『レディ・プレイヤー1』OASIS開発者ハリデーはスティーブ・ジョブズか、それともウォズニアックなのか

映画やゲームなど、ポップカルチャーの様々な小ネタが多数登場する『レディ・プレイヤー1』。その楽しみ方は無限だが、ここではOASISの偉大なる開発者として崇められるハリデー/アノラックについて、原作小説「ゲーム・ウォーズ」と比較しながら考えたい。ハリデーとはいかなる人物だったのか、なぜ彼はOASISの後継者を探していたのか…。
筆者は、ハリデーの姿が重なる実在人物とは、アップル社のスティーブ・ジョブズではなく、むしろウォズニアックであると考えている。

ハリデーの生い立ち
ジェームズ・ドノヴァン・ハリデー。1972年6月12日、オハイオ州ミドルタウン生まれ。父親はアルコール依存症の機械オペレーターで、母親は双極性感情障害のウェイトレスだったという。幼い頃から頭脳明晰で、コンピューターやコミック、SF小説やファンタジー小説、映画、ビデオゲームに夢中だった。ドラマ「ストレンジャー・シングス」では子どもたちがテーブルトークRPGの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』 を楽しくプレイしていたが、ハリデーは一緒にプレイする友達がいなかったので、中学校のカフェテリアで一人でゲームの攻略本を読むしかなかった。これに目を留めたのが、後にOASISの共同設立者となるオグデン・モロー少年だった。ハリデーはモローの実家の地下室で、自分と同じようなオタク友達に初めて出会う。
ハリデーは15歳のとき、「アノラックのクエスト」という名のゲームを初めて開発する。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』仲間と遊ぶために作ったものだったが、あまりの出来の良さに驚いたオグデン・モローはこのゲームを販売すべきだと説得。近所のコンピューター店に置いてもらうと飛ぶように売れ、コピーが追いつかないほどとなった。そこでモローの地下室にビデオゲーム製作会社グレガリアス・ゲームズを起ち上げ、二人が高校を卒業するとコロンバスの小規模ショッピングセンターの中にオフィスを構えた。
ジョブズとウォズニアックとの共通点
アップルのスティーヴ・ジョブズとスティーヴ・ウォズニアックの序章を思い出す方もいるだろう。ハリデーとモローが地下室に起ち上げた会社でゲームを作って近所で売りさばいたように、ジョブズとウォズニアックも自宅ガレージでアップル社を創業(ただし、ガレージという部分についてはウォズニアックが「誇張されている」と否定)、初のプロダクトであるApple Ⅰを近所のコンピューターショップに納品する。この前後で販路を切り開くのがジョブズだった。
『レディ・プレイヤー1』劇中では「ハリデーはジョブズ以上か」という記事見出しが登場するが、どちらかと言うとジョブズ的な立ち回りをしたのはモローの方だ。原作には、以下のような描写がある。
堂々たる体格をしたオグデン・モローは生まれながらにカリスマ性を備えていて、会社のビジネスと宣伝広報のすべてを取り仕切っていた。グレガリアス・ゲームズの記者発表の場では、もじゃもじゃのあごひげを生やし、メタルフレームの眼鏡をかけたモローが一人で登場して、ついつりこまれてしまいそうな笑みを絶やさず、持ち前の雄弁さを発揮して、集まった人々を魅了した。
このように原作者アーネスト・クラインには、ジョブズとウォズニアックの容姿と才能・役割を入れ替えたようなイメージがあったのではないか。
一方のハリデーは、すべてにおいてモローと対極にあるように見えた。痩せて背が高く、救いがたいくらいにシャイで、世間の注目をひたすら避けていた。
イースターエッグに込めた思い
1980年のアタリ2600向けゲーム「アドベンチャー」がキーポイントとなるのは、映画も原作も同じ。映画でも語られたようにイースターエッグ(隠し要素)が忍ばされた史上初めてのビデオゲームだ。プログラマーは苦労を重ねてビデオゲームを開発するわけだが、当時のアタリ社はプログラマーの名前をクレジットしない方針を貫いていた。つまり彼らは、苦しんで生み出した愛しき作品からその名を葬られてしまうのである。
そこで開発者のウォーレン・ロビネットは、自分の名前をゲームの中に巧妙に隠すことにした。ゲームの迷路内に隠されたドットの鍵を使うと、秘密の部屋に入ることができる。すると画面中央に「製作:ウォーレン・ロビネット(CREATED BY WARREN ROBINETT)」と表示されるという仕掛けだ。この「反逆」を愛したハリデーは、原作にてこう語っている。