あなたは誰?DC『クレイフェイス』が日本の芸術家に突き付けた問い ─ 伝統の藍と泥で描き出すアート、怪人の悲しき内面【独自取材】
「“あなたは誰?”と、映画が問いかけてくるんです」。映画『クレイフェイス』を観て、藍左師(あいさし)・守谷玲太は、表現者としての自分自身を問い直すことになった。

『ダークナイト』(2008)『ジョーカー』(2019)のDCが放つ異形の心理スリラー『クレイフェイス』。主人公のマット・へーゲンはハリウッドで輝く若きトップスターから一転、本人も望まぬ形で、顔が泥のように溶ける変幻自在の怪人クレイフェイスへの変貌を遂げてしまう。

この映画の魂を、日本の伝統技術で表現する。湘南・藤沢を拠点とする守谷は、日本の伝統文化である「藍」と「現代左官」を融合させ、独自の表現を切り拓いてきた。そんな守谷が今回挑んだのは、得意とする藍を自ら封じ、泥によってマット・ヘーゲンの物語を描き出すことだった。

完成した作品では、泥に覆われたキャンバスから、人間の顔が浮かび上がっている。表面には傷が走り、血を思わせる赤色が痛々しい。その奥から覗く藍色の瞳。おどろおどろしい怪人の姿を描いたようでありながら、そこには奇妙な悲しさが漂っている。
実はこの作品、二枚のキャンバスを重ねた構造になっている。日本が生んだ「もう一つの『クレイフェイス』」はどのように作られたのか。THE RIVERは守谷のアトリエを訪ね、この制作に立ち会った。
守谷は『クレイフェイス』の予告編映像を見た時から、主人公の姿が自分と強く重なった。左官として鏝(こて)を握るようになって約8年、今一度「本来の自分とは何か」「世界から見られている自分は誰か」を振り返るようになっていた。本来の自分を取り戻そうとして、泥となってもがくマット・ヘーゲンの葛藤に自身を見出した。
ひとり作業台に向かい、鏝を取ると、守谷は一枚のキャンバスに藍の素材を手慣れた様子で塗り広げる。藍は彼にとって慣れ親しんだ表現であり、「藍左師」として他人に期待される姿でもある。今では藍の魅力と技術を次世代に継承する活動も行う。アイデンティティそのものだ。

ところで劇中のマット・ヘーゲンにとって、端正な容姿はスターとしての人生を支えるものだった。しかし、ある“事件”によって、世界が求めた美しいルックスを奪われてしまう。藁にもすがる思いで禁断の治療に手を出すが、恐ろしい副作用によって、彼の顔や身体はどろどろと崩壊していく。やがてマットは、その精神も崩れ落ちてしまうようにして、本当の自分自身の姿さえ見失い、泥のような怪物・クレイフェイスへと変貌していく……。

この悲劇性を、守谷は制作過程に込めたのだ。藍を塗り終えると、おもむろに一枚の鏡を持ち出し、手近にあった鋏で打ち付ける。何度か打つと、鏡はショッキングな破裂音と共に砕け散る。いくつかの破片を拾い上げると、ボト、ボト、と、藍のキャンバスの上に落としていく。マットの心が壊れる瞬間を感じる工程である。
すると守谷は、思いもよらぬ行動に出る。別の真っ白なキャンバスを上から重ねると、ビスを強く打ち込んで蓋にしてしまったのだ。彼にとってのアイデンティティであり、他人に期待されてきた藍のキャンバスを封印してみせた。
長年大切にしてきた藍は、本当に自分が求めているものなのか。それとも、世間が求める自分の姿に囚われているだけではないのか。『クレイフェイス』を通じて、守谷はそんな疑問を突きつけられたという。だからこそ、一度すべてを白紙に戻そうとしたのだ。
守谷はポリバケツに土色の泥を拵えると、二枚目のキャンバスに、感じるがままに素手で塗りたくっていく。形ができては崩れ、崩れては形を作り。まるで、泥の動きから何かを探し出そうとするかのように……。

