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“永遠”を切り取る『ダゲレオタイプの女』は幻想か現実か、愛かエゴか

みなさんは”ダゲレオタイプ”という写真の撮影法をご存じでしょうか?
ダゲレオタイプは、世界最古の写真撮影方法。ネガではなく銅板に直接焼きつけるため、複製することは不可能。世界で一枚しかない写真を撮ることができるのです。

人物を撮影する時は長時間必要で、身動きがとれないように拘束させることが必要だったそう。
まるで人物をそのまま生き写したかのような繊細さ、今にも動き出しそうな生々しさ。分霊箱かのように その人の魂を宿したかのような 魔性の魅力をそなえるダゲレオタイプの写真。

日本を代表する映画監督、黒沢清監督による 現在公開中のフランス映画「ダゲレオタイプの女」

ダゲレオタイプの撮影に人生を捧げている中年写真家、ステファンの助手となった青年 ジャン。ステファンは自身の娘、マリーを撮影のモデルとして務めさせていた。次第にマリーに惹かれていくジャン。しかしあることを境に 三人を取り巻く状況は変わりはじめ…。

この映画は全編フランス語、ロケ地も全てフランスで行われたそうですが、日本人である黒沢清監督の作品であるからか、冒頭のシーンから何故だか親しみと懐かしさを感じました。フランスという異国の映像であるのに、日本のどこかの街角に流れている空気感、工事現場の無骨さ、コンクリートの道の冷たさが大きく感じられて、ふと既視感にかられました。

そして作品中ずっと感じた”何かいる”というゾクッと感。
この映画はでは 人を背後から見ている映像が多く流れます。人越しに見る向こうの風景。人が過ぎ去った後、残った何もない空間にある”不穏”という空気。何もないところに存在している”何か”を感じてしまった時の あの背筋が凍る気持ち…。

日本映画のホラーとも海外映画のホラーともちょっぴり違う 不気味で独特の空気。主人公たちが住んでいる館のように、観ている私自身も 広く寂しい知らない館に閉じ込められている気分になりました。

 

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観終わったあと考えたことは、「愛と死、そして永遠とはなんだろう」ということ。
全てを永遠に残しておきたい。自分のものにしておきたい。閉じ込めておきたい。人間のエゴイスティックな気持ちも、”愛”から生まれてしまうこともある。狂気も、幻覚も、”愛”があるからこそ生まれてしまうことがある。

そして私たちは いずれそれぞれが迎える”死”も、心のどこかで皆が愛しているのではないかと。自分自身の一部として、憧憬を抱き 身近に感じている存在なのではないかと。
生きるも死ぬも、愛も憎しみも紙一重。空虚感さえも美しい、切ないラブストーリーでした。

かつて、”撮ると魂を撮られる”という迷信もあったという写真。
写真、絵、小説、音楽、そして映画・・・人の心や頭の中を形として表現する方法はたくさんあると思います。どの手段にしろ、作り手もその作品の一部となった人間も、魂はそこに刻みこまれるのでしょう。「ダゲレオタイプの女」にたくさん登場した台詞「永遠になる」というのは、間違いではないと感じました。

幻想か現実か、愛かエゴか。たくさんの魂を感じとることができるであろう「ダゲレオタイプの女」。ぜひ劇場でご覧になってください。

Writer

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Moeka Kotaki

フリーライター(1995生まれ/マグル)