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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のためのタランティーノ完全ガイド ─ 渾身の集大成、その軌跡が丸わかり

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
Quentin Tarantino and Brad Pitt on the set of ONCE UPON TIME IN HOLLYWOOD. (woman in shot: ELISE NYGAARD OLSON)

映画監督クエンティン・タランティーノの最新作、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が2019年8月30日(金)に公開される。レオナルド・ディカプリオ&ブラッド・ピットというハリウッドの2大トップスターが初共演、ダブル主演を務めた本作は2019年下半期最大の注目作といっていい。

そもそもタランティーノは、かねてより日本での高い人気で知られるフィルムメーカーだ。日本映画への深い愛情や親日家としての側面のほか、ソフトバンクのCMで白戸家と共演し、来日時にはテレビのバラエティ番組でも気さくで明るいパフォーマンスによって引っ張りだこ。そうして付けられた愛称が「タラちゃん」である。日本のお茶の間で、キュートな魅力をこれほどまでにふりまいたハリウッドの映画監督はかつていなかっただろう。そのパーソナリティは世界の映画ファンに親しまれており、最近は『アベンジャーズ』などのマーベル・シネマティック・ユニバース作品を本格的に見始めたというだけのニュースが各国で取り上げられたほどである(一番のお気に入りは『マイティ・ソー バトルロイヤル』だとか)。

とはいえ、だ。1992年に『レザボア・ドッグス』で監督デビューを果たしてから27年間で9作品、決して多作とはいえない創作ペースにもかかわらず、なぜクエンティン・タランティーノという映画監督は世界中で愛されつづけているのか。それはもちろん、彼本人のパーソナリティのためだけではない。タランティーノという人物が、彼のつくる映画が、端的に言って“すさまじい”からだ。『レザボア・ドッグス』で「かつてない才能が現れた」と世界を驚嘆させ、つづく『パルプ・フィクション』でカンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)を射止めてからも、タランティーノは“すさまじい”作品を世に送り出しつづけてきた。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』も従来と同じく、いや、それ以上に“すさまじい”作品だ。親しみやすい人間性のはるか上を行く映画監督としての成熟は、さらなる高みに達しているのである。本稿ではタランティーノ作品を振り返りながら、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が彼の集大成たる所以に迫っていきたい。そして、この映画が、なぜ今という時代を生きている私たちにとって重要な作品なのかということにも。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
Quentin Tarantino and Julia Butters on the set of ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD.

映画作家タランティーノの誕生、『レザボア・ドッグス』

クエンティン・タランティーノは1963年3月27日生まれ。母親コニーは16歳でクエンティンを出産するも、夫トニー・タランティーノとはすぐさま離婚。コニーとミュージシャンのカーティス・ザストゥピルが再婚したあと、クエンティンと実父トニーは一度も会っていないという。その後、3度の離婚を経験するコニーは、幼いクエンティンに必ずしも教育に良いとはいえない映画をたくさん観せては多くの本を読ませていた。一方で教育熱心な母親でもあったコニーだが、クエンティンはいわゆる学校教育にはなじめず、代わりに物語を書き、映画の世界に浸るようになっていく。

21歳の時、タランティーノは「ビデオ・アーカイヴズ」というレンタルビデオ店で働き始め、すぐに名物店員のひとりとなる。同じくフィルムメーカーや芸術家を志望する店員仲間と一緒に夜な夜な映画を観ては語り合い、時に大喧嘩しながら映画を作り始めたのだ。この店でタランティーノは、のちに『パルプ・フィクション』などを共同執筆する脚本家ロジャー・エイヴァリーや、映画に登場する魅力的なキャラクターの“原型”ともいうべき人々に出会った。当時の彼らが交わしていた会話やジョークは、のちのタランティーノ作品に、時にほぼそのままの形で使われている。

初めての監督作品となるはずだった『My Best Friend’s Birthday(原題)』が数多のトラブルによって頓挫したあと、1987年にタランティーノは『トゥルー・ロマンス』の脚本を完成させる。紆余曲折を経て、この映画が1993年にトニー・スコット監督の手で完成させられる前年、一足早くタランティーノは自身初の監督作品『レザボア・ドッグス』(1992)を発表した。タランティーノ自ら演じたミスター・ブラウンが、「マドンナの“Like A Virgin”は巨根を持つ男と出会ったビッチの歌だ」という超解釈をぶち上げる冒頭シーンは映画史に残るやり取りだ。

