Menu
(0)

Search

ゲームクリエイター小島秀夫&『ポゼッサー』ブランドン・クローネンバーグ監督が対談 ─ ふたりが解き明かす「人間の意識」、ゲームと映画製作の違いや共通点にも迫る

『ヴィデオドローム』(1983)『ザ・フライ』(1986)『クラッシュ』(1996)など、映画史に残る強烈な映画を世に送り出してきた鬼才デヴィッド・クローネンバーグ。その異常すぎる才能の遺伝子を受け継いだのが、息子で監督のブランドン・クローネンバーグだ。

セレブのウイルスが売買される近未来を舞台に、奇抜な物語と独創的な映像で世界を激震させた長編初監督作『アンチヴァイラル』(2012)。その狂気の世界観をより一層洗練させた第2作が、2022年3月4日に日本公開を迎える『ポゼッサー』だ。自分の脳を標的者の脳にトランスフォームし、人格を乗っ取った上で、第三者の暗殺を遠隔操作で実行させる女タシャ(アンドレア・ライズボロー)と、人格を乗っ取られた男コリン(クリストファー・アボット)、ふたりの生死を賭けた攻防が、冷徹で研ぎ澄まされた映像美のなかで繰り広げられていく。

現代の映画界を牽引する監督クリストファー・ノーランやドゥニ・ヴィルヌーヴに続く新時代を告げる鬼才の衝撃作に、「久々に恋をした」と絶賛したのが、『メタルギア』シリーズや『DEATH STRANDING』などのゲームクリエイターとして知られる小島秀夫(以下小島)だ。実のところ、もともとクローネンバーグ監督は小島が作るゲームの大ファン。小島が『ポゼッサー』のLPをTwitterにて投稿したのを目にし、エージェントを通し連絡、親交が生まれたのだという。そしてこの度、クローネンバーグ監督と小島の貴重な対談が実現。現代における“人間の意識”や、“ゲームと映画”についての思いをふたりが存分に語り明かしている。

小島秀夫が恋した『ポゼッサー』

ポゼッサー
©2019,RHOMBUS POSSESSOR INC,/ROOK FILMS POSSESSOR LTD. All Rights Reserved.

ダリオ・アルジェントによる『オペラ座/血の喝采』(1987)の技術面から影響を受けたという本作『ポゼッサー』は、画面を飛び交う血飛沫、鮮血の描写が残酷にも美しい。その類まれなる映像表現はもちろんのこと、小島が感銘を受けたのはテーマそのものだという。

小島「ビジュアルとルック、音楽も素晴らしいのですが、題材が非常に僕の肌に合っていました。最先端のテクノロジーを使って、どのように日常が変貌していくのかを描くのがSFだと思うのですが、それが社会をどう変えるかというよりも、このギミックを使って人間の肉体と魂とは?というような哲学的な領域に踏み込んでいるエンタメでもあるので、そこが僕の琴線に触れて、キュンときたのです。」

男の肉体に入り込んだ暗殺者タシャと、その暗殺者に人格を完全に支配されていたはずの男コリンの自我が、次第にひとつの肉体の中で混ざり合っていく『ポゼッサー』。クローネンバーグ監督は、前作『アンチヴァイラル』の記者会見にて公の場での自分の人格を作り上げていく過程で、“まるで自分が自分でないような感覚”に陥り、急遽自身の人格を再創造する必要を迫られたという。その奇妙な経験から本作の物語を書き上げたのだ。つまり、“本当の自分とは何なのか”といった哲学的な題材が紐解かれていく作品でもあるわけである。

「すごく嬉しいです。そんな素敵な言葉をかけていただいて」と喜ぶ監督のクローネンバーグに、小島は本作に惚れ込んだ要素をさらに詳しく説明していく。

小島「デジタルでほぼ色々なことが表現可能になっている中で、もちろんデジタルや、特殊メイク、色々なことを駆使して表現されているとは思うのですが、冒頭で水が逆向きになったり、ゴミのようなものが空中に浮いていたりする表現や、マスクをかぶるシーンなど、いまの映像作家としてあそこまで斬新に成功させるのは難しいと思います。そこのセンスの良さですかね。どの画面を切り取っても、ルックは新しいですし、誰にも真似できないものを作っていると思います。」

