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【ネタバレ解説】『トイ・ストーリー4』ラストシーンが意味するもの ─ ウッディに託されたテーマ、ディズニー/ピクサーの新境地

トイ・ストーリー4
©2019 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

この記事には、『トイ・ストーリー4』の重大なネタバレが含まれています。すでに作品を鑑賞された方向けの内容となりますのでご注意下さい。なお、このページをSNSにてシェア頂く際は、記事内容に触れないようお願い致します。

ウッディとフォーキーが旅する意味

『トイ・ストーリー4』の監督を務めたのは、『インサイド・ヘッド』(2015)脚本を担当したジョシュ・クーリー。本作を手がけるにあたっては、「(最初は)みなさんと同じ疑問を持ちましたよ。“完結したんじゃないの?”って」と語っている。「僕たちも『3』の結末が大好きで、ウッディとアンディの物語は終わったと思っていました。だけど、まだウッディには語るべきストーリーがあると思ったんです」。

またプロデューサーのジョナス・リヴェラ氏も、「『3』でアンディの物語は終わりました。しかし『トイ・ストーリー』はウッディの物語です」と言う。「自分の役目が終わっても人生は続いていく。そこで生まれ変わらなきゃいけないんです。そこでピンと来ましたね。“じゃあ、ウッディの場合はどうなるの?”って」

『トイ・ストーリー4』は、まさにこの言葉通りの物語だ。前作のラストで、ウッディはバズや仲間たちを見捨てず、ゴミ処理場であわや焼却されんという危機からも脱出し、アンディの家へと帰還する。その後、アンディの大切なオモチャたちは、彼の大学進学に伴って、知り合いの少女ボニーへと譲られるのだった。しかしアンディがいくらウッディを大切にしていたからといって、ボニーもそうだとは限らない。彼女はいくつかのオモチャと同じく、ウッディをクローゼットに残したまま、ジェシーやバズなどのオモチャで遊んでいた。幼稚園に行けば、先割れスプーンとゴミをくっつけて「フォーキー」を作り、もっぱらそっちに夢中になってしまう。子どもとはそういうものである。

ところがオモチャとしてボニーの部屋に招かれたフォーキーは、自分のことをゴミだと思い込み、ウッディが目を離せばゴミ箱に飛び込んでしまう。しかし、フォーキーはボニーにとって大切なオモチャだ。ウッディはフォーキーにオモチャとしての役目を懸命に伝えようとするが、そんなウッディ自身はいまやクローゼットにしまわれている存在。アンディはよく遊んでくれたが、ボニーは違う。自分をゴミだと思っているフォーキーは、ボニーに愛される立派なオモチャ。では、自分をオモチャだと思いながら、ボニーに求められていないウッディとはいったい?

トイ・ストーリー4
©2019 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

実はジョシュ監督は、このストーリーについて米ComingSoon.netにてこう述べている。

「僕らはウッディのことをよく知っているけれども、それでは、彼は新たな状況に置かれた時に一体どうするのか。そこで、いろんな可能性を残しながら、フォーキーを使ってやれることをいろいろと考えたんです。そこで、“フォーキーがいれば、ウッディはオモチャとはどういうものかを説明しなければいけなくなる”と思ったんです。そこから、ゆっくりと全てが決まっていきました。ウッディが路上でフォーキーに語ることは、本質的に、“もう自分の子どもは我が家にいないんだ”ということを意味しているんです。」

第1作から本作まで、『トイ・ストーリー』全作の脚本を手がけてきたのは、『ファインディング・ニモ』シリーズの監督としても知られるアンドリュー・スタントン。アンドリューは、自身の息子たちが大学進学のため実家を離れたのち、前作の完成前から今回の脚本を執筆していたという。ジョシュ監督は脚本を読み、アンドリューに「この話は他の誰にも書けません。これはあなたの経験したことだ」と伝えたとか。もう一人の生みの親であるジョン・ラセターは本作の製作途中でピクサーを去ったが、アンドリューは脚本家として、企画の始動から完了まで本作に携わり続けていた。

エンディング解説、オモチャたちのセカンドチャンス

結論から述べることにしよう。『トイ・ストーリー4』は、子どもや大切な人が離れていくなどして、自分の役目が終わった後、人はどのように“その後”を生きていけばいいのか、という物語だ。ウッディとフォーキーが訪れるアンティークショップの名前が「セカンドチャンス・アンティーク」なのは極めて象徴的である。故障したボイス・ボックスを持つギャビー・ギャビー、うまく飛べずに持ち主にガッカリされたスタントマンのデューク・カブーンも、一度目の役割を終え、次の機会を恐れながら、そこに希望を託している。遊園地のダッキー&バニーですら、射的の的として新たな役目を待望している点では同じだ。

そして本作におけるウッディは、まさに彼らと同じポジションに置かれている。もっとも彼の場合、本人はまだ“一度目”が終わったことを認めておらず、ボニーにフォーキーを届け、自分も帰ることが役目だと信じている(信じたい)のだ。しかしそれゆえに、優秀なリーダーだったはずのウッディの視野は狭くなり、周囲を危険にさらすことさえある。さらに厄介なのは、ウッディがボニーの背後にアンディの姿をいまだ探していることだ。路上でフォーキーと話している途中、ボニーを「アンディ」と言い間違えてしまうのは、決して単なる言い間違いではない。

