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『ジョーカー』監督は「文化のせいでコメディは死んだ」と本当に言ったのか ─ 米報道が物議醸す、タイカ・ワイティティも反応

ジョーカー
© 2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved” “TM & © DC Comics”

ホアキン・フェニックス主演、映画『ジョーカー』が公開前から各所で物議を醸している。脚本・監督のトッド・フィリップスが、プロモーションにおいて「ウォーク・カルチャー(woke culture)のせいでコメディは死んだ」と発言したと報じられたことは、米国をはじめ世界的な物議を呼び、SNSを中心に異論反論が噴出している状態だ。しかし、本当にフィリップス監督はそんなことを言ったのか。

現在、フィリップス監督による発言は、各国のメディアで「ウォーク・カルチャーがコメディを殺したと主張」「『ジョーカー』監督がウォーク・カルチャーを批判」などという見出しで報じられている。「ウォーク・カルチャー」とは、差別や偏見をはじめとする社会問題を人々が認識しよう、自覚的になろうという傾向を指すものだ。すなわち報道が事実なら、フィリップス監督は、人々が差別や偏見などを意識し、公平公正であろうとしたことで「コメディは死んだ」と発言したことになる。

監督の発言、その狙いは

結論から言えば、フィリップス監督は「ウォーク・カルチャーのせいでコメディは死んだ」ということを発言してはいない。今回、問題視されたコメントは米Vanity Fairの取材によるものだが、そこで監督はこのように述べているのだ。

「このごろのウォーク・カルチャーの中で、笑いを取ろうとしてみましょうよ。“もはやコメディが成立しないのはなぜか”という記事がいくつか出ていましたが、僕からすると、それは、めちゃくちゃ面白い人たちが“やってられない、誰かを怒らせたいわけじゃないし”という感じになっているから。Twitterで3,000万人を相手に議論することは難しいし、そんなことはできない。でしょう? だから“僕もやめよう”と。僕の作るコメディは――すべてのコメディにそういう面はあると思いますが――不謹慎なもの。そこで、どうやってコメディ以外の方法で不謹慎なことをやろうかと考えたんです。」

まず、フィリップス監督はコメディ“全般”を「死んだ」と言っているのではなく、そもそも「死んだ」という言葉すら使っていない。「ウォーク・カルチャーのせいでコメディは死んだ」という発言は、その後、各メディアが監督の言葉を借りて、記事の見出しとして作り出したものにすぎないのである。そもそも発言自体が、ある記事を受けての間接的応答という形で、その文脈にのっとる形でなされていることにも留意したい。

今回、フィリップス監督は、自身が『ジョーカー』を手がけるに至った理由を語っている。本人の認識通り、フィリップス監督の手がけてきたコメディが、現代の価値観にフィットしなくなってきたことは確かだろう。たとえば代表作『ハングオーバー!』シリーズには、必ずしも公平公正とは言えない笑いが、つまり監督の言う「不謹慎」がたくさん詰まっている。そんなコメディを作ってきたのはフィリップス監督だけではなく、彼らは一様に変化を求められている状況にある。ウォーク・カルチャーが、コメディ全般を殺さずとも、フィリップスらの考える“コメディ”を新たに作りづらくしていることは事実だからだ。ただし今回の発言は、ウォーク・カルチャーを直接的に批判するものではなく――少なくとも全面肯定してはいないのだろうけれども――、むしろ社会の価値観が変化する中で、自らの創作をどう継続するかについて語ったものである。

監督は「誰かを怒らせたいわけじゃない」「Twitterで3,000万人を相手に議論することはできない」がゆえに、コメディを「やめる」という選択を取った。しかし、そのことを明らかにしたことで、大勢を怒らせ、SNSでの議論を生む羽目になってしまった。現在、フィリップスは「人を傷つけないとコメディは作れないのか」「ウォーク・カルチャーの中でコメディを作っているクリエイターもいる」などの批判を数えきれないほど受けている状態だ。

なお「現在の価値観でコメディを作っている人物」として名前を挙げられている『マイティ・ソー バトルロイヤル』(2017)のタイカ・ワイティティ監督は、フィリップス監督の発言(を切り取ったメディアのツイート)を引用して「爆笑。彼、面白い」と皮肉めいたコメントを投げかけている。

しかしワイティティの最新作『ジョジョ・ラビット』(2020年1月公開)もまた、フィリップス監督の“すべてのコメディに不謹慎な面はある”という指摘に一致していることは無視できない。『ジョジョ・ラビット』は、ドイツ人の少年が空想上のアドルフ・ヒトラーと友人になり、ユダヤ人の少女と出会って自身の考えを変化させていく物語。空想上のヒトラーに好き放題しゃべらせ、それを自身が演じる(予告編を参照)ことは、ある一面においては非常に真っ当だが、ある一面では――たとえそれがヒトラーであっても――不謹慎なものとして受け止められることを回避しえないのだ。現にトロント国際映画祭で、本作の批評家による評価はまっぷたつに分かれており、ナチスやヒトラーの扱い方に問題があるとも語られていたのである。

Writer

稲垣 貴俊
稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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