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『モッシュピット』は終わらない!映画界に「熱」を生み出すハマジムと音楽ドキュメンタリーの幸福な関係(後編)

前篇はこちら:

ハマジムの作品の持つ「熱」について説明するには、『劇場版テレクラキャノンボール2013』に寄せられた批判を解析する必要がある。その大半が女性をAVに勧誘し、その年齢や容姿をポイントにするという内容について「男尊女卑」、「男根主義的」とするものだった。

女性向けAVが堂々と流通し、その中で男優が容姿によって選ばれている時世を思えば、これらの批判は的外れだと言えるのだが、重要なのはそんな筋道からのアンサーではない。これらの批判が看過している一点、つまり『テレキャノ』においては監督達もまたカメラの前で己のセックスを晒している出演者になっているという事実こそ真に語られるべきなのだ。

監督達がセックスの相手の女性についてとやかく語るのは、同じ「身体を観客に曝け出す身」として同等の立場にあるからこそである。彼らが大半の男性にとって魅力的に映らない女性と一戦を交えるとき、念頭にあるのは目先のポイントや内輪ウケではない。「観客」の存在だ。観客をいかに楽しませるかを客観的に見つめている一方で、自分の主観的なアクション次第で作品のエンタメ性が決まるとも理解しているから、死地に赴くがごときセックスにわが身を委ねるのだ。

そして、ハマジム作品は、AVやドキュメンタリーを問わず「熱」という一点において共通している。ハメ撮と呼ばれる、男性側がカメラを回して撮影するAVの手法は、撮影者のセックス時の心象風景をダイレクトに映し出す。興奮はもちろん、落胆や失望さえも。『BiSキャノンボール2014』(’15)や『どついたるねんライブ』(’15)ではモッシュピットの中にカメラが飛び込んでもみくちゃになり、ときには揺れが激しすぎて何が起こっているのか判別できない映像すらある。これらは全て、制作者が撮影対象の発している熱と同化しようとする試みの結果である。

『モッシュピット』は岩淵弘樹監督作品である一方でハマジムが制作を行い、カメラを始めとするスタッフにもハマジム社員が動員されている。『遭難フリーター』など岩淵監督の過去作品と同様に、低所得層の現実を垣間見るシーンもあるが全体的なテイストは他のハマジム作品に近い。つまり、「熱」をいかにパッケージ化するかという一点に力が注がれている。

そのために、スタッフ達はHave a Nice Day!NATURE DAGER GANG、おやすみホログラム、そしてライブに駆けつけたファン達とコミュニケーションを取り、同じ目線から伝説的な一夜を撮影しようとする。ライブ終了後の浅見(Have a Nice Day!)のコメントや、NATURE DANGER GANGのミーティング、そして、おやすみホログラムが見せる涙などはスタッフとの信頼関係が確立していなければ絶対に収録できないシーンだ。そこが、普通の音楽ドキュメンタリーやライブDVDと『モッシュピット』が根本的に異なるポイントである。

見ず知らずの人間がぶつかり合い、熱が生まれ、伝染していく。『モッシュピット』と題された映画がハマジムで制作される運命は必然だったのではないか?そして、地方に巡回しても尚止まらないその勢いが作品の熱量の潜在値の高さを証明している。

もっと、ぶつかれ。爆ぜるまで。モッシュピットは終わらない。

 

追記

本稿を書いている間にタートル今田監督がハマジムを退社されるとの発表があった。同時に、今田監督はAV業から撤退されるという。今田監督の『あの娘のドキュメント AV女優 春原未来のすべて』(’14)はAV史に残る名作だと思っている身としては本当に辛い。今田監督の次なるステージでのご活躍を願うばかりである。

Writer

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石塚 就一就一 石塚

京都在住、農業兼映画ライター。他、映画芸術誌、SPOTTED701誌などで執筆経験アリ。京都で映画のイベントに関わりつつ、執筆業と京野菜作りに勤しんでいます。

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