ウッディの目を開かせるのは、かつてアンディの家で同じ時間を過ごしたボー・ピープである。彼女の姿が大きく変わっているのは、唐突にアンディの家を去ることになり、のちにアンティークショップに送られ、今では外の世界で自由闊達に過ごしているためだ。電気スタンドの人形としての役目を終えるどころか、彼女はすでに自分の役目を何度も見つけ直しながら生きてきた。いわばボーの強さは、ただの肉体的・精神的な強さではなく、その経験の厚みから来るものともいえよう。彼女はウッディに、自分の置かれている現実を見据えるよう問いかける。

トイ・ストーリー4
©2019 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

ショップに戻ったウッディはギャビー・ギャビーと再会し、彼女がウッディのような生き方を心から求めていることを知った。直接的に語られることはないが、それはある意味、自分がいかに幸せだったかを知ることでもあっただろう。そしてウッディは、内臓されたボイス・ボックスをギャビー・ギャビーに与える(深読みすれば、ボイス・ボックスの移植というモチーフには臓器提供のイメージを重ねることもできる)。声を得たギャビー・ギャビーは、それでも一度は子どもに受け入れられないが、ウッディに励まされ、ついには遊園地で迷子になっている少女とめぐり合うのだ。行き先を見つけられずにいたギャビー・ギャビーは、こうして自分の新たな役目を見つける。

そして、新しい行き先を見つけるのはウッディもまた同じだ。バズたちと合流したウッディは、ボニーの家に仲間たちと一緒に帰ることを選ばない。ギャビー・ギャビーが子どもに受け入れられなかった時、“まだ次がある”と声をかけることができたように、すでにウッディは自分が役目を終えたことを悟っているのだ。信頼できる仲間たちとフォーキーにボニーを託し、ウッディこのまま外の世界で生きていくという「セカンドチャンス」に自ら手を伸ばす。それに幸か不幸か、子どもたちは毎日のようにオモチャをなくしてしまうものなのである。

ディズニー/ピクサー新境地、続編の可能性は

駆け足で振り返ったが、それにしても実に多層的で、実に大人向けの物語だ。本稿の性質上、触れられなかった点もあるが、それこそが本作の物語がいかに細部まで丁寧に織り上げられているかを意味しているようにも思われる。もちろん本作は、ディズニー/ピクサー映画として、『トイ・ストーリー』として、もちろん非常にクオリティの高いエンターテインメントだ。しかしウッディたちオモチャを通して描かれるのは、“第二の人生をいかに歩み始めるか”というテーマである。言い換えれば、“自分の人生をいかにして歩み続けるか”ということでもあろう。

『トイ・ストーリー』シリーズをリアルタイムで観てきた親子が、再びこの映画を一緒に観たら、それぞれの抱く印象はきっと異なるはずだ。たとえば“アンディ世代”の元少年少女たちも、人生の曲がり角をある程度は経験し、本作のテーマを自らの人生に引きつけて観ることができる。しかし、それでも「役目を一旦終えた人間が、その後をどう生きていくのか」という物語を100%理解し、納得するには若すぎるだろう。その一方、“アンディ世代”を育てた父親・母親からすれば、本作でウッディが経験することは、かつての自分自身が味わった出来事かもしれない。このような観られ方の豊かさは、『トイ・ストーリー』という、約四半世紀をかけて育てられてきたシリーズだからこそ到達しえた境地だ。

言わずもがな本作は、『トイ・ストーリー』としては確かに野心的な内容である。製作チームもつねに悩み続けていたようで、ウッディ&バズ役のトム・ハンクスとティム・アレンにストーリーを説明する際、ジョシュ監督は緊張して「どうか気に入ってもらえますように」と祈ったそう。プロデューサーのジョナス氏も、結末について「とんでもないことをやろうとしているのは分かっていた」と語り、ピクサーの幹部ですら「本当にやるべきかどうか、非常にためらっていた」と明かす。しかしトムとティムは作品にすぐさま引き込まれ、実際にティムが脚本を声に出して読んだ時、製作陣は「これでいい」との確信を得たという。

物語は、ウッディとバズの「無限の彼方へ、さあ行くぞ(To infinity and beyond.)」という言葉で締めくくられる。エンドクレジットでは、新たな生き方をつかんだウッディにも、日常に戻ったバズやジェシーたちにも、その後の人生が待っていることが示されるのだ。子ども部屋を離れたウッディの眼前にも、ウッディのいないボニーの部屋にも、かつて誰も想像しなかった光景が広がっている。それこそ、きっと『トイ・ストーリー』の生みの親たちですら当初は考えていなかった“無限の彼方”なのだろう。

ということは、今度こそ『トイ・ストーリー』は完結となるのか? この疑問に対する作り手たちの答えは端的だ。米/Filmにて、ジョシュ監督は「これで終わりなら嬉しいです」と述べ、ジョナス氏も「ウッディの物語を完結させたいと考えていました。みんな満足しています」と話している。

映画『トイ・ストーリー4』は2019年7月12日(金)より全国公開中

『トイ・ストーリー4』公式サイト:https://www.disney.co.jp/movie/toy4.html

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Sources: ComingSoon.net, CB(1, 2), /Film

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。