【解説】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』エンドロールのアノ人物は何者? ─ 夢の企画実現の立役者、ヴィラン造形にも関係

この記事では、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の内容について触れています。ご注意ください。
映画では、特別な貢献をした人物への感謝を表す「Special Thanks(スペシャルサンクス)」がエンドロールの締めくくりに登場することもあるが、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)最新作『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』では、ある人物にのみ捧げられた特別なクレジットが画面のど真ん中に大きく表示された。その言葉は、以下の通りだ。
“THE FILMMAKERS WOULD LIKE TO GRATEFULLY ACKNOWLEDGE THE ORIGINAL TRUE BELIEVER, AVI ARAD, WHOSE VISION LED THE WAY TO BRINGING THESE ICONIC CHARACTERS TO THE SCREEN.”
「我々フィルムメーカーは、第一人者にして真の信者であるアヴィ・アラッドに深く感謝致します。彼のヴィジョンのおかげで、アイコニックなキャラクターたちをスクリーンに登場させる道が開かれました。」
文中に記されているアヴィ・アラッドなる人物こそ、MCU最大の映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)でも成し遂げられなかったサプライズを実現させた立役者。プロデューサーである彼のおかげで、『ノー・ウェイ・ホーム』を皮切りに、マーベル・スタジオ/ソニー・ピクチャーズが展開する『スパイダーマン』ユニバースはさらに大きな世界へ突入していくことになるだろう。
本記事では、アヴィ・アラッドが具体的にどのような貢献をしてきたのか、彼のキャリアを振り返っていきながら、『ノー・ウェイ・ホーム』で切り開いた“道”を改めて見ていきたい。

玩具業界で始めたキャリア
アヴィ・アラッドは、マーベル・スタジオの設立者にして元CEOという肩書を持つ人物。しかし、そのキャリアは映画&テレビ業界ではなく、玩具業界でスタートした。1980年代、アラッドは玩具メーカーToy Biz(2007年に解散)のデザイナーとして仕事を始める。1990年代にマーベル・コミック社とのライセンス契約を交わした同社は、キャプテン・アメリカやスパイダーマン、デアデビルといったマーベルの人気キャラクターの玩具製造を開始した。
また同じ頃に、マーベル・コミックがToyBizの大株主となったことを受け、同社は屋号をMarvel Toyに改称。これを機にマーベル関連作品の製造に拍車をかけていったアラッドは、「X-MEN」シリーズ最初の玩具開発に携わることとなった。
この頃から、アラッドは玩具業界で一目置かれる存在となっていた。1993年に掲載された米New York Timesの記事で、アナリストのショーン・マクゴーワンは「業界で最もアツい開発者」「子どもが求めている玩具に合う創造力がある」とアラッドを評価している。
そして同年93年、アラッドは映像製作者としてのキャリアを歩み始める。2008年からMCUを展開し始めることになるマーベル・スタジオを設立したのだ。翌94年以降、「アイアンマン」「ファンタスティック・フォー」「X-MEN」といったアニメ作品に携わるようになり、1998年にはデヴィッド・ハッセルホフ主演の「Nick Fury: Agent of S.H.I.E.L.D.」やウェズリー・スナイプス主演の『ブレイド』など、マーベルの実写作品もプロデューサーとして手がけていくことになった。
ケヴィン・ファイギとの出会い、マーベル・スタジオからの離脱
その後も『デアデビル』『ブレイド2』『ハルク』など、マーベルのコミック作品の映画化を率いていったアラッドにとって大きな出会いとなったのが、2002年の映画『スパイダーマン』。そこで、『X-MEN』シリーズ製作者のローレン・シュラー・ドナーのアシスタントを務めていたケヴィン・ファイギを見出したのだ。アラッドの手ほどきにより、ファイギは『スパイダーマン』で──クレジットこそされていないが──製作を務め、業界に本格的な一歩を踏み出すことになった。
上述の通り、マーベル・スタジオは2008年よりMCUをスタートさせたが、その2年前の2006年にアラッドはマーベル・スタジオを去っている。MCUに残留しマーベル作品をメインで作り続ける道も選べたはずだが、これからという時に自分が立ち上げた会社を去った理由は何だったのだろうか。2019年、アラッドは米Deadlineにこう語っていた。