泥は水を含むと柔らかくなり、乾燥すると硬くなる。「すごく変動性がある」と語る素材を、守谷はあえて、素肌で感触を確かめながら塗る工程を取り入れた。その過程で、自分と泥とキャンバスとの境界線、そして自分と映画とこの世界との関わりという境界線が、いかに曖昧であるかを感じたという。
曖昧なのだから、輪郭を求めた。「顔の輪郭ということではなく、自分というものの輪郭」だ。切り刻んだジュート生地を何枚か重ね合わせ、輪郭を形作ろうとする。だが、塗り進めるうちに剥がれてしまう。マット・ヘーゲンが本来の自分の姿を取り戻すべく苦悩するように、守谷自身も泥と格闘しながら、創造的模索を続けた。

やがて守谷は、泥の奥に封じ込めた自分自身の魂を、もう一度確かめたいという衝動に駆られた。しかし、二枚のキャンバスはビスで固定されている。取り戻したいが、もう泥は拭えない。表層を傷つけ、刃物で切り裂き、こじ開けて、その奥に封じた鏡を露出させる。覗き込むと、そこにありのままの自分自身が映っていることに気付く。まるでマット・ヘーゲンが、何度も鏡で自身の容姿を確かめようとしたように……。

守谷は、完成形を決めるスケッチを用意せず、素材の変化や偶然の出来事を受け入れながら制作を進めた。鏡の割れ方さえ、思い描いていたものとは違ったという。
「自分のエゴを入れ込むような作品にはしたくなかった」。感情を作品に押し付けるのではなく、できる限り自分を「空っぽ」にして、目の前で起こることに身を委ねる。むしろ制作過程では、作品から感情を受け取ることの方が大きかった。映画の場面写真などの視覚的な資料は、いっさい参照しない。制作中、守谷の頭の中では『クレイフェイス』の映像が何度も繰り返されていた。

劇中のマット・ヘーゲンは、変わり果てた自らの姿に翻弄されながら、かつての自分を取り戻そうともがき続ける。その肉体は時におぞましい変貌を見せ、人間と怪物との境界が曖昧になっていく。彼の内面に渦巻く感情が、泥となって流れ出るように。
その変貌描写には、日頃から泥を扱う守谷も目を見張った。「人間の肌感と土の融合の絶妙なところを表現できているなと思った」。泥が粘り気を帯びてどろりと溶けていく様子にも、人間の肉体と土が融合したからこその表現に強いこだわりを感じたという。

だが、守谷が心を動かされたのは、その映像的な迫力だけではない。変貌していくマットの姿に、守谷は日常の人間にも通じる、心と身体のつながりを見出した。「心が穏やかじゃないと、体に出たりとか、顔に出たりとか、姿勢に出たり、いろいろある。そういうところがグッと来て、すごく印象的でした」。怪人の姿に、誰もが抱える感情の揺れを見たのだ。
「マット・ヘーゲンだって、ああなりたくて、なったわけじゃない。必死に自分を取り戻そうとしたけれど、いろいろなことが起こってしまい、翻弄され、そこに感情が溢れてしまい、メチャクチャになっていく。どれだけ自分が気をつけていても、こうならないようにしようと思っていても、運命を受け入れるしかない。それがまた、苦しいですよね。」
泥に呑まれたマット・ヘーゲンの運命。守谷は、泥の怪人クレイフェイスのビジュアルを再現したわけではない。人間としてのマット・ヘーゲンが、失われた自分を取り戻そうとする哀しき“もがき”を、「藍」と「泥」の二枚のキャンバスの間に込めたのだ。しかし、そもそも取り戻すべき「本来の自分」とは何なのか。鏡に映る自分の姿に、答えはあるのだろうか。

作り上げたこの作品をどう呼ぶか。守谷に尋ねた。
「タイトルは……、『あなたは誰?』です」。

映画『クレイフェイス』は2026年10月30日(金)全国公開。
Supported by 東和ピクチャーズ
