このマスクをかぶるシーンというのは本予告編からも確認可能だ。そのマスクは人間の抜け殻のような異様な姿をしており、観る者に強烈な印象を与える。またクローネンバーグ監督は独自の世界観を具現化するにあたり、CGよりもフィジカルな特殊効果にこだわり抜いて製作に挑んだ。その異常ともいえるこだわりについて、クローネンバーグ監督は以下のように説明している。

クローネンバーグ監督「今回は、フィジカルな特殊効果をその場で実際にやってみて撮影するという手法を取りました。つまり、それは手で触れられるということです。CGに対して何か思うところがあるわけではありません。ただ、よりフィジカルな、あるいは触れられるようなものにすることで、スクリーンに映し出したとき、重みが現れてくるのです。観客というのは、そういうところにすごく反応してくれるので、そのように作りました。たとえば、この映画を観た方で、“すごく暴力的だ”と話す方がいたのですが、それは多分、フィジカルな特殊効果を多用したからでしょう。そういうエフェクトを最近観ることはあまりなく、慣れ親しみがないからこそ、その暴力性に反応してしまったのではないかと考えています。

このフィジカルな特殊効果に関しては、かなり実験的な要素があります。かなり長い時間をかけて特殊メイクのアーティストと、いつも組んでいる撮影監督とともに、レンズだったりジェルだったり、フィジカルな特殊効果で何が出来るのかといったところを試行錯誤していきました。そのなかで、ヒントになるものを見つけ、それをさらに掘り下げていくと、最終的に映画に欠かせない本質的なものにたどり着くという感じでしたね。そもそも僕は、CGアーティストではないので自分では出来ません。だからフィジカルな特殊効果、つまり自分の手で触れて、実験していくことによって、ビジュアルを固めていきました。」

映画とゲーム

ポゼッサー
©2019,RHOMBUS POSSESSOR INC,/ROOK FILMS POSSESSOR LTD. All Rights Reserved.

小島は、1987年に発売された初監督作品『メタルギア』でデビュー。それ以来、ゲームクリエイターとして第一線を走り続けている。2019年に発表されたオープンワールド・アクションゲーム『DEATH STRANDING』では、人々や都市が引き裂かれ、分断され、滅亡の危機にさらされている世界を舞台に、主人公のサム・ポーター・ブリッジズが、“他者との繋がり”を取り戻すため奮闘していく姿が描かれた。まるで映画を体験しているかのような没入感あふれる映像表現に世界中が衝撃を受けた一作だ。“僕の体の70%は映画でできている”という小島に、クローネンバーグ監督はある質問を投げかける。

クローネンバーグ監督「小島さんのゲームというのは、やはり独創性をすごく感じさせられます。映画作りの場合は、ご存知のように作業していく中で、特殊効果や俳優たちによる演技など、色々な理由はあれど、偶然の産物とでもいいますか、そこで生まれたものによって作品を定義付けるようなビジュアルになっていく、というようなことが映画ではよくあります。これと同じようなことは、ゲームの開発でもあるのでしょうか?」

監督の真っ直ぐな質問に対して、小島は次のように答えている。「ゲームはすべてデジタルの塊なので、いわゆるアニメーションと同じです。作りたい画を作れるといいますか、絵コンテがあるので、そこに向けて素材を集めていきます。そこにスタッフとのやりとりの中での偶然性というのはありますが、基本的には当初のイメージした計画に沿ってフィニッシュさせられます」。

もっとも映画と同じように、デジタルではなくアナログを活用したり、偶然の産物をあえて仕様にすることもあるのだという。

小島「ジョージ・ミラーの『マッドマックス』のように、絵コンテをそのまま再現するというのもあります。そこに俳優や声優など、もっとフィジカルなものが入ってくることで、映画と一緒で、俳優たちの体調が悪かったり演技だったりで変わってくることもあります。ただ僕はずっとデジタルをやってきたので、その作り方に飽きてきてたんです。アナログの素材を入れることで、偶然の産物がデジタル世界に入り、予期せぬ表現が生まれるのが、逆にたまらないんです。