レザボア・ドッグス
『レザボア・ドッグス』© Live Entertainment 写真:ゼータ イメージ

宝石強盗に失敗した6人の男たちが、なぜ計画は失敗したのか、裏切り者は誰だったのかを探るサスペンスである本作は、強盗計画について話し合うオープニングのあと、さっそく強盗の失敗後まで時間が飛ばされる。強盗シーンそのものを描くことなく、登場人物それぞれの過去と、彼らが窮地に立たされた現在とを行き来するうちに、物語の全体像が立ち上がってくる構造だ。出来事の時系列を解体するストーリーテリングは特に評価されたポイントであり、しばらくの間、タランティーノ作品の特徴とされるものである。

またタランティーノは、「ビデオ・アーカイヴズ」時代に浴びるほど観た映画をはじめ、親しんできたテレビ番組やコミック、音楽の記憶を本作にこれでもかと詰め込んだ。スタンリー・キューブリック監督作品『現金に体を張れ』(1956)や『友は風の彼方に』(1987)などから多大なる影響を受けていることが指摘されるなど、既存の作品や表現を受け、まったく新たな映画を生み出すクリエイターとして一躍注目を浴びることになる。

現在に至るまでのタランティーノ作品の魅力は、ほとんど『レザボア・ドッグス』にその原点があった。緻密で技巧的なストーリーテリング、ポップカルチャーのリミックスによって独自の世界を構築する手法、物語の本筋から逸脱した、ユーモアに富んだ(時に長すぎるほどの)会話、観客を仰天させるショッキングな暴力描写。もちろん、そこには登場人物のロマンティックでナイーブな心理ドラマがしっかり存在することも見逃してはならない。そんな『レザボア・ドッグス』はカンヌ国際映画祭でも上映され、批評家たちが一目置かざるをえない、ひとこと言わざるをえない存在感を示している。映画監督クエンティン・タランティーノは、“すさまじい”新人として衝撃のデビューを飾ったのだ。

『パルプ・フィクション』そして映画愛の暴発

監督第2作『パルプ・フィクション』(1994)は、『レザボア・ドッグス』で示した才能と技術をアップデートした、プロローグと3つのエピソードから構成された群像劇だ。レストランで強盗を試みるカップル、組織の裏をかいた取引相手を制裁するギャングのヴィンセント&ジュールス、そのボスであるマーセルスと妻のミア、八百長の約束を破ったボクサーのブッチといった大勢の人物が入り乱れる物語だが、出来事の時系列はやはり入れ替えられている。彼らの人間模様が少しずつ重なり合うことで、ひとつの見取り図がじわじわと描き出されていく構造なのだ。

パルプ・フィクション
『パルプ・フィクション』©Miramax 写真:ゼータ イメージ

『パルプ・フィクション』では、時系列をシャッフルするストーリーテリングがさらに複雑化され、笑いを誘う会話やシチュエーション、唐突に訪れる暴力描写や緊迫感あふれる演出はより洗練された。映画をはじめとするポップカルチャーの引用も豊富なら、オープニングに使用された「Misirlou」などサウンドトラックのセンスも抜群。パルプ・フィクション、すなわち低俗な作り話としてエンターテイメントの本道をゆく本作は、カンヌ国際映画祭において、誰も予想しなかったであろうパルムドール(最高賞)に輝き、アートフィルムの歴史的傑作としても認められた。芸術と娯楽のヒエラルキーすらひっくり返す“すさまじい”成果を残したタランティーノは、「若き天才」から早くも「映画界の巨匠」となったのである。

ところでタランティーノの特徴は、その巧みなキャスティング・センスにもある。具体的に言えば、スター俳優に新たな光を当て、知られざる一面を引き出すことに長けているのだ。『パルプ・フィクション』の場合、当時キャリア的に苦戦していたジョン・トラボルタに代表作『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)を思わせるダンスを踊らせながら、コミカルかつ哀愁をたたえた演技を求めた。また、ブルース・ウィリスも『ダイ・ハード』シリーズのイメージを打破することに成功。両者は90年代を代表するスターとしてブレイクするに至っている。

