【インタビュー】『ピアッシング』新たな鬼才ニコラス・ペッシェ監督が企む「恋愛と暴力の美学」 ─ 小説から映画への冒険、次回作は『呪怨』リブート版

殺人願望を持つ男と、自殺願望を持つ女の、あまりにも長い一夜。
日本を代表する作家・村上龍の同名小説を映画化したサイコスリラー、『ピアッシング』が2019年6月28日(金)より新宿シネマカリテほか全国の映画館で公開される。
恐ろしく、美しく、ロマンティックで、かつ緊迫感にあふれた男女の物語を見事に演出し、原作者の村上からも絶賛を受けたのは、1990年生まれの新鋭ニコラス・ペッシェ。このたびTHE RIVERは、この異形の作品を生んだ才能にインタビューする機会に恵まれた。

小説から映画へ、大胆な発想の転換
主人公の男リードは、自分のまだ幼い娘をアイスピックで刺したいという衝動に悩まされていた。現実に娘を刺さずにすむよう、リードはSM嬢をホテルに呼び出し、そこで殺害する計画を立てる。ところが、計画は思い通りにはいかなかった。ホテルに現れた女、ジャッキーはいきなり自分の身体を傷つけて倒れてしまう。リードはジャッキーを殺せるのか、ジャッキーはどこまで悟っているのか、真意はどこにあるのか……。
村上龍による原作小説を映画化した本作は、舞台を日本からアメリカに置き換えた以外にも大胆な翻案に挑んでいる。ストーリーの流れは忠実だが、小説が男女それぞれの一人称で、膨大なモノローグとセリフによって進行するのに対して、映画版はモノローグ(心の声)が採用されていないのだ。脚本を自ら執筆したニコラス監督は、モノローグを映画版にあえて導入しなかった意図を明らかにしている。
「原作にはモノローグがたくさん入っていますが、映画化に際してはあえてモノローグを入れないことで、観客が劇中の登場人物と同じような立場になって、何も知らないまま、色々な疑問を持ちながらストーリーを追いかけていくことになります。それがサスペンスをさらに高め、意外性のあるユーモアにつながっていくことを狙いました。」

モノローグをカットしたということは、男と女、その片方しか知らない事実は劇中で直接示されないということだ。原作では丹念に描き込まれたそれぞれの過去もカットされ、物語の舞台は、2人が出会った一夜のみに絞り込まれる。
「登場人物の出会いによる“ゲーム性”を高めたいと考えたんです。心情を細かく描写することより、スクリーン上で起こる出来事の即時性を重視しました。2人が初めて出会う時、観客も初めて彼らと出会う。登場人物と観客が、一緒になって、2人の心の動きを感じとっていくことになるのです。分かりやすく説明するのではなく、見たままを感じてもらうことが重要だと思います。」
同じく観客の印象に残るのは、ビル群のミニチュアによって作り出された街の風景や、タクシーに乗る2人の顔に差す奇妙な光、そして仰々しい音楽だ。まさしく“映画ならではの表現”によって、監督は“これは映画である”との虚構性を強調している。
「この物語は寓話であり、神話や伝説のような側面をもつ作品にしたいと思いました。そこで、ファンタジー的な要素を重要視しています。2人のマインドゲームは、リアルな世界ではなく、ファンタジーの世界で起こっているのだという方向性です。この映画の世界はすべてファンタジーで、私たちは2人の間で起こる奇妙で歪んだゲームを見ている。だから虚構の世界での出来事なのだという要素を押し出して、リアルな世界から生まれた、空想的なリアリティを見せたいと思いました。」

ラブストーリーとバイオレンス
ニコラス監督は、男女の一夜に焦点を絞り、ファンタジックな演出をもって、“まるで2人しか存在していないかのような”世界をスクリーンに映し出した。2人のスリリングな攻防戦は、やがて男女が互いの肉体と生死のみに強烈に惹きつけられていく、極めて純粋なラブストーリーとしての美しさも獲得する。