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【解説】『パーソナル・ショッパー』は現代におけるコミュニケーションの物語である

アサイヤス作品に共通する「移動」と「契約」

DEMONLOVER デーモンラヴァー』(’02)以降のオリヴィエ・アサイヤス作品で、重要なモチーフとなっているのが「移動」である。それは、どこかレジャー感覚を想起させる「旅行」とは全く違う概念だとは記しておきたい。アサイヤス作品の登場人物たちはどこまでも義務的に、それでいて否応なく、目的地へと向かうことを宿命づけられている。たとえば、傑作『はじまりへの旅』(’16)の家族たちがキャンピングカーでの旅路を通して、家族の在り方を見つめ直していく感動的なプロットとは対照的だ。

『デーモンラヴァー』のディアーヌは産業スパイとして「移動」を繰り返すうち、アイデンティティーを崩壊させ、現実とオンラインの境界線を混ぜ合わせていく。『レディ アサシン』(’07)のサンドラの「移動」には殺人と逃亡という目的しか介在せず、『カルロス』(’10)のテロリストたちには破壊活動の任務があるだけだ。これらの作品と比べるとエモーショナルな趣のある『アクトレス~女たちの舞台~』(’14)ですら、ヒロインの大女優が「移動」を繰り返す目的は愉悦から程遠い。付け加えるなら、これらの登場人物は全て、金銭によって巨大な何か(誰か)と契約している存在である。

最新作『パーソナル・ショッパー』’16)もまた、「契約を結んだ女性」の「移動」の物語である。ヒロインであるモウリーンはセレブリティーの代行で服やアクセサリーを買いに行く仕事(パーソナル・ショッパー)をしている。ハイブランドのショップに入り浸り、店員とも親しげに話す彼女はしかし、契約によりアイテムを試着することが禁じられている。あらかじめ愉悦を奪われている彼女は、平坦な仕事の一環としてヨーロッパ中を駆け巡っている。

【注意】

この記事は、『パーソナル・ショッパー』の内容に触れています。

犠牲者を演じ続けるクリステン・ステュワート

©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR
©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR

モウリーンを演じているクリステン・ステュワートはアイサイヤスの前作『アクトレス』でも近しい役柄を演じていた。大女優のマネージャー、ヴァレンティンである。ヴァレンティンはモウリーンと違い、雇い主との関係は良好で、友人同士のように付き合っている。しかし、老いを受け入れられない女優の激しい葛藤に振り回され、徐々に疲弊していく。ある意味でモウリーンとヴァレンティンは巨大な存在の影に隠れた、犠牲者だと見ることができる。

アサイヤスが『パーソナル・ショッパー』の構想をステュワートに持ちかけたのは『アクトレス』撮影後のことだったという。この二本はアサイヤスの中でも姉妹編のように、多くの類似点を持っている(ステュワート以外のキャスティング、いずれも芸能界が舞台、列車のシーン…)。意図的に、アサイヤスが『アクトレス』と対になる映画を撮ろうとしたと考えても深読みではないだろう。

闇の中の光が善良であるとは限らない

「契約」と「移動」にまつわる物語の中で、アサイヤスが浮かび上がらせようとしているもの、それは現代人の生である。『パーソナル・ショッパー』で何者かのメッセージにより、モウリーンが掌握されていく過程を見てみよう。その間、彼女はロンドンからパリへ帰る列車の中でメッセージの往復を行っている。パリに着くと雇い主の家に向い、メッセージの誘惑に負けて初めてドレスに身を通してしまう。

©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR
©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR

国境すらも無感動に超越できるようになった現代。それは『デーモンラヴァー』以降のアサイヤスが繰り返し描き続けている無機質なカオスである。アサイヤスにとってのカオスは企業や政府、セレブに形を変えて描かれていく。

そんなカオスと「契約」し、収監されたモウリーンの人間性は、わずかなきっかけで檻をはみ出していく。ドレスを着て自慰にふけるモウリーンは自らを抑圧していた世界に反抗し始めたようにも映る。しかし、画面を覆う闇は彼女が単に、さらなる世界の暗部へと接触したに過ぎない可能性を示す。暗い部屋で束の間の解放感に身を委ねるモウリーン、そして、その闇は『デーモンラヴァー』で描かれた、ポルノアニメと現実が同一化した地獄かもしれない。部屋の中、モウリーンを照らす灯りはメッセージが受信されるスマホの画面である。闇の中の光は人間を導くかもしれないが、決して善良さとイコールではない。(ちなみに、カメラマンのヨリック・ル・ソーは『アクトレス』や『デーモンラヴァー』も担当している)

そう、『パーソナル・ショッパー』は紛れもないコミュニケーションの物語である。物理的距離や情報が無感動なものとして存在している現代で、コミュニケーションの本質を観客に問い直している。

霊媒師という設定は果たして歪か?

そして、『パーショナル・ショッパー』はやや風変わりな交流を、モウリーンの体験と対比させる。モウリーンが霊媒師であり、死んだ双子の兄からのサインを待ち望んでパリに留まっているという設定だ。現実に届く正体不明のメッセージと、現実ではないかもしれないが送り主がはっきりとしているメッセージに面食らう観客もいるだろう。

しかし、アサイヤスの過去作品を見返せば、そんなプロットもとりたてて驚きに値しない。アサイヤスの作品は冷徹に現実を浮き上がらせるがあまり、「現実でないもの」の存在すらもくっきりと浮き上がらせてきたからだ。強い光が強い闇を生み出すのと同じ原理である。『夏時間の庭』(’08)が遺された者の現実の物語であるのと同時に、遺された者の中にある死者の記憶の物語であったように。

現実が歪んだ世界では、幽玄が実体を伴ったとしても何の不思議があるだろう?我々はそれほどまでに、過去の大前提が通用しない世界を生きている。『パーソナル・ショッパー』が歪な映画に見えるとすれば、現代が歪な時代だという証なのである。

©2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR

Writer

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石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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