『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』ラスト解説 ─ 『アイアンマン』と真逆のエンディングになった理由

『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(2019)の内容が含まれます。
『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』ラストシーンができるまで

最後の最後にスパイダーマンの正体が暴かれるという大胆な結末は、いかにして誕生したのか。脚本家のクリス・マッケナとエリック・ソマーズが米The New York Timesに語っていたところによれば、彼らはプロデューサーから「この映画の結末までにピーターが何かを犠牲にする」という展開を求められていたそうだ。そこで、彼らの間にスパイダーマンの正体が暴露されるというアイデアが浮かんだが、その時は非常に恐ろしいアイデアに思え、「こんなのやれない、もはやスパイダーマン映画じゃない!」と躊躇った。
やがて、彼らには「恐ろしいからこそ、そこに向かって走らなくては」という覚悟が生まれた。まずは「ピーターが最終決戦で必要に迫られて自分のアイデンティティを犠牲にする」というアイデアに始まり、それは「ミステリオに騙されてアイデンティティを明かしてしまう」に発展した。しかし、その路線での脚本を執筆するたびに、「勝利の感じが薄れてしまうように感じた」と、マッケナは振り返る。
そこで彼らは、まずはスパイダーマンをミステリオとの戦いに勝利させ、ピーターと観客に満足感を一度味合わせておきながら、その後に正体が暴露されるという急展開を用意することにした。「彼がスパイダーマンとしてステップアップしたと思った矢先に、またもや足元をすくわれるという展開です」(マッケナ)。
どのような暴露内容にすべきかは、入念なディベートがなされた。「スパイダーマンの正体をバラすだけでいいのか?それとも彼に濡れ衣を着せて、社会の除け者にしてしまうべきか?最終的に、その両方をやろうということで決まりました」。(ソマーズ)
ミステリオはピーターにとって「ダーク版の父親のような存在」と表現するマッケナは、彼はピーターに『私がアイアンマンだ』的な瞬間を与えるのかもしれない、と考えた。ただし、トニー・スタークのそれとは真逆である。

MCU第1作『アイアンマン』(2008)のラストでトニー・スタークは、テロリストたちを撃退した謎のヒーロー“アイアンマン”との関与を疑われると、記者会見で自ら「私がアイアンマンだ」と公表し、世間に衝撃を与える。自身の意思でシークレット・アイデンティティを明かしたトニーに対して、『ファー・フロム・ホーム』のピーターは他人によって一方的に暴露されている。
基本的にスパイダーマンにとってシークレット・アイデンティティは重大なテーマになっており、ライミ版『スパイダーマン』やアンドリュー・ガーフィールド主演の『アメイジング・スパイダーマン』シリーズでも、それは慎重に扱われている。また、コミック『シビル・ウォー』でも正体を明かす展開があるが、ピーターは「自発的に」「納得の上で」マスクを脱いでいる。
保護されるべき個人情報が第三者によっていたずらに“特定”される様は、現代のSNS社会を反映しているようでもある。このシーンの直後から始まる続編『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』では、正体がネットで急激に“拡散”され、ピーターは炎上状態となる。

結果として『ファー・フロム・ホーム』は、最後の最後になって急転直下を迎える、ある意味劇的なラストとなった。脚本のソマーズは「彼女(MJ)といい感じになり、ついに街をスイングするのに、そこから最速で打ちのめされる」という「非常に上手くできたエンディングになった」と満足している。
なお、全ての元凶となったミステリオ役のジェイク・ギレンホールは本作をもってMCUから(とりあえずは)退場となったわけだが、その後のピーター・パーカーにはこんな希望を託している。
「ミステリオを演じた人間ではなく、観客の一人として、僕はピーター・パーカーを信じているし、スパイダーマンを信じてます。彼のパワーや、彼の強さを信じてる。ミステリオが正体を明かしたことも、いずれピーターを助けることになるでしょう。彼はそのことから、最高のキャラクターたちから学んでいくと思うんです。ヒーローたちに教訓を与えるのが、いつもオビ=ワン・ケノービのようなキャラクターである必要はないんですよ。」
▼ 『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』の記事
Source:The New York Times