【全私が震撼した】罪の意識を問う、実在する犯罪一家を描いた『エル・クラン』全然シャレにならなかった解説レビュー
そんな彼は、一見家庭では温厚で家族想いの父親として描かれているが、実際は一家の大黒柱の俺に逆らうな、というような重圧をかけていたに違いない。それが見受けられるのが、ついに長男が仕事から抜けると宣言し、彼なしで犯行を試み、失敗した後のシーンだ。
アルキメデスは最初のターゲットに長男の友人を選んだのは何故か。彼を巻き込み、二度と後戻りできないようにするためだ。
犯行時に決まって流れるクラシックロックミュージックの役割
私は、この音楽がまるで父アルキメデスの洗脳のように感じてしまった。いけない事をしている時に流れる、楽しい音楽。まるで、「ダメな事をしているわけでないんだよ、家族のためにしている只の仕事なんだよ」と、我々の犯罪に対する意識を、息子にしたように狂わせてくる。画面越しにも我々に及ぶ父親の洗脳が、非常に恐ろしいのだ。
しかし最近、この『エル・クラン』のように、犯罪シーンに対して逆に軽快な音楽を流す映画が増えて行きていると感じている。例えば『キック・アス』、そして『キングスマン』でもそうだ。
本来であれば非常に恐ろしくてグロい殺戮シーンに、ポップな音楽を流している。従来、ホラーやスリラーなどの映画音楽は、その時観客にその映画を“恐ろしい、怖い”と感じさせるために怖い音楽を流してきた。しかし、最近のものは楽しい音楽をかけることで、観客に一種の困惑を生み、逆に怖いと感じさせてはいないだろうか。
誘拐一家逮捕、一体誰が有罪なのか?
主犯のアルキメデスは逮捕された後も自分の無実を訴え続けていた。留置場では、「看守が無理矢理罪を認めさせようとした」と訴えられるように、息子に自分を殴らせるよう仕向けたり……。
証拠不十分だった家族も、黙認という形で加担していたので、完全に無罪とは言い切れないだろう。普通、身内でさえ犯罪をおこしたのなら、それを認めさせ世間に対して申し訳ない気持ちを持つはずじゃないか。しかし、母親を筆頭に無実を言いはる。皆共通して罪の意識を持っていないからだ。
被害者に食事を作っていた母は、明らかに夫の犯罪に加担していた。しかも、長男が遂に父親の犯罪に耐えられないと思った時もそれを見逃さず、ビジネスが傾かないように、外国にいた次男を代わりとして呼び戻したのだ。それなのに、誰よりもまるで本当に何もしていないかのように、強気で無実を訴える。完全なる、夫に忠実な妻。