最近は服装もデジタルでやるのではなく、その服を実際に作ってスキャンしたり、特殊メイクも専門家に頼んでスキャンしたりしていて、そういうところでの化学反応みたいなものを意図的に入れるようにしています。あとゲームにはバグというものが出てしまうのですが、そのバグ表現が良くて、そのまま仕様にすることもありますよ。

一番大きいのは、ゲームは完成していないということですかね。そのゲームをユーザーがプレイすることで、作品が完結します。そこでどのように遊ぶのかっていうのは、作り手側の僕には制御できません。そこはもうライブです。どういう画を作るのかっていうのをこちらがいくら画策しても、プレイヤーがカメラを変えるものなので。そういったライブ感みたいなものが映画とは違うところなので、デジタルの塊でもユーザーに届く時点で面白い化学反応が生まれるわけです。」

“バグを仕様にする”ことについて、クローネンバーグ監督は「そうじゃないかなと思っていました」と興味を示した。この監督の反応に対して小島は、「ルックの表現では、バグが出たことによる閃きみたいなのものがあります。テクノロジーがある種、反逆を起こしたことで、アートに入るといいますか、そういうことは結構あります」と続けた上で、「『メタルギアソリッド4』でスネークがオクトカムという背景の素材に近いものに偽装するという仕様があったのですが、これはもともとバグでした」と打ち明けた。オクトカムのステルスデザインはバグから生まれたというわけだ。

いまではデジタルとアナログの両方を取り入れている小島だが、30年前までは、ゲームと映画では製作過程において大きな違いがあったという。もっとも、今では映画もゲームも、アナログとデジタルの両方を活用しながら製作されている時代だ。「最終出力先が映画なのか、それともゲームなのかという違いはありますが、いまではほぼ共通言語で話せるものだと思っています」。

2021年7月、『第9地区』(2009)をはじめ、『エリジウム』(2013)『チャッピー』(2015)などで知られる映画監督、ニール・ブロムカンプがゲーム開発に本格参入することが報じられた。クローネンバーグ監督もまた、ゲーム開発に携わっていた経歴があり、そのときの経験を映画に活かせないか模索中なのだという。

クローネンバーグ監督「守秘義務を結んでいるので、どのゲームについてかはお話することが出来ないのですが、最終的には開発されなかったゲームで、モーションキャプチャーの監督をやらせてもらったことがあります。そのときに触れたゲームのテクノロジーがすごくエキサイティングなものでした。それを映画に持ってこれるかどうかはまだはっきりとしていないのですが、たとえば演技を先にバーチャルカメラでキャプチャーすることで、あとでどのテイクを使うのかを選ぶことが出来るわけです。それが映画とは全く違うところなので、すごく興味深いものでしたね。」

バーチャルカメラとは、コンピュータのソフトウェアで作られた仮想空間の中を撮影できるというもの。そこはまさに自由自在に操作が行える世界なわけだが、小島いわく自由ゆえに無限に作業が出来てしまうのだという。「バーチャルカメラ自体は良いのですが、終わらないんです。“今日はこれで納得”となった次の日にはやっぱりいじってしまうみたいな。やはりデジタルなので、ラインを自分で引かないとなかなか終わらないですよ(笑)」と、小島は実体験を語る。ところが、クローネンバーグ監督はそこに惹かれているのだという。

クローネンバーグ監督「そこが僕は羨ましく思うところです。今ちょうど最新作の編集中で、もしも撮影時に戻って、別のカットだったり、別の演技だったりを持って来られるのであれば、2倍の編集時間がかかったとしてもそれをやってみたいと思います。プロデューサーには殺されると思いますが(笑)。」

ゲーム作品は小島の言うように、プレイヤーがゲームをプレイしてはじめて完成するもの。一方で映画は、作り手側が観客の体験をある程度コントロールすることができるのだ。そういった点が、クローネンバーグ監督にとっての映画製作の素晴らしさだという。「コントロールできる範囲であれば、映画は本当に素晴らしい媒体だと思います。何を映すべきなのかを完全にこちら側で決めることが出来て、それを観客は選ぶことが全く出来ません。だから、もしもゲームデザインをすることになったら、僕は正気ではいられないと思いますね(笑)」。

映画でありゲームでもある『ポゼッサー』

ポゼッサー
©2019,RHOMBUS POSSESSOR INC,/ROOK FILMS POSSESSOR LTD. All Rights Reserved.

