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【インタビュー】『シラノ』ジョー・ライト監督が文学や古典を映画化する理由 ─ コロナ禍に恋愛と親密さを描くこと

シラノ
© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

演劇史に残る不朽の名作「シラノ・ド・ベルジュラック」が、現代屈指のキャスト&スタッフの手で甦る。日本を含む世界各国で愛されてきた物語を再構築したロマンティック・ミュージカル『シラノ』が、2022年2月25日(金)に全国公開となる。

愛する女性への思いをコンプレックスゆえに語れない主人公、シラノ(ピーター・ディンクレイジ)。友人であり恋敵となる、愛を語る言葉を知らないクリスチャン(ケルヴィン・ハリソン・Jr.)。ふたりから想いを寄せられるロクサーヌ(ヘイリー・ベネット)。“愛”と“言葉”の三角関係をめぐる物語を映画化したのは、『プライドと偏見』(2005)『つぐない』(2007)など傑作文学の映画化に取り組んできたジョー・ライト監督だ。

監督にとって、『シラノ』は初となる舞台作品の映画化であり、また初めてのミュージカル。なぜ「シラノ・ド・ベルジュラック」を映画化しようと考えたのか、この物語の魅力とは何か。そして、なぜジョー・ライトというクリエイターは古典や歴史にかくも惹かれているのか? 映画作家としての本質に迫るインタビューをお届けする。

『シラノ』ジョー・ライト監督 インタビュー

──「シラノ・ド・ベルジュラック」を映画化するアイデアはどこから生まれたのでしょう?

私が幸運だったのは、ヘイリー・ベネット(私生活のパートナー)から、舞台「シラノ」のワークショップ公演を観に来ないかと言ってもらえたこと。コネチカットにある、観客120人くらいの小さな劇場でした。もともと原作は好きでしたが、正直に言うと、新しいものは期待していなかったんです。しかし、ピーター・ディンクレイジが付け鼻をせずに演じているのを観て、非常に魅力的な現代の解釈だと感じたし、これぞ私が大好きな物語の決定版だと思ったんです。ピーターとヘイリーの共演は衝撃的で、驚かされたし、とても美しいものだった。ピーターのキャスティングが、この物語への愛情を呼び覚ましてくれたんです。

──あなたの映画は小説や古典からの翻案作品が多いですが、舞台の映画化はどのような経験でしたか?

舞台の映画化は小説よりも難しいぞ、と思いました。そもそも私には、映画の歴史とは(演劇が)劇場から解放され、独自の芸術として確立されてきた歴史だったように思われるのです。演劇は映画に近すぎるので、映画化は簡単すぎるようにも思える。だから、なんとかメディアの境界を超えねばならないと努力するわけです。だから実際のところ、簡単どころか難しいものなんですよ。

シラノ
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──『プライドと偏見』『アンナ・カレーニナ』(2012)に続いて、今回は「シラノ・ド・ベルジュラック」です。なぜ古典を扱うことに惹かれるのでしょうか?

私は失読症で、16歳くらいまで読み書きができませんでした。だから、きっと「勉強しなければならない」という思いがどこかにあるのでしょう。古典文学を翻案して映画を作ることは、自分自身がきちんと勉強する機会でもあります。『アンナ・カレーニナ』の脚本を書いてくれたトム・ストッパードのように素晴らしい家庭教師が付いてくれることもあるし、『つぐない』のクリストファー・ハンプトンのような唯一無二の脚本家がいてくれることもある。映画製作は常に学びのプロセスで、私は自分が知っていることについての映画は作りません。自分が知りたいことについての映画を作るのです。

──『シラノ』の製作を通じて、新たにどのようなことを学ばれたのでしょうか?

今回の経験を次回の映画で実践してみるまでは、自分が学び取ったことは本当にはわかりません。突然に「なるほど、これとこれを学んだぞ!」なんてことにはならないんです。けれども、今後はもっと紳士的でいたい、思いやりを持ちたいですし、人と親密になることをそれほど恐れないようにしたいと思いました。だけど、それは生涯の課題ですね。

──あなたの作品にはキャリアを通じて多様性があり、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(2017)と本作にも共通点があると思います。ご自身は作品の共通点を意識していらっしゃいますか?