次回作『ジャッキー・ブラウン』(1997)でもキャスティングの魔術は冴えた。犯罪小説の巨匠エルモア・レナードの『ラム・パンチ』を映画化した本作は、タランティーノ初の原作モノ。主演女優には、自身が愛した黒人向けの娯楽映画「ブラックスプロイテーション・フィルム」で活躍した女優パム・グリアを起用し、大御所ロバート・デ・ニーロや『バットマン』シリーズのマイケル・キートンものびのびと実力を発揮。タランティーノ自身は過去2作品のテクニカルな脚本から脱却を試みるように、比較的シンプルなストーリーの中でサスペンスとロマンスをじっくり描き出す演出に挑戦している。ところが従来のイメージと異なったがゆえもあるだろう、意欲作だったはずの本作は、多くの批評家やファンから喜ばれたわけではなかった。

その後、タランティーノはしばらくの沈黙を経て、ある意味で最大の問題作『キル・ビル』(2003-2004)を完成させる。婚約者と出産前の子どもを殺された花嫁ザ・ブライドの復讐劇を2部作で描いた本作は、『ジャッキー・ブラウン』に対する世間のリアクションを反映したかのようであり、またタランティーノが脳内のおもちゃ箱をひっくり返したかのような仕上がりだ。『Vol.1』で日本の時代劇やヤクザ映画、カンフー映画などを基に荒唐無稽なアクション&バイオレンスを展開したかと思えば、『Vol.2』ではマカロニ・ウエスタン(1960~70年代にイタリアで製作された西部劇映画)を引用して荒涼とした風景の中で巻き起こる心理ドラマを描いている。日本映画マニアとしての側面は『Vol.1』に顕著で、千葉真一がドラマ「影の軍団」の服部半蔵役を再演しているほか、日本のアニメ会社Production I.G.がアニメシーンの製作を担当。北村一輝、田中要次ら日本人俳優も参戦した乱戦シーンは2部作の白眉だ。

キル・ビル
『キル・ビル Vol.1』©Miramax Films 写真:ゼータ イメージ

続く『デス・プルーフ』(2007)も、『キル・ビル』2部作と同じくタランティーノのジャンル映画愛がほとばしった一本。往年のB級アクション映画を全力でリスペクトした本作は、『ワイルド・スピード』よりも(ある意味で)数十倍ワイルドなカーアクションを見どころにするかたわら、初期作品に多くみられた「本筋とは無関係な会話劇」を、ガールズ・トークに仕立てたうえで作品の最前面に押し出している。

伝記本「タランティーノ・バイ・タランティーノ」によれば、『パルプ・フィクション』の公開当時、タランティーノは「俺はいままで作られた映画ならどれからだって盗むよ」と言い放ったという。「俺の作品になにか意味があるとすれば、こっちからこれを取って、あっちからあれを取って、それをすべて混ぜ合わせてるってことだ。[中略]偉大なアーティストは盗むもんだ、オマージュを捧げたりはしない」。ポップカルチャーのリミックスが最大の特徴といえる映画作家だったタランティーノは、『キル・ビル』『デス・プルーフ』で再びこの志向に回帰したのだろう。

しかし『パルプ・フィクション』から15年後の2009年、タランティーノの作風は突如として大きな転換を示すことになる。

歴史をハッキングする『イングロリアス・バスターズ』

出演者にブラッド・ピットを迎えた『イングロリアス・バスターズ』(2009)は、それ以前のタランティーノ作品とは一味も二味も異なる映画だ。物語の舞台は第二次世界大戦下、ドイツによって占領されたフランス。この場所で「ユダヤ・ハンター」の異名をとるナチス・ドイツのハンス・ランダ大佐、その手から逃れた若きユダヤ人の映画館主ショシャナ、ドイツ兵を残虐に殺害するアメリカ人特殊部隊「バスターズ」、ナチス壊滅を図るイギリス軍などが入り乱れるのである。「ヒトラーとナチス・ドイツによる強権のもと、その転覆をはかる人々を描く戦争映画」といえば分かりやすいだろうか。それ以前のタランティーノがポップな犯罪映画やアクション映画を撮る傾向にあったことを考えると、すでに大きな変化がうかがえるはずだ。

イングロリアス・バスターズ
Film (C)2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

むろん本作にも、タランティーノの映画的記憶はたっぷりと注ぎ込まれている。しかし、原題を同じくするイタリア映画『地獄のバスターズ』(1978)をはじめとする戦争映画や『生きるべきか死ぬべきか』(1942)など数多の名作が引用されながら、明らかに従来と異なるのは、それらが「ナチス転覆」をめぐるストーリーテリングにがっちりと結びついていることだ。かつてはリミックスの数々で独自の世界を構築していたタランティーノは、強固な現実を撮るにあたって、作品を支える骨組みのひとつとして引用を操るようになったのである。

