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映画における「感動ポルノ」とは何か ─ 『グレイテスト・ショーマン』『ワンダー 君は太陽』への声で思うこと

ワンダー 君は太陽
© Motion Picture Artwork © 2018 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.

「感動」の中でも検証が大切だ

さらに、「『感動ポルノ』か否か」という評価軸に固執してしまうと、そもそもマイノリティを描いた映画で、感動的な演出を行うことの是非にも発展する恐れが出てくる。ただし、多くの人々の心を揺さぶることで、テーマが明確に伝わるなら「感動」も映画的文法のひとつとして残されるべきではないか。

特に作品名は述べないが、セレブ俳優がオスカー欲しさに無惨なオーバーアクトで障害者を演じるようなお涙頂戴映画があるのは事実だ。こうした映画にはしかるべき批判が必要だとは思う。だが、『チョコレートドーナツ』(2012)のように、緻密な考証と当事者意識に基づいて障害者を描いた映画もある。両者を「感動をあおっているから」という理由で同じ「感動ポルノ」のカテゴリに入れるのはフェアではないだろう。要は、「検証」が大切なのだ。

ただ、筆者と同じ意識を映画ファンやSNSユーザーに押しつける気はない。それでもせめて、これから『グレイテスト・ショーマン』や『ワンダー 君は太陽』を観たり観返したりする人は、「『感動ポルノ』かどうか確かめてみよう」という視点から、自由になってみるのをおすすめしたい。そのうえで、もしも違和感や不快感を抱いたとしてもすぐ「感動ポルノ」だと断定せず、その原因を真摯に探ってみてほしいのだ。

考えた末に、やはり「障害者が美化されている」と感じたなら、「では、どのような点が美化されているのか」を掘り下げてみることが大事だと思う。最終的に「どうしても『感動ポルノ』としか思えない」と言うなら、それも大切な意見として受容されるべきだろう。本来なら、こうした見方はすべての映画にあてはめられる。しかし、一部の映画作品では、最初から「感動ポルノ」という強烈すぎるベクトルに鑑賞眼が支配される可能性も念頭においてみてはどうだろうか。 

海外作品から日本は学ぶべき点が多い

誤解なきよう述べておくと、筆者はヤングさんのスピーチも、「感動ポルノ」という言葉が発明された経緯自体も否定していない。むしろ、筆者はヤングさんのウィットと行動力にリスペクトを抱いている者の一人だ。「感動ポルノ」という言葉を使えるようになったことで、日頃、表現の世界に対して抱いていたモヤモヤを解消できた人もたくさんいるだろうと認めてもいる。だからこそ、筆者は彼女の言葉を大切にしたいと思うし、(おぞましすぎてこの場で掲載するのもはばかられるような)ネットスラングと同じような気軽さで消費されてほしくないと願う。「使わない」ではなく、「本来の意味を気にして使いたい」と感じるのだ。 

非常に残念な事実ながら、日本のポリティカル・コレクトネスへの意識は欧米に比べると、筆者も含めまだまだ「勉強中」といわざるをえない。だからこそ、『グレイテスト・ショーマン』や『ワンダー 君は太陽』のような海外作品が招く波紋は、日本の映画ファンとメディアがともに意識を高めあっていくきっかけになりえる。何も筆者の意見が絶対的に正しいとは思っていないし、真逆の意見もあるはずだ。読者のみなさんの活発な議論のたたき台として、この記事が機能すれば幸いである。

Writer

石塚 就一
石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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