『沈黙‐サイレンス‐』スコセッシ監督来日レポ「一番危険なのは、強者至上の世界しか知らない若者世代」

ローマ法王との謁見
世界最高峰のキリスト教文学の映画化とあって、今作はバチカンにてイエスズ会の神父らを集めた特別上映会を行っている。監督は、その際にローマ法王と謁見されたことを振り返る。
「ローマ法王とは小さな部屋でお会いしました。とても柔和な方でした。
法王とは、長崎や、イエスズ教会など、映画に登場する題材についてお話させていただきました。
法王は、この映画が伝えるメッセージが世の中に伝わりますように、と願ってくださいました。」
キリスト教と日本人の宗教観の違い
『沈黙』では、江戸幕府がロドリゴらキリスト教宣教師らに対し暴力をもって徹底的に迫害する様子がショッキングに描かれている。ストーリー上では主人公となるロドリゴに対し、井上や通辞といった日本人側は悪役の配置にはなっているが、監督は冷静に語る。
「ローマで、アジア人のイエスズ会の神父様にお聞きした話です。
拷問は、確かに暴力ではありました。しかし、西洋からやってきた宣教師らも一種の暴力を持ち込んでいたのです。つまり、”あなたたちの真実や文化は無であり、我々こそが真実である”という西洋思想をアジアに持ち込んだことこそ、一種の暴力と言えるでしょう。」
「この西洋からの暴力に対してできることはただ一つ、彼らの”傲慢さ”を解きほぐすことだったのです。だから、クリスチャンのグループに対してではなく、そのグループのトップにいる者を崩しにかかったのです。」
“傲慢さを解きほぐす” ─ 『沈黙』において、ロドリゴも棄教を迫られるが、その時彼の中で起こったパラダイム・シフトこそ、日本人の美徳観に響いたものだったのではと監督は分析する。
「ロドリゴは、自身の中にあった”誤ったキリスト教”が覆され、空っぽになり、真のキリシタンとして人に仕える立場に変化します。
これこそが、日本のキリスト教徒が心惹かれる、”慈悲心”であったり、すべての人間に十分な価値があるのだという理念だと思います。
日本人は『地震・雷・火事・オヤジ』を恐れるそうですね(笑)。だから、権威的なやり方でキリスト教を説くのではなく、慈悲心や、キリスト教の持つ”女性”性をもって説くのが合っているのでしょう。そこに隠れキリシタンは心惹かれたのではないでしょうか。」
“信じる”ということ
今作で説かれている信仰とは、宗教的な意味だけのものは決してない。監督は、こんな時代だからこそ”信じる心”について考えるべきだと説く。
「今、一番危険に晒されているのは、ここ5年ほどに生まれた若い世代です。勝者が歴史を勝ち取っていく世界しか知らない。世界はそういうものだと思ってしまってはいけません。
また、物質的・技術的になった今の世界だからこそ、人を信じるという心を真剣に議論すべきなのです。」
日米最高のスタッフのもと、アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライバー、リーアム・ニーソンと、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮といった豪華キャストで送るマーティン・スコセッシ監督最新作『沈黙 -サイレンス-』、いよいよ1月21日(土)より全国ロードショー。
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