また、得意とするユーモアあふれる会話劇にも変化が生まれた。たとえばランダ大佐の登場シーンでは、やり取りが軽やかなトーンで展開するがゆえ、心中の読めない人物をめぐるサスペンスがより効果的なものとなっている。一方、『パルプ・フィクション』などで見せたスラップスティックな笑いも健在。ブラッド・ピットとイーライ・ロス、クリストフ・ヴァルツという豪華メンバーによる、ほとんど外国語コントのような掛け合いも楽しめる。

けれども本作で特筆すべきは、タランティーノがその“すさまじい”テクニックとセンスをもって、とうとう巨大なテーマに切り込んだことである。ナチスの暴力、宣伝大臣ゲッベルスによる映画の政治利用、ナチス転覆に動くアメリカ・イギリス軍、そして映画を愛するユダヤ人ショシャナの復讐を描く全5章の群像劇は、(初期作のごとく)少しずつ全貌が明かされる筋立ての果てに強烈なメッセージへと結び付く。「俺の作品になにか意味があるとすれば[中略]すべて混ぜ合わせてるってことだ」と言ったタランティーノは、本作で、現実の歴史や自身の作風すら物語に「すべて混ぜ合わせ」た。そして最後には、『キル・ビル』『デス・プルーフ』で顕著だった、ケレン味に富んだアクション&バイオレンスを炸裂させ、映画が歴史を凌駕してしまう瞬間を見せつけるのである。

イングロリアス・バスターズ
Film (C)2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

こうしてタランティーノは従来のスタイルを一切捨てることなく、ジャンル映画としての、そしてエンターテイメントとしての誇りを謳いあげながら、社会的・歴史的テーマやメッセージを描く作家へと進化した。『イングロリアス・バスターズ』が戦争映画の系譜を継ぐ作品なら、『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)はマカロニ・ウェスタンの文脈だ。南北戦争直前のアメリカ南部を舞台に、黒人奴隷のジャンゴは、生き別れた妻を探すため賞金稼ぎとして活躍する。タランティーノは、米国の歴史に横たわる奴隷問題、現在までつながる人種差別の問題を直視する本作を、あくまで激しい暴力描写をともなう痛快なアクション活劇、ロマンティックなラブストーリーとして作り上げたのだ。『イングロリアス・バスターズ』に続き、残念ながら現実にはありえなかったような夢の光景を見せるところは、タランティーノが映画に何を求め、過ぎ去った歴史にいかなる祈りと敬意を捧げているかの表れだろう。ちなみに『ワンハリ』に登場するレオナルド・ディカプリオは、本作でタランティーノと初タッグ。むごたらしい差別をなんの気にもかけない農園領主をピュアな眼差しで演じきっている。

“タランティーノ初の密室ミステリー”と称された『ヘイトフル・エイト』(2015)も、異色作ではあるが、この方針がきちんと引き継がれた。南北戦争直後を舞台とする本作には、いわば『ジャンゴ』の精神がそのまま残されているのだ。ポイントは、8人の主要人物が猛吹雪のなか閉じ込められる密室劇の空間が、やがてアメリカという国そのものの縮図に見えてくるところ。タイトル通り憎しみ合う男たちの関係性は、劇中では終わったばかりの南北戦争の構図を再現するようになっていき、ついには差別と暴力の歴史すらあぶり出していく。もちろんタランティーノ作品であるから、そういったテーマが純粋な娯楽映画として表現されているところがキモ。時に長すぎるほどの会話の妙は、本作でもたっぷりと味わうことができる。

なぜ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は特別な映画なのか

さて、ここまでクエンティン・タランティーノという映画監督の歴史を駆け足で振り返ってきたわけだが、すべては最新作である『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のためである。最低限これくらいをひも解いておかなければ、なぜ本作がタランティーノにとって、そして私たちにとって大切な映画であるかを書き残しておくことができないのだ。

