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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』リック・ダルトンを追って ─ 1969年アメリカ、映画と時代がうごめく頃

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

むかしむかし、ハリウッドに、リック・ダルトンという男がいた。クエンティン・タランティーノ監督による最新作、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のタイトルは「むかしむかし、ハリウッドで」という意味。この映画は、初めて人類が月面に降り立った1969年、もはや「むかしむかし」という言葉が似合ってしまうほどの過去を舞台にタランティーノが紡ぎ出した渾身の昔話、おとぎ話だ。

1963年生まれのタランティーノは、本作の脚本を書くために「人生をかけてリサーチをしてきた」という。しかし観客の多くは、おそらく1969年当時にはまだ生まれていなかっただろうし、当時のハリウッドの風景も知らないことだろう。もっとも多くのタランティーノ作品と同じく、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』もまた、作品の背景を知るほどに深く味わえる映画に仕上がっている。


そこで今回、1969年のハリウッドを知るべく追いかけてみたいのが、物語の主人公、レオナルド・ディカプリオ演じるリック・ダルトンである。テレビドラマの世界で人気者となるも、その後は人気が伸び悩んでしまった俳優だ。

もっとも冒頭に記したように、この映画はタランティーノによる“おとぎ話”。実在する人物もたくさん登場する本作において、リックは架空の人物なのである。しかし裏を返せば、彼こそが、映画の世界に観客を誘い込む水先案内人。その足跡を追っていけば、自然と1969年のハリウッドが見えてくるはずだ。キャスト&スタッフのインタビューや当時のニュース映像などで構成された特別映像とともに、じっくりと物語の世界に浸ってみることにしよう。

リック・ダルトンと「1969年のハリウッド」

俳優リック・ダルトンの代表作は、西部劇ドラマ「賞金稼ぎの掟(Bounty Law)」。この番組でリックの代わりにスタントを演じたのが、長年にわたってリックのスタントマンとして活動しているクリフ・ブース(ブラッド・ピット)だ。クリフはリックの付き人として、仕事場への送迎や自宅の雑事なども見事な手際でこなす。そして、さすがはスタントマンである、腕っぷしはめっぽう強い。

当時、ハリウッドのスター俳優とスタントマンは、現在以上に“ビジネスだけでは割り切れない”関係性にあった。たとえば映画史に残る名優スティーブ・マックイーンは、数々の作品でスタントを担当したバド・イーキンスと人間同士の確たる信頼関係を築いていたというし、本作に出演予定だった故バート・レイノルズも、元スタントマンの映画監督ハル・ニーダムと長年にわたり強い絆で繋がっていたとされる。リックがテレビの世界で売れっ子になり、ハリウッドにプール付きの豪邸を構えるに至った背景には、クリフという心強い支えがあったのだ。

逆にいえば、クリフという男の人生を抱えることが、いまやスターであるリックの責任といっていい。リックが成功し続けなければ、クリフの人生にも大きな影響が出てしまうのだ。ところがキャリアに翳りを見せつつあるリックは、飛躍のチャンスをつかみそこね、いまや後輩俳優のドラマでゲストとして悪役を演じる身。テレビの世界で自分の望みを叶えられなくなった彼は、やがて映画の世界に活路を見出していく。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
Leonardo DiCaprio, Brad Pitt and Al Pacino in Columbia Pictures ÒOnce Upon a Time in Hollywood”

ただし、映画の世界はクリフが思うほど希望にあふれた場所ではなかった。1930年代に第一の黄金期を迎えたハリウッドは、第二次世界大戦が終わった翌年の1946年から観客動員数を減らしはじめ、長い期間をかけて勢いを失いつつあったのである。各家庭にラジオやテレビが普及したこともきっかけとなって、人々はわざわざ映画館へと足を運ばなくなったのだ。1950年代には観客を取り戻すため、3D映画やワイドスクリーンといった新技術が採用され、郊外には、車に乗ったまま映画を観られる「ドライブインシアター」が大量に造られていた(この発明はカップルやファミリー層の人気を得て、一時の収益は映画興行全体の4分の1にまでなっていたという)。

またリックやクリフの前には、鳴り物入りでハリウッドに参戦してきたニュー・スターたちも立ちはだかる。たとえば、大ヒットドラマ「拳銃無宿」(1958-1961)に主演し、映画界への華麗なる転身に成功した先述のスティーブ・マックイーン。スター俳優として飛躍するきっかけになった名作『大脱走』(1963)は、ぜひ本作を観る前にチェックしておいてほしい一本だ。また香港での活躍を経て渡米し、同じく人気ドラマ「グリーン・ホーネット」(1966-1967)で準主役を務めたブルース・リーがいれば、リックの豪邸の隣には、『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)などの俊英ロマン・ポランスキー監督と、『吸血鬼』(1967)に出演した新進女優である妻シャロン・テート夫婦が引っ越してくる。そんな中、当のリックは、自分という俳優の旬がとうに過ぎている事実を突きつけられるのだ。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
Brad Pitt and Mike Moh in ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD.

