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『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』は『ライ麦畑でつかまえて』の意志を継ぐ物語? ─ アメリカにおける現実と福祉の関係性

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
(C)2017 Florida Project 2016, LLC.

とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるとこが見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない。──誰もって大人はだよ── 僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ。

 (『ライ麦畑でつかまえて』J.D.サリンジャー,野崎孝訳,白水uブックス,1984年)

『タンジェリン』(2015)のショーン・ベイカー監督最新作は、モーテル暮らしの母子の日常を描いた『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2018)である。娘のムーニー役であるブルックリン・キンバリー、母親のヘイリー役であるブリア・ヴィネイトの素晴らしい演技に多くの観客が引き込まれることだろう。

しかし、ここではあえて、2人が暮らすモーテルの管理人、ボビー(ウィレム・デフォー)に注目してみたい。ボビーは大きくストーリーに影響する場面がないし、見ようによっては「無力な大人」に映るかもしれない。しかし、アメリカ(あるいは日本)のように、行政と現実が乖離した社会では、彼のような人間がどれだけ「希望」になりえるか分からないのだ。

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
(C)2017 Florida Project 2016, LLC.

「夢の王国」からかけ離れた場所で生きる母子

本作の舞台はフロリダ州。あの、「夢の王国」と呼ばれる世界一有名なテーマパークの傍に、ボビーが働く安モーテル「マジック・キャッスル(夢のお城)」はある。だが、けばけばしい外観のマジック・キャッスルは実質上、低所得者層の住居になっていた。部屋を借りているのは老人やシングルマザーばかり。プールでは上半身裸の老婆が日光浴をして、子どもたちに笑われている。

おそらく、マジック・キャッスルも最初はテーマパークの来場客を狙って建てられたのだろう。しかし、遠方からわざわざ「夢の王国」に来た人々が安モーテルに泊まりたがるわけはない。劇中でも若い夫婦が間違ってマジック・キャッスルを予約してしまい、トラブルになる。妻はブラジル人でずっとテーマパークに憧れて生きてきた。テーマパーク内のホテルに泊まれないと分かり、彼女はヒステリーを起こす。よりにもよってマジック・キャッスルのフロントで。そう、「マジック・キャッスル」は、すぐそこにある「夢の王国」からあまりにもかけ離れた場所なのだ。

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
(C)2017 Florida Project 2016, LLC.

物語は6歳のムーニーの過ごす日常が中心になっている。無職のシングルマザー、ヘイリーは家賃を払うのも苦しいのに、一向に就職活動をする気配がない。どうも不法行為で小銭を稼いでいるようだが、ムーニーには分からない。では、ムーニーにとっての毎日はつらく苦しいものなのか。いいや。モーテルには年の近い友達がたくさんいるし、遊び場もたくさんある。何より、大好きな母親がいつも一緒にいてくれる。母親と水着になってインスタグラムに投稿したり、ショッピングカートで散歩したり、ときにはダフ屋の手伝いだってする。ムーニーの毎日は十分に楽しいし、それこそ「夢の王国」のように輝いているのだ。

ただ、映画を見た人ならお分かりだと思うが、一般的に見てヘイリーやムーニーは模範的な母子とは呼べない。最低限の義務すら果たしていないのに権利ばかり主張するヘイリーは、「ホワイトトラッシュ(白人の低所得者層を揶揄する言葉)」である。そして、ムーニーもヘイリーの極端な放任主義によって、きかん坊に育ってしまった。ムーニーが幸せなのは、現実が見えていない子どもだからである。ヘイリーが楽しそうに生きているのは、現実から逃げているだけだからである。

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
(C)2017 Florida Project 2016, LLC.

「管理人」以上の距離を縮めてこないボビー

そんな母子を苦々しく思っている男がボビーである。マジック・キャッスル管理人のボビーにとって、2人はいい客とは言えない。ムーニーは悪戯ばかりしているし、ヘイリーは家賃を滞納しがちだ。いくら注意しても逆ギレされて、聞き入れてくれない。ボビーの口癖は「今度やったら追い出してやるぞ」。それでも、気の強いヘイリーはボビーの言葉を本気にはしていないようだ。

ただし、ボビーはうだつの上がらないようなタイプの大人ではない。ムーニーの悪戯でモーテルが停電した際、ボビーは宿泊客たちに急かされながらブレーカーを上げにいく。電源を復活させて帰ってきたボビーを宿泊客たちは拍手で出迎える。そう、ボビーは住人たちから特別慕われるわけではないが、邪険にされているわけでもない。「ほどよい距離」を保ちながら、彼らの生活を管理しているのである。

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
(C)2017 Florida Project 2016, LLC.

