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「私がいなければ現在のMCUはなかった」 ─ マーベル・スタジオの「忘れられた創設者」が設立当時から退社を語る

Photo by Chris Jackson https://www.flickr.com/photos/cmjcool/8633318298/

マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)には、多くの人々に忘れられてしまった“創始者”がいる。2003年、マーベル・スタジオの社長に就任したデヴィッド・メイゼルだ。

The New Yorkerの特集記事に登場したメイゼルは──いまやマーベル・スタジオの歴史に彼の名前はほとんど登場しないが──自分の存在なくして、現在のMCUはなかったと言い切る。実際のところ、第1作『アイアンマン』(2008)の公開以前である2007年に米The New York Timesがマーベル・スタジオを取材した際、メイゼルは“スタジオの顔”として記事に登場していたのだ。そこには「マーベル・シネマティック・ユニバース」という呼称も、現社長であるケヴィン・ファイギの名前もなかった。

ケヴィン・ファイギ
現社長ケヴィン・ファイギ Photo by Gage Skidmore https://www.flickr.com/photos/gageskidmore/35437565993/ Remixed by THE RIVER

しかし、「今ではケヴィンがスタジオを始めたものと思われている。彼らは私のことをまったく知りません」とメイゼル。スタジオ設立に携わる以前、大手エージェンシー・エンデヴァーで代理人として働いていたメイゼルは、キャリアの次なるステップとして、ハリウッドでのスタジオ経営を考えていた。その当時のアイデアが、のちのMCUの原型となる。

もしも自分が本気で信じられる映画を作れたら、その後の映画はすべて続編か、あるいは続編的なものになる。同じキャラクターを登場させ、永遠に続けられる。それは30本の新作映画ではなく、1本の映画と29本の続編だ。それを“ユニバース”と呼ぼう……当時はそのように考えていました。」

目をつけたのはマーベル・コミックだった。数えきれないほどの人気ヒーローを擁しながら、映像化権を他社に売却していたマーベルに、“自社が映画製作に出資すべきだ”と訴えかけたのだ。マーベル・エンターテインメント会長(当時)のアイザック・パルムッターは、映画を玩具販売の道具として考えており、メイゼルのアイデアには懐疑的だったという。それでも、パルムッターはメイゼルをマーベル・スタジオの新社長に推薦した。

理事会の反対を乗り越えるべく、メイゼルはキャラクターの権利販売を6ヶ月間ストップさせて資金調達に勤しんだ。マーベル映画の重要性を説いて周辺企業の信用を勝ち取り、すでに売却されていたアイアンマンやブラック・ウィドウの権利を取り戻し、ハルクを映画に登場させられるようにした。そして、映画製作のため5億2,500万ドルをリスクゼロで獲得したのである。もはや「マーベル・スタジオを立ち上げる以外に、理事会の選択肢はなかった」とメイゼルは振り返る。

マーベルは映画化できるキャラクターをリストアップし、玩具販売の主たるターゲットである子どもたちに「どのオモチャで遊びたいか」を尋ねた。そこで一番人気を獲得したのがアイアンマンで、かくして『アイアンマン』の企画が動き出したのである。また同じ頃、のちに“フェーズ1”と呼ばれる初期作品の検討も始まっていた(そのチームにはファイギの名前もあった)。

しかしその数年後、メイゼルはマーベルを去ることになる。

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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