リックが味わう状況について、タランティーノは「テレビから映画へ移るどころじゃない、彼を支える文化が変化している」のだと語っている「彼にとっては天変地異が起きているようなもの。主演俳優というものの時代が変わりつつあったんです」。リック・ダルトンのモデルになっているのは、かつて実在したハリウッドのスターたちだ。「Route 66(原題)」(1960-1964)のジョージ・マハリスや「サンセット77」(1958-1964)のエド・バーンズ、タブ・ハンター、ファビアン・フォルテ、ヴィンス・エドワーズ、タイ・ハーディン。いまや“知る人ぞ知る俳優”である彼らの共通点は、みなハンサムで無骨な俳優だったことである。

ところがある時から、主演の座を射止めるのは、髪の長い、どこか中性的な魅力をもつ俳優へ変わっていった。タランティーノが挙げているのは、2019年8月16日にこの世を去った『イージー・ライダー』(1969)のピーター・フォンダ、『ひとりぼっちの青春』(1969)のマイケル・サラザン、歌手として親しまれたアーロ・ガスリー、そして現在も活躍するマイケル・ダグラス。「もしもリックが映画で彼らと共演するとしたら、たぶん彼らをぶん殴る刑事の役でしょうね」

ハリウッドと「1960年代のアメリカ」

それにしても、なぜリック・ダルトンにとっての「天変地異」は起こったのか。1969年に大きな変革を迎えたハリウッドは、1960年代以前から、常にアメリカという国全体の動きに大きな影響を受けていたのである。リックとハリウッドの状況を把握しておくために、いったんハリウッドを離れ、当時のアメリカがどんな状況にあったかを振り返っておこう。

1969年から24年前にあたる1945年、第二次世界大戦が終結し、戦争に勝利したアメリカにはベビーブームが到来した。1950年代には、人々はこぞって、マイホームや自動車、テレビ、冷蔵庫などの一式がそろった豊かな家庭を目指している。これぞ、アメリカという国が豊かであることの証左。しかし豊かさを指標にする以上、人々の間には、“豊かになるための階段を踏み外したら終わり”という緊張感も高まっていく。さらに世界規模の動きを見れば、アメリカとソ連の冷戦は深まる一方。国内では共産主義者を社会から追放する「赤狩り」の動きもあり、素朴に“豊かで幸福な時代”とは言い切れない空気が醸成されていった。ハリウッドでは脚本家や監督たちが「赤狩り」の標的となったほか、前述したテレビ人気は、映画館から観客を遠ざけ始めていく。

そんな時代に生まれ育った“ベビーブームの子どもたち”は、1960年代に入るとティーンエイジャーになり、そして成人へと近づいていった。この頃、アメリカは激動の時代へと突入。1963年にはジョン・F・ケネディ大統領の暗殺事件が発生し、翌1964年には、すでに起きていたベトナム戦争にアメリカが軍事介入する。徴兵制ゆえ、アメリカの若い男性も戦場へと駆り出されていった(スタントマンのクリフ・ブースはベトナム戦争の兵役経験者という設定だ)。国内ではベトナム戦争の反対運動が盛んにおこなわれ、同時に黒人の地位向上を求める公民権運動が活発化し、女性が自由な生き方を求めるウーマンリブ運動も起こりはじめている。

1966年4月、ベトナム戦争への徴兵に反対する人々 Mitchell Library, State Library of New South Wales and Courtesy SEARCH Foundation

人々によるデモや集会が全米で活発化していた1960年代、あらゆる活動に共通したのは、“当たり前だった価値観を若い世代が刷新する”という強い意志だった。そして一連の動きは、リック・ダルトンの住む豪邸のすぐそばにも忍び寄ってくる。当時のハリウッド周辺では、こうした社会情勢の影響をもろに受けた、2つの大きな動きを観測できるのだ。

