『ザ・ホエール』アロノフスキー監督に聞く「白鯨」の意味と、「ビジネスとアート」の両立【単独インタビュー】

鬼才、ダーレン・アロノフスキー。『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)『レスラー』(2008)『ブラック・スワン』(2010)そして『マザー!』(2017)と、アブノーマルな怪作を数多く撮った稀代のフィルムメーカーだ。
その最新作『ザ・ホエール』は、いくつもの興味深い話題を持つ。2012年の同名舞台劇が原案であり、ほぼ全編アパートの室内だけで展開されるアスペクト比4:3の挑戦作であること。主人公が死に至る最後の5日間を描きつつも、そこに内在する悲しみも希望も可笑しさも感動も、全てを静かに描き切ったこと。長くハリウッドの表舞台から姿を消していたブレンダン・フレイザーがカムバックを果たし、体重272キロの巨体の姿で演じあげたこと。その迫真の演技が高く評価されて賞レースで話題席巻、第95回アカデミー賞では主演男優賞を獲得したこと。それによってアロノフスキーが『レスラー』『ブラック・スワン』に続いて、またも主演役者にオスカーをもたらしたこと。
ついに日本公開となった『ザ・ホエール』監督のダーレン・アロノフスキー監督に、THE RIVERでは一対一でじっくりインタビュー取材を実施。「今日は雨が降っていて、すごく寒い」と画面越しに語るアロノフスキーは、米ロサンゼルスのホテルの一室から、THE RIVERとのトークに応じてくれた。作品の裏話から、映画作りへの本音など、他では聞けない話題を数多く語ってくれている。なお、本取材が行われたのは2月末のこと。アカデミー賞のノミネートは発表されていたが、まだ授賞式前の時点だ。極めて貴重なインタビューとなった。

『ザ・ホエール』ダーレン・アロノフスキー監督 単独インタビュー
──『ザ・ホエール』、素晴らしい作品でした。見終えた直後は衝撃に打ちのめされるような感覚でしたが、翌日、翌々日と、作品の深みがじわじわと心の中で醸成されるような作品でした。監督は初めて舞台を鑑賞してから、自身で映画を撮り終えた今に至るまで、この物語への印象はどう変化していきましたか?
正直に言うと、この物語は深くて複雑で、メタファーや概念もとても多く込められていると思います。この旅路は、たくさんの発見に満ちていました。進めるごとに、よりはっきりとした理解を得られるようになっていった。シェイクスピアと比べるわけじゃないけれど、素材として非常に豊かで、(元の舞台の)台本が素晴らしい。だから退屈に思うことは一度もなかったし、常に夢中になって取り組みました。
──メタファーといえば、本作には『白鯨』が重要な題材として登場します。これが何を意味するのか、自分なりに考えてみたのですが、難しいんです。主人公チャーリー自身が白鯨モビィ・ディックのメタファーなのかなとも思うのですが、過去の苦痛を克服することで人生が良くなると信じているという意味で、彼はむしろエイハブ船長なのかもしれません。監督はどう解釈したのですか?
うんうん(笑顔)。とても良い質問ですね。どう解釈するかはオープンです。僕は、チャーリーが白鯨だとは考えていません。そのことは明白だと思います。『白鯨』に登場するキャラクターたちは、誰もがあの鯨を探し求めている。しかし、“探し求める”ことの方が重要になっているんです。そこに僕が考えるメタファーがあります。言葉で説明するのは難しいですね。この題材の素晴らしいところは、繰り返し鑑賞することで新たな意味を見つけられるということです。
(※これに関連する質問を、来日した主演ブレンダン・フレイザーにも尋ねた。後日掲載の際に合わせてお楽しみいただきたい。)
──解釈はオープンだと聞いて、ひとつ思い出しました。数週間前にジョージ・ミラー監督とお話しさせていただいたのですが、彼がこんなことを語ってくれたのです。「物語とは個々人の経験や価値観によって様々に解釈されるべきもの。全ての物語には“詩的な領域”がある。それが物語を閉じることがあってはいけないし、あらゆる解釈のために開かれているべきである」と。僕は『ザ・ホエール』にはこうした詩的な美しさがあると思いますし、さっきも申したように、それは受け手の心の中でじわじわと醸成されるものだと思います。本作を舞台から翻案する際、あえてノータッチにすることで観客に委ねたいと思ったところはありますか?
確かに、多くのことはノータッチで残しました。ただ、(脚本の)テキストがあり方を変えた。ラストの瞬間は、カメラによる解釈の余地を残すことで、観客にその意味を読み取ってもらうようにしています。そこがサム(サミュエル・D・ハンター、脚本・原案)の執筆の素晴らしいところ。あなたの言うように、優れた詩のように、詩的なところがある。様々な読み取り方があるということです。
面白いことに、本作の製作に入る前、10年以上に観たオリジナルの舞台のビデオテープを観たんですけど、僕の中で引っかかったのは、オリジナルの舞台俳優の演技と、ブレンダン・フレイザーにやってもらおうと思っていた演技が、いかに違うかということでした。それでも、そのビデオを観て非常に心揺さぶられた。そこで、このテキストは様々な解釈に耐えうる、力強いものなんだと自信を得たんです。
──その舞台を映画化する際、主演にブレンダン・フレイザーがふさわしいと見つけるまで10年を要したということです。フレイザーが出演しているブラジル映画の予告編映像を見た時にビビっときたということですね。特殊メイクを施し、凄まじい演技と共に、彼はチャーリーに成りきりました。彼が特製のスーツを着て演技する姿を初めて現場で見たとき、印象はいかがでしたか?
現場で、となりますと、撮影はとても難しいショットからスタートしたんです。それがあのオープニングシーンでした。実は、あれはカメラや機材の動きがとても複雑で、僕は彼の演技をきちんと堪能できなかった。彼がどれだけ凄いことをやっているのか、様々なやり方でアプローチ方法を変化させていると理解できるまでには、僕もしばらく時間がかかりました。彼はゆっくりと、しかし確実に、チャーリーに息を吹き込んでいたのです。彼の演技が本作の全編を占めているわけですが、おそらく全てが繋がってくるまで、彼の演技の真髄は理解できないでしょう。

