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クエンティン・タランティーノが『ジョーカー』を絶賛、クライマックスの「逆転」を自ら解説

ジョーカー
TM & © DC. Joker © 2019 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited and BRON Creative USA, Corp. All rights reserved.

『パルプ・フィクション』(1994)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)の映画監督クエンティン・タランティーノが、DC映画『ジョーカー』(2019)のクライマックスに賛辞を寄せた。タランティーノは、本作が仕掛けた“逆転”に心をつかまれたことを明かしている。

この記事には、映画『ジョーカー』のネタバレが含まれています。

クエンティン・タランティーノ
Photo by Gage Skidmore https://www.flickr.com/photos/gageskidmore/19702707206/

タランティーノといえば、凝った作劇とせりふ、ジャンル映画への偏愛、振り切った残酷描写、往年のカルチャーからの引用などで知られるフィルムメーカーだ。英Empireで『ベイビー・ドライバー』(2017)のエドガー・ライト監督と対談したタランティーノは、「今はいったい何年? 『ジョーカー』は『タクシードライバー』(1976)だし、『アド・アストラ』(2019)は『地獄の黙示録』(1979)だし、過去の野心的な映画がポップカルチャーの加工物になっているよね」と指摘。しかし、『ジョーカー』の試みには大いに心動かされたことを認めている。

「大きな“逆転”が起こると、観客が反応する。スクリーンで何かが起こり、効果が生まれると、劇場の空気が変わるのを感じる。[中略]『ジョーカー』のトークショーのシーンでは、そういうことが非常に高い次元で起きていた。実際、ほとんどの観客の理解を超えたものだったと思います。あのシーンで、劇場の空気ががらっと変わったから。」

主人公のアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、コメディアンを目指してステージに立つが、あろうことか、その様子は憧れのテレビ司会者・マレー(ロバート・デ・ニーロ)によって番組の中で笑いものにされてしまう。時を同じくして、自分の真の出自を悟り、恋人の存在が妄想だったことを理解したアーサーは、“ジョーカー”を名乗ってマレーの番組に出演。自らの殺人を暴露し、世間への不満を吐露すると、ついにはマレーを生放送中に射殺した。

タランティーノは、このシーンを「もはや単なるサスペンスじゃない。客席の誰もが心をつかまれ、完全に引きずり込まれていた」と語っている。優れた脚本家・映画監督であるタランティーノは、『ジョーカー』の取り組みをこのように分析しているのだ。

「大きな“逆転”が高い次元で起こるとはこういうことで、これは単なるサスペンスでも、ただ魅力的でエキサイティングなだけでもない。ジョーカーが狂っている以上、監督は観客を“逆転”させているわけだ。つまり、ロバート・デ・ニーロの役(マレー)は特別に悪役らしい男じゃない。クソ野郎だとは思うけど、デヴィッド・レターマン(実在の司会者)とそう変わらない、ただのクソ野郎のコメディアン、司会者だ。だから、特に死ななきゃいけないほどの人間じゃない。だけど観客はジョーカーを見ながら、ロバート・デ・ニーロを殺してほしいと思ってしまう。銃を手にして、彼を見つめて、頭を吹っ飛ばしてほしいと思うんだ。もし殺さなかったら、みんな腹が立ったと思う。それがすごい“逆転”なんだよ!」

興奮しながら語るタランティーノは、トッド・フィリップス監督を「狂人と同じような考えを観客に抱かせることに成功した」と称える。「(観客は)みんな嘘をつくだろうけど。“そんなことは望んでなかった”とか言ってさ。そんなのはとんでもない大嘘ですよ、みんなそう思ってたんだから」。

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Source: Empire, The Playlist

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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