物語の舞台となるのは、タランティーノが幼少期を過ごした1969年のハリウッド。フィルムメーカーとしての、人間としての原点を作った場所である。タランティーノは本作の背景について「人生をかけてリサーチしてきた」といい、5年の歳月を費やして脚本を執筆。落ち目のテレビ俳優リック・ダルトンと彼のスタントマンであるクリフ・ブースを主人公に、新進女優シャロン・テートの殺人事件を題材として、激動のハリウッドを巧みなストーリーテリングで描き出した。当時のハリウッドを彩った映画やテレビ、音楽がふんだんに盛り込まれるのは当然のこと、タランティーノはポップカルチャーに対するあふれんばかりの愛情を本作に捧げている。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
Leonardo DiCaprio star in Columbia Pictures メOnce Upon a Time in Hollywood”

ただし現在のタランティーノは「いままで作られた映画ならどれからだって盗む」と公言した、いささか挑発的な若き日のタランティーノではない。膨大な引用の数々は、1969年当時のハリウッドという土地や業界、その場所を生きた人々へのストレートなリスペクトにまで昇華された。『イングロリアス・バスターズ』で戦争を、『ジャンゴ 繋がれざる者』で奴隷制度を、『ヘイトフル・エイト』でアメリカという国を、それぞれ映画というフィルターを通して見つめたタランティーノは、いよいよ映画を通じて映画を、ハリウッドを、ひいては映画史を語るのである

ディカプリオ&ピットの主役コンビは、タランティーノの信頼を受けて大量のセリフを任されながら、変化のまっただなかにあるハリウッドにて戸惑う男たちを心理描写のきめ細やかに演じている。大スターである二人が、再起を賭ける俳優と彼を支えるスタントマンに扮するわけだが、タランティーノによるキャスティングの魔術も『パルプ・フィクション』以来の大成功をみせた。二人は『ジャンゴ』『イングロリアス~』のような怪演ではなく、きわめてストレートな演技によって今までに見たことのない姿を見せてくれる。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、タランティーノが『レザボア・ドッグス』を発表してから──もっと言えばビデオストアで働いていた頃から──培ってきたものがすべて詰まった、そして自身が愛してやまない映画に真っ向から挑んだ、言わずもがなの集大成である。ここで多くは語らないが、特徴のひとつである暴力表現もしっかりと織り込まれている。タランティーノ作品を欠かさず観てきたファンならば、映画監督として、さらに“すさまじい”段階へと踏み込んだ瞬間に立ち会えた喜びに震えるはずだ。

デビュー以来、紆余曲折を経ながらも、映画界において常に最も重要な作家だったタランティーノは、この最新作でさらなる円熟の境地に達した。タランティーノ作品を観たことがない方も、そんな“巨匠”と同じ時代を生きている幸福を、この機会にこそ体感しておくべきだろう。この映画から彼の作品世界を味わうことは、長きに渡るタランティーノの試行錯誤と進化の最新形を最初に観るということであり、同時にフィルムメーカーとしての原点に触れるということでもあるからだ。きっと後にも先にも、これほどの贅沢はない。

ちなみにタランティーノ自身は、すでに本作に大きな手ごたえを感じているようである。映画10作目での監督引退を公言しているタランティーノは、9作目である『ワンハリ』を自身のキャリアにおける「クライマックス」と位置づけるばかりか、「評判がすごく良ければ10本目は作らないかもしれません。うまくいっているうちに辞めちゃうかもしれませんね」とすら口にしているのだ。

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映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、2019年8月30日(金)公開。

監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
出演:レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、エミール・ハーシュ、マーガレット・クアリー、ティモシー・オリファント、ジュリア・バターズ、オースティン・バトラー、ダコタ・ファニング、ブルース・ダーン、マイク・モー、ルーク・ペリー、ダミアン・ルイス、アル・パチーノ
公式サイト:http://www.onceinhollywood.jp/
公式Twitter:https://twitter.com/SPEeiga
公式Facebook:https://www.facebook.com/SPEeiga/

参考文献:ジェイミー・バーナード(1995)『タランティーノ・バイ・タランティーノ』島田陽子訳,ロッキング・オン
小出幸子(編)(1998)『フィルムメーカーズ[3]クエンティン・タランティーノ』キネマ旬報社
佐藤睦雄(編)(2013)『クエンティン・タランティーノ アルティメット・ガイド』双葉社

イングロリアス・バスターズ

『イングロリアス・バスターズ』
Blu-ray: 1,886 円+税/DVD: 1,429 円+税
発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント
Film (C)2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

Writer

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稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。THE RIVERほかウェブ媒体、劇場用プログラム、雑誌などに寄稿。国内の舞台にも携わっています。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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