ひとつが、既存の価値観や生き方への反発、社会への抵抗として発生したヒッピー文化である。『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)で、アメコミの巨匠スタン・リーが「戦争よりメイク・ラブだろ!」と叫んだ1970年よりも少し前、ヒッピーたちは反戦のためにラブ&ピースを謳い、西洋思想ではなくヨガやインド哲学、禅や仏教などの東洋思想を日常に取り入れた。自然派の生活を志向し、髪やひげを伸ばし、ゆるやかなファッションに身を包み、独自のコミュニティを形成して生活し、マリファナを吸い、音楽を聴き、トリップし、時にはフリーセックスに溺れた。彼らの目指したものは、ある過酷さを見せていたアメリカ社会の中にユートピアを作ることだったとされる。

1969年8月18日、ウッドストック・フェスティバル(後述)の会場付近にて/Photo by Ric Manning https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Woodstock-kids.jpg

そんな頃のハリウッドは、観客を劇場に集めるための大作映画を積極的に製作しながら、新たな才能の発掘にも躍起になっていた。そこで生まれてきたのが、いわゆるスペクタクルでもロマンスでもなく、反体制的な思想を持つ若者の苦悩や葛藤に焦点を当てた「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる作品だ。代表作とされるのは、『卒業』(1967)『俺たちに明日はない』(1967)『明日に向って撃て!』(1969)『ワイルドバンチ』(1969)『イージー・ライダー』(1969)など。監督個人の思想が直接的にあらわれ、激しい暴力描写や諦念にすら満ちた映画の数々は、若者たちから熱い支持を受け、現在でも多くの映画ファンに愛されている。

リックとクリフ、どこへ行く

そろそろご想像いただけたかもしれない。ベトナム戦争や差別問題が社会に暗い影を落とし、若者が反体制を謳歌する、そんな時代の機運を感じ取っていたハリウッドでは、ハンサムかつ無骨、いかにも男性的な俳優が主役として新たに登場するのは難しかったのだろう。タランティーノが挙げたような“中性的な俳優たち”のほうが、社会の中で立ちすくみ、葛藤し、行き場を失った人々を表現するにはふさわしそうだ。実際、アメリカン・ニューシネマで頭角を現したウォーレン・ベイティやポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードらは、男性的魅力にとどまらない求心力をそなえた俳優だった。ただし『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の場合、変化するハリウッドで葛藤するのは、むしろリック・ダルトンとクリフ・ブースのほうなのだが。

1960年代には、リックが恩恵にあずかってきた「西部劇」も衰退の気配を漂わせている。1940年代後半からハリウッドを代表する人気ジャンルであった西部劇だが、当時のスタンダードとなっていたのは、アメリカ先住民(インディアン)が土地開拓者の白人たちを襲撃し、最後にはガンマンが先住民を倒すという物語。しかし1950年代を発端とする公民権運動の高まりは、こうした、いささか差別的な構図にも厳しい視線を向けていた。西部劇の舞台となる西部開拓時代には、むしろ白人こそが先住民を弾圧して土地を奪っていたのではなかったかと。

そんな中、思わぬところから新たな西部劇のムーブメントが生まれてきた。製作国はイタリア、撮影はローマやスペインで行われる「マカロニ・ウエスタン」と呼ばれる映画群だ。それまでハリウッドはヨーロッパでの映画撮影にも精を出していたが、産業としてのパワーが衰えつつあったこともあり、1960年代初頭にヨーロッパを撤退。現地の優秀な監督たちは、残されたセットと小道具で、低予算ながら質の高い西部劇を作ろうとしたのである。マカロニ・ウエスタンの特徴は、ハリウッド発の西部劇とは真逆を行く、世界を斜に構えて見るようなアンチ・ヒーローを主人公とする物語や、それでいてセリフ中心ではなく、音楽と画面によってストーリーを語ろうというスタイル。そして、あきらかに残虐な暴力描写だった。

続・夕陽のガンマン
『続・夕陽のガンマン』(C)2017 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved. Distributed by Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC.

マカロニ・ウエスタン作品には、映画をイタリアやスペイン以外でもヒットさせるため、主演俳優としてアメリカやイギリスからテレビ俳優が招聘されている。マカロニ・ウエスタンを一躍世界に知らしめたのは、クリント・イーストウッド主演『荒野の用心棒』(1964)。セルジオ・レオーネ監督とイーストウッドのタッグは、『夕陽のガンマン』(1965)『続・夕陽のガンマン』(1966)という傑作を相次いで発表した。レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(日本初公開時邦題『ウエスタン』、1968)も映画史に残る一本だ。

ちなみに、マカロニ・ウエスタンの名手セルジオ・コルブッチ監督は、タランティーノが『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)の元ネタとした『続・荒野の用心棒』(1966)を製作した人物である(この名前は覚えておいてほしい)。ところで、ハリウッド製の西部劇でブレイクしたリック・ダルトンは、必ずしもマカロニ・ウエスタンに肯定的ではないようだが……?

