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「アメコミ映画は減った方がいい」フランク・ミラー、映画化ブームに警鐘 ─ 「まるでコミックが映画の企画書になっていた」

Marek Piwnicki

『バットマン:ダークナイト・リターンズ』『シン・シティ』などで知られるアメコミ界の巨匠フランク・ミラーが、コミックの映画・ドラマ化の過熱に警鐘を鳴らしている。映像化作品が減少傾向にあるのではないかとの指摘に「そうであってほしい」と応じ、コミックが独自のアイデンティティを失う危険性を訴えた。

イタリアで開催された「ルッカ・コミックス&ゲームズ2026」に参加したミラーが、米Varietyのインタビューで語ったもの。コミックから映画への映像化企画が以前より減っているのではないかと尋ねられ、次のように答えている。

「そうであってほしいですね。本当に。あまりにも行き過ぎていて、コミックは独自のアイデンティティを大きく失い始めていました。私はずっと、コミックが文学表現の一形態として、独自の目的とアイデンティティを改めて主張すべきだと強く訴えてきたんです。」

映画やテレビとの契約を目指すコミック作家が多すぎたのではないか、という質問にも「間違いなくそうです」と回答。映像化がクリエイターに与える魅力の大きさを認めつつ、その代償を懸念した。

「お金だけでなく、名声や尊敬、栄光も得られますからね。歴史上最も強力なメディアで仕事をする魅力は否定できません。でも、それは少し酔いが回りすぎる酒だったと思います。その過程で、コミックは本当に魂を失いかけていたんです。」

とりわけスーパーヒーロー映画の隆盛が、この傾向を加速させたという。ミラーは、その要因のひとつに映像技術の進歩を挙げる。かつてはコミックでしか表現できなかった途方もないアクションやスペクタクルが、映画でも実現できるようになったからだ。

その転換点としてミラーが挙げたのは、クリストファー・リーヴ主演の『スーパーマン』(1978)。同作の宣伝コピーには「人間が空を飛べると信じるだろう(You’ll believe a man can fly)」という言葉が使われていた。ミラーによれば、スーパーマンが空を飛ぶ姿を説得力ある映像で実現した時点で、すでに流れは決まっていたという。今や映画は、想像できることなら事実上何でも映像にできるようになった。

もっとも、ミラー自身はコミックの映画化と無縁の作家ではない。原作を手がけた『シン・シティ』は2005年に映画化され、2014年には続編『シン・シティ 復讐の女神』も公開。『300〈スリーハンドレッド〉』(2007)も、自身のグラフィックノベルを原作としている。また、2019年には『シン・シティ』のドラマ化企画に製作総指揮として参加することも伝えられていた。

映像化の可能性を知る当事者だからこそ、コミックそのものが映画やドラマの企画書のように扱われることに危機感を抱いているようだ。

ミラーは10月29日にルッカで開かれた記者会見でも、同様の問題を指摘していた。現地メディアSugarpulpによれば、スーパーヒーロー映画の普及はコミックに新たな可能性をもたらした一方で、作品づくりを保守的にしてしまったという。

「コミックの素晴らしいところのひとつは、作るのにそれほどお金がかからないことです。だから、いろいろなことに挑戦できる。でも今は、まるですべてのコミックが映画の企画書であるかのように、みんな少し慎重になりすぎていると思います。」

コミックの強みは、映画のような巨額の予算を必要とせず、自由な実験や大胆な表現を可能にすること。映画化を前提とした商業的な判断が優先されれば、その自由が損なわれかねないというわけだ。

ミラーの代表作『バットマン:ダークナイト・リターンズ』は、1986年の刊行から今年で40周年を迎えた。引退したバットマンの復活を重厚な筆致で描いた同作は、アメコミの表現を大きく変え、映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)にも影響を与えた作品として知られる。

コミックの表現を革新し、その作品がハリウッドにも影響を与えてきたミラー。今回の発言は、映像化そのものへの反対というよりも、コミックが映画のための素材にとどまらず、独立した表現媒体であり続けるべきだという主張だろう。

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Source:Variety, Sugarpulp

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Joe Kishi

THE RIVER編集部。ハリウッド大作からインディー作品、アニメーションまで幅広くカバー。魂を揺さぶる瞬間に出会える記事を届けたい。

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