多くのヒューマンドラマでは、ボビーのような役割の人間が住人たちと交流を深め、共に紡ぎ出すドラマに一喜一憂するのだろう。しかし、ボビーはいかなる宿泊客にも「管理人」以上の自分をさらさない。かくれんぼをしているムーニーが事務所に来ても怒らないが、鬼役の子どもが来たらあっさり居場所を教えてしまう。別の日には、涼みに来たムーニーがアイスを床に落とした瞬間、怒って追い出す。そのかわり、ボビーはムーニーたちに高圧的な態度をとらないし、家賃の督促も冷静に行っている。ボビーと宿泊客たちの「ほどよい距離」は最後まで変わらないのだ。

こうした映画の構造はどうしてなのだろう?ボビーが映画の狂言回し的なポジションだからか。しかし、本作は「ボビーの目に映るムーニーたち」よりも、「ムーニーの気持ち」の方にずっと焦点を絞っている。カメラの高さはほとんどのシーンでムーニーの目線に合わせられ、「6歳の少女の世界」を大切にしていく。中年男性のボビーは、映画の主観人物とは言えないだろう。

ボビーと『ライ麦畑でつかまえて』の類似点

ボビーの役割を挙げるとしたら、その存在自体に意味があるのではないか。劇中、ボビーが唯一、積極的にムーニーたちと関わるシーンがある。公園で遊ぶムーニーたちに、不審な男が近寄ってきたときだ。ボビーはムーニーたちが怯えないよう、穏やかに男を遠ざけたところで、怒鳴りつける。「二度とここには来るな」と。男の焦り具合から察するに、本当に良からぬ目的があったのかもしれない。

こうしたボビーの行動は、アメリカ文学の傑作『ライ麦畑でつかまえて』の主人公、ホールデン少年が憧れた存在にそっくりだ。ホールデン少年は「ライ麦畑で遊ぶ子どもたちを崖から守る存在」になりたいと告白した。高校を退学になったホールデン少年が「ほんとうにやりたいもの」は「それしかない」のだった。1951年に発表された『ライ麦畑でつかまえて』は、その後、世紀をまたいでも青春小説の代表格として読み継がれている。ホールデン少年は大人への反抗と、純粋さの象徴となり、世界中で愛されるようになった。

実際に、社会で「子どもたちを崖から守る存在」として信じられている機関は「行政」や「福祉」だろう。しかし、『フロリダ・プロジェクト』を見れば、本来的に福祉のサポートを受けてしかるべき層が、極端に福祉の介入を恐れていることがわかる。低所得層のシングルマザーにとって、福祉が介入してくるという事態は、保護者不適格の烙印を押されることと同義だからだ。ある登場人物の女性は、自分の子どもにムーニーと遊ばないよう言いつけた。問題児と行動をともにしていて、福祉局に目をつけられたくないからである。

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
(C)2017 Florida Project 2016, LLC.

児童保護プログラムによって、福祉局が子供と親を引き離すのを「自己責任」「自業自得」で片付ける人は一定数いる。その是非について語るには、とてもここではスペースが足りない。ただ、ひとつ言えるのは「福祉の基準では保護者不適格とされるような母親でも子どもには愛情があり、危険と言われるような生活を送っている子どもでも幸せを感じている」ことがある、という事実だ。

世界を変える力はなくても

保護プラグラムを掲げて否応なく家族に割って入る福祉局には「強制力」がある。それは、ボビーの「ほどよい距離感」と対照的なシステムだ。雇われ管理人に過ぎないボビーは、上司に対しても福祉に対しても、まったく抵抗する術を持たない。だからこそ、「見守ること」こそが自分にできる最上の策だとわかっている。ボビーが特定の宿泊客を贔屓してしまうと、「宿泊施設」のルールは崩れ去ってしまう。そして、弱い宿泊客ほど自活力を失い、ボビーに依存するようになるはずだ。

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
(C)2017 Florida Project 2016, LLC.

そう、ボビーはルールの範疇で、弱きものたちが「崖に落ちないよう」、支え続けているのだ。ボビーは定期的に宿泊客を外の施設に泊まらせ(一定期間を過ぎると、宿泊ではなく居住扱いになるから)、ヘイリーの不審な行動についてはそっと忠告を与える。ボビーに、ヘイリーやムーニーの世界を変えるだけの力はない。だが、彼女たちのような人間を守ることはできる。社会が認めない幸せの形を、理解して維持させてやることはできる。たとえ、そこに限度があるとしても。そう、福祉や行政を挟む前に、何人ものボビーが「ライ麦畑」を見守っているはずなのだと『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』は教えてくれる。

『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』公式サイト:http://floridaproject.net/

Writer

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石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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