今度の『バイオハザード』はなぜ面白い?鬼才ザック・クレッガーとは何者? ─ コメディから恐怖を生み出す驚異の才能【解説】
映画『バイオハザード』シリーズが、まったく新しい姿で蘇る。ミラ・ジョヴォヴィッチ主演シリーズ、『バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』(2021)を経て登場するのは、堂々たるタイトルの新作映画『バイオハザード』だ。2026年10月9日より日本公開となる。
シリーズ8作目にして、ナンバリングも副題も付かないのは2002年の第1作以来。これぞ決定版という意気込みで描かれるのは、原作本編の忠実な翻案ではなく、「ゲーム体験」そのものの映画化だ。「ゲームの“端っこ”で起きていてもおかしくない物語」を通じて、プレイヤーの感覚を再現することである。
主人公ブライアンの後ろ姿をとらえた冒頭から、彼とともに絶望と混沌の世界へダイブする――。『バイオハザード』ファンはもちろん、ゲームを知らない観客でも純粋に楽しめる没入型アトラクション・ムービーとして、本作はRotten Tomatoesで96%フレッシュという圧倒的な高評価を獲得した。

仕掛け人は、『WEAPONS/ウェポンズ』(2025)と『バーバリアン』(2022)の2作で一躍その名を知らしめた鬼才監督ザック・クレッガー。ゲームの大ファンを公言するクレッガーは、いかにして『バイオハザード』の世界を再構築したのか?
『バーバリアン』『WEAPONS/ウェポンズ』鬼才ザック・クレッガーの世界
ハリウッドにおける「ホラー映画の新たな旗手」として登場したザック・クレッガー。彼が得意とするのは、未知の状況に観客を放り込み、見るものすべてを揺さぶる作劇と演出だ。
『バーバリアン』は、仕事の面接でデトロイトを訪れた女性テスが、予約していたAirbnbで、見知らぬ男性キースと出会うところから始まる。外は土砂降り、周囲は人の気配さえないなか、同じ家で一夜を過ごすことになり、テスはもちろんキースを警戒する。
彼は何者なのか、本当に信用できるのか? 素性の知れない男性をめぐるサスペンスは、テスが家の地下に怪しい空間を見つけたことから、思いがけない方向に進みはじめる。
続く『WEAPONS/ウェポンズ』は、子どもたちの集団失踪事件から始まるサスペンス・ホラー。午前2時17分、同じ小学校のクラスメイトが、たったひとりを残して一斉に家を飛び出し、姿を消した。担任教師や消えた少年の父親、警察官など複数の人物を通して、想像を絶する事態の全貌が浮かび上がってくる。
両作に共通するのは、時系列と視点を大胆かつ巧みに操作することで、映画のトーンを切り替え、新たな情報を与えながら、観客が見てきたものの〈意味〉を絶えず書き換える手法だ。『バーバリアン』では一軒の家を地下深くへと降りていき、『WEAPONS/ウェポンズ』では町の人々を渡り歩くなかで、不確かなものが少しずつ確かになってゆく。
のちに、クレッガーは両作を「ジグソーパズルのように奇妙に組み上がる」物語だと語っている。ところが『バイオハザード』で選ばれたのは、これらとはまるで逆の方法だった。

『バイオハザード』――未知の恐怖をまっすぐ進む
新作『バイオハザード』の主人公ブライアンは、iPhoneを使って仕事をする、ごく普通の医療配達人。ある夜、荷物をラクーンシティ総合病院まで届ける仕事を請け負い、危険な雪道をひたすらに進むなかで、世界が恐ろしく変貌してしまったことを知る。
「ある男がA地点からB地点まで行かなくてはならない。そして状況がとんでもなく悪化する。それだけ」とはクレッガー自身の談。過去作の複雑な構成を封印し、本作ではひとりの人物をリアルタイムで追いかけ、未知の恐怖のなかをまっすぐ進む映画となった。

ただし、クレッガーらしい語り口は『バイオハザード』にもしっかりと残っている。短いスパンで視点や時系列を解体していくかわりに、本作では7~8分ごとに舞台を切り替え、ゲームのステージを渡り歩くように新たな恐怖に出会う構成を採用した。
ごく普通の男であるブライアンは、次々に現れる怪異や予測不能の事態におびえながら、自分が置かれている状況を理解していく。しかもクレッガーは、この主人公を「僕のような平均的なゲームプレイヤー」の分身だと呼ぶ。彼は手当たり次第に周囲を探りまわっては、いちいち判断を誤り、数えきれないほどの悪態をつくのだ。
必死で生き延びようとしている本人にとっては笑い事ではないはずだが、その右往左往ぶりはまるでドタバタ劇のよう。今回の『バイオハザード』は、確かにサバイバルホラーだが、シリーズ史上もっともダークコメディ色の濃い一本となった。