──撮影初日が、オープニングシーンだったということですね。あのシーンですよね?
(監督、笑顔でうなずく。)
──ありがとうございます(笑)。ところで、監督が海外のメディアで話されていた、過去作『ファウンテン 永遠に続く愛』(2006)にまつわるエピソードに感動しました。批評家にはあまり受けなかった作品ですが、数年後のある日、監督がお父様のために病院にいたところ、車椅子に乗った40代の男性とそのご家族があなたのところにやってきて、「『ファウンテン』を観て“死”への考えが定まりました」と伝えられたというお話です。その男性は病でじき死期を迎える方だったということで、その場にいた誰もが泣いてしまったということですね。きっと『ザ・ホエール』でも、こうしたエピソードを世界中に提供することになるような気がします。
そうなんです。実はすでにあって。僕やサム、ブレンダンの元に、この映画を見て人生が変わった、影響を受けたと世界中から連絡が来ているのです。肥満症の問題や、父と娘の問題を抱えていない方たちからもです。素晴らしいことだと思います。
──それは、優れた映画が起こす波及効果ですね。
ありがとうございます。
(※こちらに関連した質問も、筆者はブレンダン・フレイザーに尋ねている。後日掲載の際に合わせてお楽しみいただきたい。)
──1人の人物を題材に、たった一室を舞台にした長編映画を作るのは容易なことではなかったと思います。窓の景色や鳥を通じて視覚的な変化を試みていたように見受けられますが、難しかったことはありますか?
一室展開という設定を維持しながら、いかにしてシネマに仕上げるかは難しかったですね。とにかく題材の力を信じて、役者を動き回らせることで、観客があのアパートについて少しずつ知っていき、新しい要素を見つけてもらえるように工夫しました。
──アスペクト比を4:3にされた意図は?
演技やテキストが主体となる作品だからです。例えば、(監督の頭の後ろにある花柄のカーテンを触りながら)こんな感じで(笑)、背景が美しい映像の作品であれば、ワイドスクリーンが活きると思います。でも、本作はそういう美しい風景みたいなのはあまり登場しないので、役者と演技にフォーカスしたかったのです。
──ところで、僕はあなたが手掛けたドキュメンタリーシリーズの「リミットレス with クリス・ヘムズワース」も大好きですよ。
おぉ、嬉しいな!
※「リミットレス with クリス・ヘムズワース」:クリス・ヘムズワースが長寿の秘訣を探るため様々な過酷な課題に挑む。ヘムズワースに休業のきっかけを与えた作品。アロノフスキーは製作総指揮を務めた。そのうちのエピソードで、ヘムズワースが寒中水泳やサウナに挑んだり、老化スーツを来て死期が近い老年期を体験したりするものがある。
──あのシリーズで“毎日最低30秒は冷水シャワーを浴びると良い”と紹介されていたので、それ以来僕は本当に毎日実践しているんです(笑)。ちゃんと深呼吸もしながら(笑)。
本当ですか!最高だ!素晴らしいね!気持ち良いよね!サウナもおすすめです。健康に良いですよ!
──そうなんです。サウナも大好きです(笑)。それで、「リミットレス」では特に最終回が印象的でした。クリスが老化スーツを着て、人生の終わりを体験するという回です。人生最後の日々を体験するという点では、ある意味『ザ・ホエール』にも通ずるものがあると思います。実は、日本でも今「終活」というのがポピュラーになっているんですよ。
本当ですか。どんなふうに?
──例えば身辺整理をしたりとか、家族や友人にお別れの手紙を書いておいたりするんです。それで、死を題材にすると、どうしても暗くて憂鬱な部分が生じると思うんですが、どのようにしてそこに明るさや喜び、希望を織り交ぜたのですか?
まさに、それこそが本作の最大の挑戦であり、ゴールでしたよ。その中で、「リミットレス」でクリスを人生の終わりに導いた人たちと、様々な関係がありました。
──「リミットレス」はドキュメンタリー作品となりましたが、『ザ・ホエール』では、意図的、あるいは無意識的に、ドキュメンタリーの手法を活かしたと思いますか?
そうですね、『ブラック・スワン』や『レスラー』でもドキュメンタリーの手法を用いましたが、『ザ・ホエール』で特に意識したわけではありません。『ザ・ホエール』はいわばクラシック的な手法でしたからね。
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