【レビュー】『ドント・ブリーズ』神様っているの?ストーリーを宗教の視点から考察する
12日16日に公開された映画『ドント・ブリーズ』は、南米出身のフェデ・アルバレスが監督を務め、『スパイダーマン』3部作を手がけたサム・ライミが製作に携わっているサスペンス・スリラーです。今回は、外国映画を観る上では欠かせない宗教の視点から、この『ドント・ブリーズ』を読み解いてみました。
フェデ・アルバレス監督の出身地である南米ウルグアイは、敬虔なキリスト教のカトリック信者が多数を占め、仏教でいうところの“因果応報”に似た教えがあります。これは、ほとんどの宗教に共通するもので、哲学では“因果律”といい、自分が蒔いた種は自分が刈り取らなければならない、という考えです。“原因があって結果がある”という概念から、“原因と結果の法則”ともよばれます。良い行いも悪い行いも、寸分たがわず自分に返ってくるということです。その“行い(原因)”は前世のものかもしれないし、今生のものかもしれません。また自分に結果が返ってくるのも、今生かもしれないし来世かもしれないのです。そのほか、カトリックには“神様は優しい”という教えもあります。この二つをふまえて、本作を振り返っていきましょう。
【注意】
本記事には『ドント・ブリーズ』のネタバレが含まれています。
—–
—-
—
—
–
3人の泥棒、盲目の老人の復讐
ある盲目の老人が、娘を交通事故で亡くした際に受け取った、多額の示談金を盗もうとする3人。
育児放棄の両親と暮らすロッキーは、いつか妹と一緒にこの家を出たいと考えています。妹思いの良い姉ですが、それがお金への強い執着となり、この惨劇を引き起こしてしまうのです。マニーはロッキーの恋人で、3人の中では一番の悪党で、下品なイヤな奴として描かれています。アレックスは父親が警備会社に勤めているので合鍵を手に入れることができ、また、ロッキーに想いを寄せているため、つい仲間に加わってしまいます。3人の中では一番まともに見え、「僕は抜ける」と言い出すものの、見捨てられずに引き返してしまうのです。
しかし後半では、その負の感情がとてつもなく歪んでいたことが分かります。交通事故で娘を死なせた女の子を監禁し、自分の子どもを産ませようとしていたのです。「神の不在を受け入れろ!」と叫ぶ彼の中には、「神様なんていない、だから娘は死んだ」という神に対する恨みと反逆の想いがありました。もしも娘の代わりが欲しいのなら、誘拐した女の子を監禁するだけで良かったはずです。精子を注入し、わざわざ子どもを産ませようとしたのは、神への報復にほかなりません。おじいさんの「償いをさせる」という台詞は、ロッキーたちではなく神へ向けた言葉だったのです。
神の不在とテントウムシ
さておき、この『ドント・ブリーズ』は“神の不在”についての問いかけをしています。人間は、心の底から絶望したら「神様なんていない!」と思いたくなるものです。そんな主人公を描いた映画も数多く、たとえばМ・ナイト・シャマラン監督の『サイン』もその一つです。牧師だった主人公は妻を亡くしたことで牧師をやめ、「神様なんていない」と思っていました。そんな彼が、あることをきっかけに再び信仰心を取り戻す物語なのです。
- <
- 1
- 2