ジョージ・クルーニー、クリント・イーストウッド、メル・ギブソン、ベン・アフレック ― 映画を撮った4人のスター俳優たち

スター俳優のブラッドリー・クーパーの初監督作品であり、歌姫レディー・ガガが映画初主演を果たす『アリー/ スター誕生』(2018)の日本版予告編が公開されました。まさに今が旬のスターであるクーパーは、本作で出演も兼ねています。
今回はこの『アリー/スター誕生』に関連し、スター俳優でありながら監督としても確固たる地位を築いている4人の“スター俳優兼監督”をたどることにしましょう。ジョージ・クルーニー、クリント・イーストウッド、メル・ギブソン、ベン・アフレックです。
ほかにもロバート・レッドフォードやショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・コスナー、ウォーレン・ベイティなど俳優兼監督としても高い評価を受けている人物は存在しますが、今回は「活躍の継続性」と「今日性」を考えてこの4人を選ぶこととしました。
ジョージ・クルーニー
『シリアナ』(2005)でのアカデミー賞最優秀助演男優賞はじめ、数々の賞の受賞、ノミネート経験があるクルーニー。もともとプロデューサーを兼任するなど、作品の制作にも関心があったようですが監督としてデビューしたのは40歳を過ぎてから手掛けた『コンフェッション』(2002)でした。
同作は賞レースに絡むようなことはありませんでしたが、続いて発表した『グッドナイト&グッドラック』(2005)では監督・脚本・出演の3役をこなし、ヴェネチア国際映画祭で脚本賞、アカデミー賞でも監督、脚本部門の候補になり評価を大きく高めます。
続く『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』(2011)でも脚本・監督を務め、アカデミー賞の脚本賞候補に。『ミケランジェロ・プロジェクト』(2014)や『サバービコン 仮面を被った街』(2017)と近作は賞レースから遠ざかっていますが、スターでありながら監督としても高い評価を得ている存在の代表格と言えるでしょう。
クルーニーの監督作で特に高い評価を受けたのは『グッドナイト&グッドラック』と『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』ですが、この2本に共通するのは「正統派のシリアスドラマ」だという点です。それゆえアクションはなく、人物同士の会話シーンが主体になります。室内のシーンが多く、人物が画面内に収まっているカットが映画の大半を占めます。
こういうものは演出の幅が必然的に狭くなります。教科書的にやるならば、「人物同士のバストアップ切り返し」と「全体が見えるマスターショット」の組み合わせでしょう。クルーニーがやっている演出はまさにそれで、「手堅い」とも言えますが、「面白味が無い」と感じてしまう側面もあるやり方です。
たとえば会話シーンだらけの映画でも、『ソーシャル・ネットワーク』(2010)のデヴィッド・フィンチャーや『スティーブ・ジョブズ』(2015)のダニー・ボイルは画面に動きを出す工夫をしていました。そういうやり方を見た後だと、クルーニーの演出は無策にも見えます。ですが、ボイルやフィンチャーのようなやり方は一歩間違える「見づらい」「解りづらい」という批判を受けかねない難しさがあります。下手をすると、脚本や俳優というせっかくの素材の良さが台無しになってしまう可能性もあるでしょう。
一方で、クルーニーの演出は素材の良さを活かした演出です。破綻が出ないように手堅くやって、脚本と演技の良さを活かしていく。こうした手堅い手法は、俳優出身の監督に特によく見られるように思います。
たとえば、『スポットライト』(2015)でアカデミー賞の作品賞を受賞したトム・マッカーシーは長年俳優として活躍し、40歳を過ぎて監督デビューしたキャリアの持ち主ですが、彼の演出もクルーニーと同じく手堅い演出です。『スタンド・バイ・ミー』(1986)や『ミザリー』(1990)など子役出身のロブ・ライナーや、何作かの監督経験があるジョディ・フォスター、ロバート・デ・ニーロの演出にも同じことが言えます。
ちなみに、クルーニーが高い評価を受ける一方で、フォスターやデ・ニーロの監督作は賞レースに絡むような評価を受けていない、この違いはどこにあるのでしょうか。筆者は企画力の差だと思います。
クルーニーの『グッドナイト&グッドラック』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』は意図がはっきりわかる映画です。シリアスな社会派作品で、名優を揃えて最適な役柄を与え、それを前面に押し出していく。そういう意味でクルーニーは「監督として優秀」というよりも「制作、脚本、監督のトータルで優秀」と評価すべきかもしれません。