そして、この喜劇性もまた、クレッガーの手がけた『バーバリアン』と『WEAPONS/ウェポンズ』に共通する要素だ。どちらもシリアスなサスペンスとして始まる映画だが、事態が異常をきわめるにつれ、不条理で、ときに不謹慎なユーモアが噴き出してくる。『バイオハザード』では、それが最初から映画の動力源のひとつになっているのだ。
なぜ、クレッガーが描く恐怖には、奇妙な笑いがつきまとうのか。そのヒントは、彼がホラー監督として注目される以前の姿にある。
コメディ作家ザック・クレッガーの「笑い」と「恐怖」
もともと、ザック・クレッガーのキャリアはホラーではなくコメディから始まった。2000年にコメディ集団「The Whitest Kids U’ Know」を旗揚げし、仲間たちと多数のコント(スケッチ・コメディ)を執筆し、自ら演じてきたのだ。

しかも、彼らの手がける笑いは、必ずしも行儀のいいものではない。代表作「Gallon of PCP」は、偶然再会した友人が大量の違法薬物を手にしており、話を聞いていると恐ろしい出来事が起きたばかりだということがわかってくるコント。「Nail Gun」では、うっかり3兄弟のひとりを殺してしまった兄弟が死者を蘇らせ、より異常な状況に陥っていく。
ほんの短い時間で奇妙な状況を生み出し、ワンアイデアに新たな情報を加えながら話を転がしていく。死や暴力、倫理的に危険な題材まで、ごく平然と笑いに変えてしまう。これらは、のちのホラー映画にも直結するクレッガーのスタイルだ。
その系譜でいえば、『バイオハザード』における「極限状態のドタバタ」というユーモアは過去作よりも挑発的だ。恐怖と喜劇が同居するなかに、笑えないほど残酷な暴力や、取り返しのつかない出来事が、唐突に、容赦なく入り込んでくる――。

クレッガー自身は、コメディの経験を通して「不条理なチャンス」を常に探すよう鍛えられたと語っている。さらに、ジョークと恐怖には「タイミングとトーン、そして予想外の結果を生み出すこと」が重要だという共通点があると。
長編のストーリーを、過去作では視点や時系列、本作ではステージの分割という方法で短いセグメントに切り分け、笑いと恐怖をサプライズとして仕掛けながら、どんどん予想外の方向へ転がしていく。コメディ作家として磨かれた技術や感覚は、鬼才ホラー監督としての作家性にはっきりと生きている。
脚本段階ではジョークを自由に盛り込むが、改稿や編集作業のなかで削っていくというクレッガー。「笑えるのはいいが、ふざけてはいけない」という彼の信条を体現するのは、そうしたシリアスとコメディのバランス感覚に長けた俳優陣だ。

『バイオハザード』で主人公ブライアンを演じるのは、『WEAPONS/ウェポンズ』で薬物依存のホームレスを演じたオースティン・エイブラムス。クレッガーが「追い詰められて万策尽きた人物を演じさせたら本当にうまい。彼以上の適役はない」と信頼を寄せての起用となった。
『バーバリアン』ではジャスティン・ロング、『WEAPONS/ウェポンズ』ではジョシュ・ブローリンやベネディクト・ウォンといった喜劇巧者をキャスティングしてきたクレッガーは、本作でもポール・ウォルター・ハウザーやザック・チェリーら、切迫した状況下でも人物の滑稽さを成立させられる俳優たちを要所に配している。
自身初のIP映画(原作もの)となった『バイオハザード』で、クレッガーは根底にあるコメディ由来の作劇と演出、サプライズの発想を多分に取り入れ、まぎれもない“ザック・クレッガー映画”を完成させた。
ゲームの忠実な映画化ではなく、そのプレイ体験を自らの映画に引き寄せることができたのも、彼の作家性あってのことだろう。従来のファンを喜ばせつつ、新たな観客にも『バイオハザード』映画の魅力を広く伝えてみせた、ストーリーテラーとしての驚くべき技巧。今後ますます活躍するにちがいないザック・クレッガーの現在地を確かめてほしい。

映画『バイオハザード』は大ヒット上映中。
Supported by ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
