1969年、ハリウッドとヒッピー文化が変わる

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の舞台である1969年は、リックの過ごしたハリウッドや、一時は隆盛を誇ったヒッピー文化に決定的な終わりが訪れようとする時期だった。1960年代、ハリウッドの映画会社は他業界の巨大企業に吸収合併され始めたが、1969年にはとりわけ象徴的な出来事が起こっている。大手映画会社MGMが、ラスベガスでホテルやカジノを経営するビジネスマンのカーク・カーコリアンに買収されたのだ。映画にまったく興味や関心がなかったカーコリアンがMGMを手中に収めたのは、撮影所の土地を再開発したいがため。度重なる競売の末、西部劇や戦争映画、ミュージカルなど数々の作品を彩ってきたセットや小道具、衣裳などはすべて売却され、あるいは取り壊されてしまった。

一方、ヒッピー文化にも大きな曲がり角がやってくる。1969年8月9日、カルト主導者チャールズ・マンソンがヒッピーを率いて結成した「マンソン・ファミリー」が女優シャロン・テートを殺害する事件が発生。その翌週である8月15日からは、ヒッピーの思想を体現する巨大野外フェスティバル「ウッドストック・ミュージック・フェスティバル」が3日間にわたって開催され、40万人以上の来場者がラブ&ピースとセックス、ドラッグを満喫した。1967年ごろを最盛期に、ゆるやかに勢いを失いつつあったヒッピー文化にとって、この催しは“最後の打ち上げ花火”だったといえる。1970年代には石油危機がアメリカを襲い、いよいよ社会が経済的に苦しくなっていく中で、ヒッピーたちは続々と姿を消していくのだ。

【解説】チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、そんな時代を生きるリック・ダルトンとクリフ・ブース、もっといえばシャロン・テートや、実際にハリウッドを生きていた人々の物語だ。彼らが車を使って移動するシーンが何度も登場するあたり、ハリウッドの街並みや風景も映画の主人公だといっていいだろう。なにしろ1969年当時のハリウッドを忠実に再現するため、撮影ではロサンゼルスの街を実際に封鎖してセットを作り込んだという。クリフが運転するリックの車や、シャロンが自身の作品『サイレンサー第4弾/破壊部隊』(1968)を観るために訪れる映画館、さらには当時のファッションや音楽まで、タランティーノのこだわりは映画の隅々まで詰まっているのだ。

ところで本作には、リックやクリフと同じように変化を経験し、ある種の終わりへと接近していくハリウッドの姿がはっきりと映し出されている。マンソン・ファミリーは1968年5月以降、カリフォルニア州チャッツワースにある「スパーン映画牧場」という西部劇の巨大セットを生活拠点のひとつとしたのだが、劇中に登場するスパーン映画牧場は、とてもその場所で映画が撮影されていたとは思えないありさま。オーナーである老人ジョージ・スパーンも姿を見せるが…その様子は映画本編を観て確かめてほしい。

映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、2019年8月30日(金)公開。

監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
出演:レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、エミール・ハーシュ、マーガレット・クアリー、ティモシー・オリファント、ジュリア・バターズ、オースティン・バトラー、ダコタ・ファニング、ブルース・ダーン、マイク・モー、ルーク・ペリー、ダミアン・ルイス、アル・パチーノ
公式サイト:http://www.onceinhollywood.jp/
公式Twitter:https://twitter.com/SPEeiga
公式Facebook:https://www.facebook.com/SPEeiga/

参考文献:北野圭介(2017)『新版 ハリウッド100年史講義 夢の工場から夢の王国へ』平凡社.
蓮實重彦(2017)『ハリウッド映画史講義』筑摩書房.
『Spectator』第44号, エディトリアル・デパートメント.
Pure Cinema Podcast, SWDB, liveabout.com, StuntsUnlimited

続・夕陽のガンマン 続 夕陽のガンマン MGM90周年記念ニュー・デジタル・リマスター版
発売中/希望小売価格¥1,905+税
20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント
(C)2017 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved. Distributed by Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC.

Writer

稲垣 貴俊
稲垣 貴俊Takatoshi Inagaki

THE RIVER編集部。「わかりやすいことはそのまま、わかりづらいことはほんの少しだけわかりやすく」を信条に、主に海外映画・ドラマについて執筆しています。国内舞台作品の執筆・創作にも携わっています。ビリー・アイリッシュのライブに行きたい。お問い合わせは inagaki@riverch.jp まで。

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