映画とは登場人物たちが勝手に動いていて、そこに観客が気持ちを乗せ、共感しながら進んでいくものだという小島。一方で、ゲームはキャラクターを自分自身で操作して動かしていくもので、そこが映画との大きな違いであるとしている。しかし小島いわく、「『ポゼッサー』にはその両方の側面があると思っています。“操られる者、操っている者”というのは、これからのメタバースと言いますか、僕にとってこれは映画の映画でもあり、ゲームの映画でもあります。そして、これからの時代に問われる人類の課題みたいな哲学的な側面もありますよね」とのこと。果たして、ここにゲーム的な狙いや影響はあったのだろうか。クローネンバーグ監督は以下のように答えた。

クローネンバーグ監督「もちろんです。僕はずっとゲーマーなので、いままでのゲームでの経験が映画作りに反映されていることは当然あると思います。他の人格を乗っ取って、自分とはまた別の人生を歩み、経験する。それが逆に自身の記憶であったり、あるいは人生や性格に影響を与えていくというのは、すごくゲーム的なところがあるでしょう。

それと同時に、僕たちが毎日していることにも近いと思っています。僕たちは毎日、人の前でパフォーマンスをしていて、自分の人格というものを構築しながら行動しているわけですよね。これは他人のためではなく、自分のためにも行っているものなのではないか、キャラクターを演じているのではないか、というように思っているので、そこからも着想を得ています。そこにプラスして、これまでのゲームの経験というものが、自分とは異なる肉体に入り、あるいは状況に入り、そのキャラクターの周りの要素を埋めていくという部分に繋がっているのだと思います。」

第4の壁を壊す『メタルギアソリッド』

クローネンバーグ監督は、“第4の壁”への関心を語った。「いわゆる第4の壁を壊すみたいな、誰がコントロールしているのかわからない、というようなゲームの演出や表現の可能性に興味があります」。

“第4の壁”とは、もともと演劇に用いられていた概念で、舞台と観客席を隔てる想像上の見えない壁のこと。フィクションである演劇の世界と観客のいる現実世界を分けるものだ。その壁を壊して、フィクションの登場人物が現実に干渉してくることで、観客は現実とフィクションの境界が揺らぐことに幻惑される。映画『デッドプール』シリーズや、ドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」(2013-2018)などで主人公が観客に語りかけてくる演出が“第4の壁の破壊”だ。

小島は、「第4の壁を壊すことは昔から僕も好きで、ゲームでは色々とやっています」と返す。そのひとつが、『メタルギアソリッド』シリーズのボスのひとりであるサイコ・マンティスだという。読心能力をもつサイコ・マンティスが、プレイヤー自身に語りかけるといった仕掛けが用意されている。PlayStationのメモリーカードにあるセーブデータをもとにプレイヤーのゲームの趣味を言い当てたり、これまでの行動成績をもとに性格診断したりする。自分がスネークなのか、ゲームをプレイしている個人なのか困惑する。まさにゲームで小島は第4の壁を壊していたわけだ。

小島「コンシューマーのゲームというのは閉じた世界だったんです。僕はプレイヤーがいるリビング、そのリビングを通りかかるお母さんや兄弟を含め、そこまでをゲーム性に取り入れたいと思っていたわけです。それで色々な手法でやってきました。ただ当初は、プレイヤーから強い反発があったんです。“興醒めする”、“ストーリーに没入できない”みたいな。ただ、35年ぐらい経ってようやく理解されてきたのかなと思っています(笑)。」

プレイヤーたちからはなかなか受け入れられなかった要素だという小島に対して、クローネンバーグ監督は「僕は以前からそういうところが大好きでした」としながら、小島による革新的な演出の虜になっていたひとりだったことを明かしている。「(サイコ・マンティスに)メモリーカードを読まれて、ゲームの趣味を当てられたときにすごく感動したことを覚えています」。

インターネット時代における意識

ポゼッサー
©2019,RHOMBUS POSSESSOR INC,/ROOK FILMS POSSESSOR LTD. All Rights Reserved.

