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映画における「感動ポルノ」とは何か ─ 『グレイテスト・ショーマン』『ワンダー 君は太陽』への声で思うこと

ワンダー 君は太陽
© Motion Picture Artwork © 2018 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.

ただ、「だからこの映画は素晴らしいのだ」と、自分は書く気になれない。なぜなら、「『感動ポルノ』でないこと」がそのまま、秀作の条件になるという論理が納得できないからである。自分は『ワンダー 君は太陽』がクリシェ(食堂、演劇、サマーキャンプ…)を引用しつつ、現代的な学園ドラマになっている点を評価する。実際、当メディアTHE RIVERが行ったスティーヴン・チョボスキー監督へのインタビューでは、学校教育についての話題で熱を帯びているのが分かるだろう。「感動ポルノ」にあたらないと主張することが、こうした美点の説明にはならないと思うのだ。 

障害者の立場から寄せられた『ワンダー 君は太陽』への批判

一方で、『ワンダー 君は太陽』に寄せられた批判の中でも考えさせられる意見はあった。「School Library Journal」掲載のLauren Barackの記事、そして、「TONIC」掲載のAriel Henleyの記事である。Barackは骨形成不全症の女性の言葉を引用しており、Henleyは自身が骨形成不全症を抱えた書き手だが、それぞれの記事で同様の批判が展開されている。つまり、「どうして健常者の子役に特殊メイクをさせてトリーチャーコリンズ症候群の演技をさせているのか」という論旨だ。

ワンダー 君は太陽
© Motion Picture Artwork © 2018 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.
Henleyはアメリカにおける骨形成不全症の人口にまで言及し、本当の障害者に特殊メイクなしで演技をさせるべきだったと主張する。恥ずかしながら、まったく筆者には生まれなかった発想だ。マイノリティについての表現が問題視されたとき、我々は「当事者の気持ち」を無視して議論を進めがちである。しかし、あらゆる問題には「傷ついた人がいるかどうか」「その人はなぜ傷ついたのか」を優先して向かい合わなくてはいけないのではないと、Henleyの記事は気づかせてくれる。

BarackHenleyの文章は、『ワンダー 君は太陽』の完成度、感動とは別に、社会全体のリテラシーについて問題提起している。ただ、こうした問題は、チョボスキー監督やプロデューサーが悪いというより、もちろんオギー役のトレンブレイに責任があるわけでもなく、当事者への基本的な配慮さえも我々の社会が共有できていなかったのが原因だろう。 

映画界では、知的障害のあるキャラクターなどについて、実際に障害のあるキャストが演じる機会は増えている。ただ、オギーのような骨形成不全症のキャラクターに対しては、これから少しずつ映画界が認識を改めていくものと信じたい。『ワンダー 君は太陽』がろくでもない内容の散々な映画であれば、そもそもこうした議論の対象にすらならなかっただろう。劇映画として最低限の秩序が保たれているからこそ、健全な議論の呼び水となることができたのは記しておきたい。 

「感動ポルノ」という言葉が汎用される状況の是非

BarackHenleyの記事に含まれる深い視点は「『感動ポルノ』かどうか」という基準だけで作品を評価して満足を覚えてしまうと、見逃す恐れがある。Barackの記事では「inspiration porn」という単語が用いられているものの、そこに主旨がないのはしっかり全体を読めば明らかだ。 

ヤングさんが「感動ポルノ」という造語を生み出した経緯は、極めて的確な現状認識に基づいている。しかし、あまりにも表現が巧みで、誰もが「使いたくなる」ポップさもあったため、文脈に関係なく濫用されるようになった。もちろん、言葉とはそういうものだし、時代とともに意味が広がっていくのは当たり前だ。ただ、その言葉本来の意味が、非常にナイーブな領域に向けられていたならやはり、過度の汎用をどこかで控えることも大切なのではないか。

これは提言でも提起でもない。ただ、単なる「宣言」として、筆者は「感動ポルノ」という言葉を、ヤングさんが定義した以外の文脈では使わない。そして、本来の文脈ではあっても、他に相応しい形容があるなら「感動ポルノ」と表現することはないだろう。 

映画に限って書けば、「感動ポルノ」という評価は、作品のテーマ性や映像的完成度、プロットといった魅力(あるいは欠陥)にかかわらず、観客の印象を決定づけてしまう可能性をはらんでいると思う。そして、「『感動ポルノ』ではない」という評価が、健常者側が作品を楽しむうえでの「免罪符」として機能している状況も本質は変わらない。メディアの末席で文章を発表する立場の人間としては、レビューで「感動ポルノ」という言葉を出した瞬間に敗北感も覚える。なんだか、他人のパンチラインに便乗しているような気がしてくるのだ。 

Writer

石塚 就一
石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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