舞台出身ケネス・ブラナーは『オリエント急行殺人事件』をいかにウェルメイドなエンターテインメントに仕上げたか

トム・フーパー監督のミュージカル映画『レ・ミゼラブル』(2012)を劇場で見たとき、私は「想像以上でも想像以下でもない出来」という感想を持ちました。
『レ・ミゼラブル』は文豪ヴィクトル・ユゴーの文芸大作を原作とした大ヒットミュージカルを一流のキャストとスタッフで映像化した作品です。つまり、企画時点でそれなりの成功が約束された作品です。
日本のアニメでも、『進撃の巨人』(2014)や『Fate/Stay Night』(2014-2015)のようなビッグタイトルのアニメ化は特に多くの予算が割かれているそうですが、これらは根強い原作人気があるからこそのビッグバジェットで、多くの人やモノを制作に投入できるのも企画そのものがある意味「安全パイ」であるからこそ可能と言えます。
『レ・ミゼラブル』もやはり根強い原作人気のある、ある意味「安全パイ」であり、一流のキャストやスタッフを動員して大規模のロケ撮影を敢行する製作費が集まったのも企画そのものの期待値の高さが成せる業でしょう。
ケネス・ブラナー監督の『オリエント急行殺人事件』(2017)もそういった企画と同種のものという印象を持ちました。
原作はミステリーの大家、アガサ・クリスティーの古典的名作で既に何度も映像化された実績があり、とりわけシドニー・ルメット監督版(1974)はオールスター映画の名作として名高いです。
今回の映画化もルメット版と同じく、オールスターキャストを売りにしており、手堅く楽しい映画に仕上がっています。
以上で2017年版『オリエント急行殺人事件』についての私見の多くを語ってしまったのですが、決して本作は企画だけの映画ではありません。
2017年版の『オリエント急行殺人事件』はルメットのコピーリメイクでは無い、監督、主演のブラナーの知恵が活きたウェルメイドなエンターテインメントです。

躍動的な演出
舞台演出家出身の映画監督は古今東西を問わずそれなりに存在しますが、現代の舞台出身映画監督で特に映画的な映画を撮るのは2人、
サム・メンデスと本作の監督であるケネス・ブラナーだと私は思います。
ブラナーはサービス精神旺盛な監督で、見る者を飽きさせないツボを押さえた良質な仕事をする逸材。自身が名優でもあるため、演技にある程度ウェイトを置きながらも、手抜かり無く演出をする人物です。
同じ舞台演劇の映像化でも例えば、ブラナーのシェイクスピア映画とジョージ・クルーニー監督の『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』(2011)を見比べるとよくわかります。
『スーパー・チューズデー』は有名舞台劇の映像化ですが、クルーニーの演出はいかにも「舞台」を思わせる作りでした。
クルーニーはテレビで俳優としてキャリアを積んだ俳優ですが、その演出は「手堅い」の一言に尽きます。彼の監督としての出世作になった『グッドナイト&グッドラック』(2005)もそうでしたが、会話が主体で動きが少なく、フィックスを中心とした切り返しと引きのマスターショットという、まるで教科書でも見ているかのような演出をする人です。
会話が主体の舞台劇である『スーパー・チューズデー』はその方向性がより強く表れており、ツボを押さえた手堅い作りではありますが映画というよりよくできた舞台の録画を見ているような印象を受けました。
対してブラナーのシェイクスピア映画はサービス精神満点で躍動的です。
その特徴に関しては別の拙記事で詳解しましたので今回は割愛しますが、そういう特性だからこそ、ハリウッド大作の『マイティ・ソー』(2011)や『エージェント・ライアン』(2014)との親和性も高かったのでは無いかと思います。
それでいて、彼の映画には舞台出身ならでは発想も含まれています。
それは「ステージング」です。
ステージング
「ステージング」とは一言でいえば「長回し」の事です。
ステージングという名称は、シーンがステージ(舞台)上の芝居のように扱われることから来ています。
画と画を細かく切って繋ぐモンタージュとは対極をなす発想で、1つのセクションを長回しで撮って表現することを言います。
前述の通り、現代の舞台出身の映画監督でもとりわけ、ブラナーとサム・メンデスは特に映画的な映画を撮る人だと思うのですが、彼らにはモンタージュや移動撮影を使った映像的な表現を知りながらも、ここぞというところでステージングを効果的に使う技を持っています。
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