『インセプション』ラストの意味は?ノーラン監督が「正解」を話す

観客に解釈が委ねられた映画の描写について議論するのは楽しいことだ。余韻をもたらす曖昧なラストをもつ作品の代表例として、クリストファー・ノーラン監督の2010年の作品『インセプション』がある。
この映画は現実と夢、さらに深い階層の夢が入れ子に折り重なる複雑な作品だ。登場人物と観客は、自分がいま現実にいるのか、それとも夢の中にいるのかを判断する手法として「コマ」を使う。回転するコマがやがて停止すればそこは現実で、いつまでも回り続けていれば、夢の中にいるということがわかる。
『インセプション』(2010)結末に関する描写があります。
この映画のラストでレオナルド・ディカプリオが演じた主人公のコブは、現実と虚無を何度も行き来する長き戦いを経て、ついに家族が待つ自宅にたどり着く。コブはこれが夢か現実かを確かめるために、取り出したコマを机上で回転させる。すると庭に、2人の幼い子どもの姿がある。「2人とも、元気か?」「パパ!」コブは愛する我が子を抱き上げ、かつての幸福を全身で享受する。
カメラはゆっくりと机上のコマにパンしていく。ハンス・ジマーによる哀愁のスコアがたなびく中、コマは回り続ける。コブがコマを放ってから、もうしばらく経っているはずが、不気味なほどに安定している。いいや、今、わずかに傾いたか。完全に判別できないまま、スクリーンは暗転する。
あとほんの数秒だけ、映画が続いていれば、観客はコブが現実に帰ることができたかどうかを知れただろう。このラストの解釈については、公開当時から映画ファンお気に入りの議題となっている。
クリストファー・ノーランはこの真相について、新たに米インタビューで尋ねられた。もちろんノーランのこと、『インセプション』の美しい余韻を台無しにするような解答はしていない。「公開当時は、聞かれることが多かった質問ですね」と笑いつつ、「エマが正解を導き出したと思います」と進める。エマとはエマ・トーマスのこと、つまり本作のプロデューサーで、ノーランの妻である。
「つまり、レオのキャラクターは……、あのショットのポイントは、彼はあの時、そんなことは気にしていないということです。私が気軽に答えられる質問ではないんです。」
『インセプション』の脚本はノーランが執筆したものだが、あくまでも自身の回答ではなく、“エマが言っていたこと”、“自分は答えられない”と回避している。その上でノーランが挙げる“正解”とは、あれが夢であったか現実であったか、コブは“気にしていない”ということである。コブにとって、我が子と再会できたこと自体が、世界の全てなのだ。
米メディアではこの回答と共に、2023年6月に米Wiredに掲載されたノーランのインタビューが合わせて参照されている。最新作『オッペンハイマー』のラストには、“『ダンケルク』や『インターステラー』などにも通ずる反虚無主義的なメッセージがあった”と指摘されたノーランが「『インセプション』もまさにそうです」と答え、次のように話しているものだ。
「彼は前に進み、子どもたちと一緒にいる。あの曖昧さは、感情的な曖昧さではありません。観客にとっては理知的なものなのです。」
ここでもやはりノーランは、夢か現実かという曖昧さはさておき、コブの中に起こっていた感情の方に注目している。『インセプション』がたどり着いた結末について何が最も本質的であったかは、これらのノーランの回答を受ければ自明だ。
なおノーランはこれに続けて、「『インセプション』と『オッペンハイマー』のラストは、掘り下げると興味深い関連性がある。『オッペンハイマー』は複雑なラスト、複雑な感覚がありますから」と話した。『オッペンハイマー』の日本公開はまだ未定だが、語り合いを必要とする類の作品に仕上がっていることは間違いなさそうだ。
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Source:@joshuahorowitz,Wired