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【全私が震撼した】罪の意識を問う、実在する犯罪一家を描いた『エル・クラン』全然シャレにならなかった解説レビュー

そんな彼は、一見家庭では温厚で家族想いの父親として描かれているが、実際は一家の大黒柱の俺に逆らうな、というような重圧をかけていたに違いない。それが見受けられるのが、ついに長男が仕事から抜けると宣言し、彼なしで犯行を試み、失敗した後のシーンだ。

http://realsound.jp/
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夜、店にいたアレハンドロを掴み、首を締め、罵倒する父親。「お前が抜けたせいで失敗したんだ!」と、ものすごい剣幕で拳を振り上げる。ここから、映画では映されていなかったが、恐らく普段から長男がこのように脅されていたのではないかと考察できる。

アルキメデスは最初のターゲットに長男の友人を選んだのは何故か。彼を巻き込み、二度と後戻りできないようにするためだ

http://remezcla.com/
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父親アルキメデスは圧力をかけ、家庭内で独裁政治のような事を行っていたのだ。そうなると、“黙認家族”も彼を怒らせるといけないとわかっていて、だから黙認せざるを得なかったのではないだろうか。

犯行時に決まって流れるクラシックロックミュージックの役割

https://jp.pinterest.com/
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さて、この映画では誘拐、そして殺害といった犯行時に必ずクラシックなロックミュージックが流れる。非常に軽快な音楽は、映されている事に対するコントラストの役割を担っているのだ。これは、監督曰く「フォークランド時代からイギリスの音楽は禁止されていた。しかし、中流階級家庭ではスペイン語の音楽を聞く事はなく、英語の曲を聞く事が流行っていた」とのこと。そして、当時流行っていたイギリスロックで、時代を表現するために選んだ曲もあるそうだ。

私は、この音楽がまるで父アルキメデスの洗脳のように感じてしまった。いけない事をしている時に流れる、楽しい音楽。まるで、「ダメな事をしているわけでないんだよ、家族のためにしている只の仕事なんだよ」と、我々の犯罪に対する意識を、息子にしたように狂わせてくる。画面越しにも我々に及ぶ父親の洗脳が、非常に恐ろしいのだ。

しかし最近、この『エル・クラン』のように、犯罪シーンに対して逆に軽快な音楽を流す映画が増えて行きていると感じている。例えば『キック・アス』、そして『キングスマン』でもそうだ。

本来であれば非常に恐ろしくてグロい殺戮シーンに、ポップな音楽を流している。従来、ホラーやスリラーなどの映画音楽は、その時観客にその映画を“恐ろしい、怖い”と感じさせるために怖い音楽を流してきた。しかし、最近のものは楽しい音楽をかけることで、観客に一種の困惑を生み、逆に怖いと感じさせてはいないだろうか

誘拐一家逮捕、一体誰が有罪なのか?

http://www.bbc.com/
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この映画の最恐な点は、犯罪に手をかけた人間が、本質的な意味で罪の意識を持っていないことにある。(アレハンドロは葛藤していたものの)しかし、結論から言うと、当たり前だけど皆有罪だ。

主犯のアルキメデスは逮捕された後も自分の無実を訴え続けていた。留置場では、「看守が無理矢理罪を認めさせようとした」と訴えられるように、息子に自分を殴らせるよう仕向けたり……。

証拠不十分だった家族も、黙認という形で加担していたので、完全に無罪とは言い切れないだろう。普通、身内でさえ犯罪をおこしたのなら、それを認めさせ世間に対して申し訳ない気持ちを持つはずじゃないか。しかし、母親を筆頭に無実を言いはる。皆共通して罪の意識を持っていないからだ。

http://realsound.jp/
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そう、なかでも特に怖いのが母親だ。

被害者に食事を作っていた母は、明らかに夫の犯罪に加担していた。しかも、長男が遂に父親の犯罪に耐えられないと思った時もそれを見逃さず、ビジネスが傾かないように、外国にいた次男を代わりとして呼び戻したのだ。それなのに、誰よりもまるで本当に何もしていないかのように、強気で無実を訴える。完全なる、夫に忠実な妻。

Writer

ANAIS
ANAIS

ライター/編集者/Ellegirlオフィシャルキュレーター、たまにモデル。ヌーヴェルヴァーグと恐竜をこよなく愛するナード系ハーフです。

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