『ポゼッサー』では、暗殺者に憑依されたばかりのコリンが、“これまでとはどこか違う自分”、“何かに支配されている”ような感覚に陥る姿が描かれる。現代では、SNSなどインターネット上にて容易に人と繋がったり、情報を得たりすることができる。それは誰もが無意識に、何かから影響を受けている可能性があるということだ。

“いまの自分の行動や発言は、本当に自分自身の意思によるものなのか”、“アイデンティティーを構築するものとは何なのか”。これは本作における重要なテーマであり、小島が言うように「これからの時代に問われる人類の課題」なのかもしれない。ふたりはこのことについてどのように考えているのだろうか。まずは、小島からの答えを聞いてみよう。

小島「ブランドンさんが先ほど話されていたように、僕たちはあらゆるものに影響されていて、ある種、自分を演じていたり、真逆の自分を人に見せたりということは日常でよくあることだと思います。『ポゼッサー』では個が融合するといいますか、反発するといいますか、そういう物語だと思っているのですが、今まで体験してきたもの、あるいはゲームや映画も含めて、あらゆるものが自分の個として引きつけて、自分の方向を示すとでもいいますか。

人間というのは自分の意思で明日への一歩を歩んでいるように思いがちですが、『ポゼッサー』を観て思うのは、実はそうではないのかもしれないということです。今日会った人たちからの影響や、今日吸った空気や、嗅いだ臭い、見た報道や事件など、そういうもので自分の行動が変わり、その結果、未来が変わるものだと思っています。たったひとり山の中で生きているとかであればわかりませんが、ブランドンさんと会った僕も、会う前の僕とはもはや違う人物ですしね。そういう意味では、自分の意思というよりかは、社会の中での生き物、群れとしての思考が明日を作るといいますか、個性を作るものなのではないかと思います。」

一方、クローネンバーグ監督は、「“意思”というコンセプトは、生物学的観点からもすごく複雑なものです。『ポゼッサー』はもちろんフィクションで、こういう世界や、こういう話が起こるとは思っていません」としながらも、「この映画に向けてリサーチをしていくなかで、ホセ・デルガードというアメリカの脳科学者について知りました」と興味を抱いた人物の実験内容を説明する。

クローネンバーグ監督「彼は動物や人間を被験者として、チップを脳に埋め込み、それを刺激して遠隔操作で対象者をコントロールできる、あるいはコントロールする実験を行っていました。実際、物理的に手とか目とかを動かすことが可能だったようです。また、リサーチャーに恋に落ちるよう脳に刺激を与えることまで出来たみたいで。“つまり愛でさえコントロールができる”、というような実験結果になったと彼は口にしていたのです。

その中でも自分が一番面白いと思ったのは、ある実験で脳の一部を刺激すると、必ず被験者が立ち上がり、そのまま部屋をぐるぐると回って、また座り、そして行動を起こすというものがありました。この時に被験者が毎回、“なぜ自分がそういう行動をしたのか”という理由を自分で決めつけていたんです。例えば、“靴を探していたから”、“音が聞こえたから”、というふうに自分の行動に対して、後付けで理由を作り出していました。

脳というものは、そうやって自分自身の行動であると思わせるように、理由付けを出してくるようなことをするのだとわかり、それが本当に興味深いと思いました。それは人類全員がそうであるからだけではなく、特に今日に照らし合わせると面白いですよね。SNSの影響であったり、あるいは、とある外国の選挙に与える影響であったりなど。つまり、“これは一体誰の意思なのか”、“自分の意思を個人として所有できているのか”というように考えさせれるもので、それはとても興味深い投げかけだと思います。」

未知なるものへの恐怖

ポゼッサー
©2019,RHOMBUS POSSESSOR INC,/ROOK FILMS POSSESSOR LTD. All Rights Reserved.

