信じてほしいのは家族の一員になりたいから”と口にして、スティーブが“信じるよ”と言う場面があります。二人は成長して、彼女はチームの一員になった。ここに至るまでに、集団というものの本当の価値を学んだと思うんです。」

『アベンジャーズ』ブラック・ウィドウ
© Walt Disney Studios Motion Pictures 写真:ゼータイメージ

それゆえ『エンドゲーム』冒頭のナターシャは、消えてしまった仲間たちに人一倍強いこだわりを見せる。サノスを少人数で打倒するという無謀な作戦にも「いなくなった仲間たちが帰ってくるのなら」と言い、アベンジャーズ本部をワカンダや宇宙と常時接続することで策を講じ、各地で殺人を繰り返しているクリントを追う。その様子は、同じく先へ進めないままのスティーブ・ロジャース/キャプテン・アメリカにも共通するのだ。

「ナターシャはできるかぎり、このチームをひとつに繋いでおこうと努力しています。彼女は壁をじっと見つめている。しかしヴォーミアへたどり着いた時、自分を犠牲にすることが、集団を取り戻す唯一の方法なんだと理解するんです。」

なぜホークアイは敗れたのか

ジョー監督は、ヴォーミアでナターシャとクリントが崖へと向かっていく場面について、「どちらが自分を犠牲にするのかという戦い」だと説明する。「しかし『アベンジャーズ』で描かれたように、ナターシャはクリントよりも強い。だから二人が戦えば、彼女が勝つことになります」

もちろん、ナターシャが戦いに“勝って”命を落とし、クリントが“敗れて”生き残ったことは、単なる戦闘能力の問題ではない。米Fandangoのインタビューにて、脚本家のマクフィーリーは両者の状況を整理しているのだ。

「ヴォーミアに着いた時点で、クリントには精算しなければならないものがたくさんある。一方のナターシャは自分の目的を見つけていて、アベンジャーズには自分の家族がいて、それを諦められないし、諦めることはしない。[中略]立ち止まれる人もいるかもしれませんが、彼女はそうじゃないんです。」

死んで自分の罪を贖うことを厭わないクリントに対し、失われた仲間のため、チームのために犠牲になろうとするナターシャ。この差に加えて、アンソニー監督は、“家族”というものがクリントには弱みになったと指摘する。家族を取り戻したいと願うがゆえ、クリントはナターシャを救えなかったというのだ。

「この映画は(クリントの)家族から始まります。ヴォーミアでナターシャは、クリントに家族の存在を思い出させますよね。二人は同じ任務に就き、二人とも“相手を死なせない”と考えているのかもしれませんが、クリントにはまた複雑な思いがある。だからクリントは、ある意味でナターシャより(目的への)こだわりが弱くなってしまったのだと思います。」(EW)

一方でルッソ監督は、ナターシャは自分の命を捨てたのではなく、自分よりもクリントと宇宙の生命を優先したことも強調している。ヴォーミアで描かれた「戦い」は、あくまで二人の人物が、自分の目的を達せるかどうか、どちらの意志と能力が強かったかということで勝敗が決したにすぎない。たとえば性別や家族といった背景は、それを左右する間接的要因だったということだ。

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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