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『インクレディブル・ファミリー』家庭の「内」と「外」を学ぶ、大きな子供たちの物語

インクレディブル・ファミリー
©2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

法律でヒーロー活動を禁じられ、路頭に迷ったパー一家。そんな彼らに、実業家のウィンストンからオファーが舞い込む。「ヒーローの必要性を映像に収めれば、世論を味方につけられるはず!」。そう、ウィンストンは大人になってもヒーローを愛する支援者だったのだ。Mr.インクレディブルことロバートは、ウィンストンの依頼にふたつ返事をする。ところが、任務を頼まれたのはロバートではなく妻のヘレン(イラスティ・ガール)だった……。

Mr.インクレディブル』(2004)から14年越しの続編となった『インクレディブル・ファミリー』2018)では、ロバートが直面する父として、夫としてのピンチを描いている点が前作から引き継がれている。しかし、「ピンチ」の内容は微妙に変わっていることが分かるだろう。『インクレディブル・ファミリー』は前作で描かれなかった家族の可能性をどのように反映したのだろうか。

注意

この記事では、映画『インクレディブル・ファミリー』の内容に言及しています。

インクレディブル・ファミリー
©2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

「本当の自分はこんなものじゃない」

Mr.インクレディブル』では、妻子に隠れてヒーロー活動をするのがロバートの生き甲斐となっていた。普通の会社で普通の仕事をするだけでは男としての魅力が廃れてしまう。コスチュームに着替えて、スーパーパワーさえ行使すればいつでも自分はヒーローになれるのだから! 会社をクビになったロバートはしかし、かつてのように夜な夜な悪者退治へと繰り出して自信を取り戻していく。

こうしたロバートの行動は、「大人になりきれない男性たち」の共感を呼んだことだろう。現実には、コスチュームを着て街を徘徊していたら変態扱いされてしまうし、スーパーパワーなど存在しない。しかし、社会の一部として生きる男性たちの多くは心の底で歯ぎしりをしていたはずだ。「自分はこんなものじゃない。違う場所でなら自分は輝けるはず」と。こうした男性、つまり、小さな子供を連れて劇場に行くパパたちの支持を得たことは、『Mr.インクレディブル』を大ヒットさせたひとつの側面といえる。

しかし、本当にロバートが男性の誇りを確認するには、スーパーパワーで悪者たちをやっつけるしか方法はなかったのだろうか?

誰も誉めてくれない、しかし100%を求められる仕事

『インクレディブル・ファミリー』で、妻に活躍の場を奪われたロバートは、へそを曲げつつも1人で子供の世話をし始める。妻が任務から帰ってくるまで、自分が家事も育児もこなさなくてはいけない。ところが、長女のヴァイは思春期まっさかりで初デートにソワソワするも、ロバートは上手く相談に乗れない。長男のダッシュに勉強も教えられないし、次男のジャック=ジャックはまだまだ手のかかる赤ん坊だ。ロバートはあっという間に限界を迎える。家事って、育児って、こんなに大変だったのか!

スーパーパワーで悪者を倒すのは、いってみれば楽しい時間だ。ロバートの得意分野だし、コスチューム姿でハイテク自動車を操るのは爽快である。そして、悪者を捕まえれば政府も世間も誉めてくれる。しかし、家の仕事は誰にも誉めてもらえるわけではないのに、常に100%の仕上がりを求められる。「悪を倒すためならビルや自動車を破壊してもいい」などという理屈は通らない。子供が1分たりとも学校に遅刻してしまえば、即アウトの毎日である。

Mr.インクレディブル』に狂喜した男性の観客は、少なからず冷や水を浴びせられたような気持ちになるだろう。本作のロバートは、さすがにアクションシーンで見せ場も用意されているものの、基本的には家事と育児に明け暮れているからだ。しかしロバートが成長して真の「大人」になるためには、家庭に留まる時間が不可欠だったのではないだろうか。

インクレディブル・ファミリー
©2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

幼児性をむき出しにする男性キャラクターたち

『インクレディブル・ファミリー』は、前作が言及しきれなかったロバートの幼児性を明らかにしていく。ダッシュがテレビ番組でロバートの愛車「インクレディビール」を見つけた際、彼は思わずリモコンで手元に呼び寄せようとしてしまう。まるで、「俺の玩具に手を出すな」と怒る子供のように。インクレディビールに乗りたいと駄々をこねるダッシュと、精神年齢はあまり変わらない。

ロバートだけではない。彼らヒーローを結集させ、変革を起こそうとしているウィンストンですら内面は子供のままだ。ヒーローと会うたびにメインテーマを口ずさみ、無邪気に握手をねだる。ウィンストンの隣では、妹の天才発明家・イヴリンが冷めた眼差しを送っている。男はいくつになっても玩具やヒーローが大好きだが、女は現実を見ているものだ。

ただし、自分の役割に不満たらたらだったロバートは徐々に家庭の仕事を愛し、要領よくこなせるようになっていく。父として、夫としての自信を得るために、外の世界で大暴れしていた前作とは真逆である。確かに、家庭では悪者と格闘したり、カーチェイスを繰り広げたりすることはできない。そんなド派手なアクションはすべて、今回はヘレンが担当している。しかし、別の意味で家庭もスリリングな「戦場」だ。それに、辛いことばかりではない。ささやかな幸せも家庭には毎日のように転がっている。

家庭の中も、家庭の外も、同じようにドラマティック

ロバートはジャック=ジャックがスーパーパワーに覚醒する瞬間を目撃する。しかも、ジャック=ジャックは他のヒーローのようにパワーが1種類ではなかった!ビームから変身、空間転移までありとあらゆるパワーを備えており、しかも制御ができない。ただでさえ大忙しだったロバートはあたふたしてしまう。 

だが、ジャック=ジャックの描写は特別な出来事でもなんでもない。赤ちゃんが「あらゆる可能性を持って生まれてくる」のは当然の原理だからだ。赤ちゃんが予想外の行動で家族を振り回すのも、また当然である。ロバートはジャック=ジャックの暴走に手を焼かされるが、初めてパワーを見たときには素直に感動してしまう。普通の家庭にあてはめてみてほしい。「初めて子供が立ったとき」「言葉を話したとき」を見逃して悔しい思いをする感覚は分かるだろう。ロバートは家族との時間を長く保てたからこそ、ジャック=ジャックの成長に立ち会えたのだ。 

言うまでもないが、「だから誰もが子供を持つべき」などと、短絡的な論旨を展開したいわけではない。そして『インクレディブル・ファミリー』のメッセージもそこにはない。重要なのは、「華々しく見える外での仕事」も、「地味に見える家庭内の仕事」も、同じくらい大変でドラマティックだという点だ。『インクレディブル・ファミリー』は前作と夫婦の立場を逆にすることで、「仕事」と「家族」という普遍的なテーマを掘り下げたのである。

『インクレディブル・ファミリー』は、「子供」の物語だといえる。ロバートやウィンストンのような、大人になることを拒み続けている男性たちを描いているからだ。そして、ロバートたち「大きな子供」をあえて突き放す「女性」の映画でもある。劇中、ヘレンやイヴリンが男性たちと保つ冷静な距離感は、彼らに成長を強いるだろう。すべての人に見てほしい映画だが、やはり、パパは特に背筋を正してスクリーンに向き合ってみてほしい。

映画『インクレディブル・ファミリー』は2018年8月1日より全国の映画館にて公開中

『インクレディブル・ファミリー』公式サイト:https://www.disney.co.jp/movie/incredible-family.html

Writer

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石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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