『ポゼッサー』では、“操られる側”の恐怖、その意識を奪還されそうになる“操る側”の恐怖が描かれるわけだが、ふたりにとって恐怖に感じるものとは何なのか。小島は、「一番の恐怖は知らずに死ぬことです」と答えた。「僕はもう歳なので、知らないものをそのままにして死にたくないという思いがあります。まず不可能だとは思いますが、この世に存在するあらゆるものを知りたくて」「大人になれば、あらゆる宇宙や生命、社会の謎についてすべて解けると思っていました」。しかし、そう上手くはいかなかったのだという。

この小島の答えに対して、クローネンバーグ監督もまた共感を示しており、それこそが人間であることを証明するものだという持論を展開している。

クローネンバーグ監督「おそらく僕たちは若い頃、ある程度の年齢になれば、経験を積むことで、ハッとするような瞬間があると考えているのではないでしょうか。それで全てのことへの整合性を感じられるだろうと思いながら大人になっていくわけですが、実はそれが果たせていないということに歳をとってから気がつきます。本来であれば、目覚めみたいなものを通して、生きることであったり、死ぬことであったりということが理解できてから最期を迎えられると思ってしまっているわけです。ただ、実際はそんなことはなく、同じことの繰り返しですよね。

逆に言えば、それを理解することで、人間であることに近づくのかもしれません。つまり、絶対的な意味や価値というのは存在していると思いますが、逆に人間である限りは、その意味を知ることは出来ないでしょう。また人知を超えたものであるという認識を持つこと、その居心地の悪さを感じるというのが、僕たちが人間であることを認識する方法なのではないかと思っています。」

その未知なるものこそが一番の恐怖であり、それがなくならないことが一番の恐怖であると続ける小島に、クローネンバーグ監督は「それが悲しき真実なのか、あるいは素敵なことなのかはわかりませんが、この考察を深めていくというのが究極の答えですよね」と返す。またふたりは人間である以上に、クリエイターとして、その未知なるものを追究することこそが物作りの動機となっていると、互いに共感し合っている。果てしないものが存在する限り、ふたりは我々を未知なる世界へと誘い続けてくれるはずだ。

小島秀夫から観客へ

ポゼッサー
©2019,RHOMBUS POSSESSOR INC,/ROOK FILMS POSSESSOR LTD. All Rights Reserved.

この貴重な対談の締めくくりとして、小島は「惚れ抜いている」という本作への見どころをあらためて語り、ひとりでも多くの観客が本作を観てくれるよう呼びかけている。

小島「コロナ禍に入り、個と個の繋がりに注目が集まるような時代になりました。なおかつ、これからよりメタバース的な世界になっていくという時代の中で、『ポゼッサー』が扱っている題材は非常に現代的なものであり、単なるSFや、ノワールに収まらない作品だと思います。是非ともひとりでも多くの観客に観てほしいです!」

時代を切り開く新たなる鬼才、ブランドン・クローネンバーグ監督が放つ衝撃作。現代社会における哲学的な疑問が絶えず投げかけられていくと同時に、脳裏にこびりつくような静謐と狂気が入り混じる映像美、そしてクリストファー・ノーランやドゥニ・ヴィルヌーヴのようなスリルやサスペンスに満ち溢れた物語が観る者の意識を奪い、最後まで離すことはない。

全世界が言葉を失った映画『ポゼッサー』は、2022年3月4日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺他全国順次公開。

Writer

アバター画像
Minami

THE RIVER編集部。「思わず誰かに話して足を運びたくなるような」「映像を見ているかのように読者が想像できるような」を基準に記事を執筆しています。映画のことばかり考えている“映画人間”です。どうぞ、宜しくお願い致します。

Ranking

Daily

Weekly

Monthly