作品の共通点を自分で話すのは難しいですね。ひとつのテーマで映画を作ろうと思ったことはないし……。ただし今までの作品を振り返ると、どの映画にもアウトサイダーのような存在がいることには気づいています。『プライドと偏見』のエリザベス・ベネットは周囲になじめないアウトサイダーだし、『つぐない』のブライオニー・タリスも同じ。『ハンナ』(2011)や『アンナ・カレーニナ』も自分自身との折り合いがつかない主人公の物語です。私はアウトサイダーに惹かれるのだと思います。世界の仕組みが理解できない人物が、なんとか理解していこうとする物語に。

シラノ
© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

──古典作品を新しい世代に届ける中で、「シラノ・ド・ベルジュラック」は現代にどう繋がると思われたのでしょうか?

『シラノ』は愛情や人間の繋がりの必要性について、あるいは“繋がり合えないこと”についての映画です。私たちは──少なくとも私自身はそうですが──人との繋がりには大きな問題があると考えがちです。最近、自分と他者が近づきすぎないための方法が新たに作られていますよね。特にソーシャルメディアなどでは、本当の自分自身や自らの感情を必ずしも反映していない人格を見せられるようになっている。実際の自分ではなく、他者に好まれるような人間を見せられるわけです。

──ジェラール・ドパルデューの『シラノ・ド・ベルジュラック』(1990)、スティーヴ・マーティンの『愛しのロクサーヌ』(1987)などの翻案作品と本作には大きな違いがあります。エリカ・シュミット(脚本)の舞台版から、あなたがさらに変更したところもあったのでしょうか?

はい、映画化のために変更を加えています。原作との根本的な違いはシラノの鼻が大きくないことですが、それはエリカの舞台からあったもの。私が感じたのは、たとえばロクサーヌの扱いが軽すぎるのではないかということでした。この物語や三角関係の中で、もっと彼女に主体性を持たせたかったんです。実際のところは(原作者の)エドモン・ロスタンがロクサーヌを軽く見ていたんでしょう。私はロクサーヌを、かつて私自身がともに育った女性たちのように描きたい、ステレオタイプな表現に収まらない女性として描きたいと思いました。もちろんヘイリー・ベネットもそういう人ですが、私は女性の登場人物について考えるとき、しばしば姉のことを思うんです。私よりも気難しく、タフで知性的な人ですよ。「男性か女性か」ではなく、ひとりの人間として描きたいと考えました。

シラノ
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──(THE RIVER)台詞にせよ歌にせよ、登場人物の“言葉”を届けることに重きが置かれている印象を受けました。「シラノ・ド・ベルジュラック」の言葉の魅力とは?

シラノにとって言葉は仮面だと思います。彼は言葉の陰に身を隠している。それは彼にとってのスーパーパワーだけれど、同時に呪いでもあります。言葉を上手に扱えるがゆえに、その陰に隠れることができてしまうんだから。その一方、クリスチャンには自分を隠せるような言葉がほとんどありません。だから自分が言うべきことをそのまま言ってしまうし、すぐに「君を愛してる」と言ってしまう。けれども、この映画は「君を愛してる」と決して言うことができない男の物語なのです。「シラノ・ド・ベルジュラック」において言葉はそういう役割だし、その本質には二重性があると思いますね。

──コロナ禍で他者と隔てられがちな時代に、恋愛や“近さ”を描くことにどんな可能性を感じていましたか?

脚本の作業をしていたのは数年前なので、パンデミックよりも前のことでした。けれどもその後、私自身も4ヶ月ほど自主隔離をすることになりました。そのとき、今こそ『シラノ』の映画を作らねば、急がなければいけないと思ったんです。つまり、人が集まることについての映画を作りたいと思った。それは私たちみんなが求めていたことだったし、私も映画の仲間に会いたかったわけです。スタッフ、キャスト、ダンサー、小道具や衣裳のチーム……。特にパンデミックの初めの頃は、政府が彼らを経済的に支援していなかったから。もちろん、観客のみなさんとも繋がりたいと思いました。だから、この映画は「愛」と「人との繋がり」が大きなミッションだったんです。

映画『シラノ』は2022年2月25日(金)より全国公開

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。