ジェームズ・キャメロン、マーベル&DC映画の人物像を痛烈批判 ─ 「年齢にかかわらず全員が大学生のよう」

『アバター』『ターミネーター』シリーズや『タイタニック』(1997)で知られる映画監督ジェームズ・キャメロンが、マーベル&DC映画のストーリーテリングを痛烈に批判した。
最新作『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の公開を控えるキャメロンは、同作のキャストとともに米The New York Timesの取材に登場。「子どもが産まれたことは、実生活でリスクを負うことに変化を与えましたか?」との問いかけに、「ええ。若い頃は時間を無駄遣いしていたし、めちゃくちゃだったから。今なら背負わないようなリスクもたくさん背負っていました」とコメント。映画のストーリーテリングと子どもの関係について、実感を込めてこう語っている。
「当時の自分のような乱暴さを、自分の子どもたちに感じることもあるし、彼らが一定の年齢になるまで見せられない物語も確かにあります。子どもが産まれたことで、自分の価値観に影響はありましたね。
それに私は、他の人たちがしていないようなことをしたい。大作映画──マーベルやDCのことですが──を観ていると、キャラクターの年齢にかかわらず、全員が大学生のように行動している。彼らの間に人間関係はあるようで、しかし実際にはありません。子どもたちのために、自分の何かを諦めることも決してありませんよね。それは本当に現実的なのか、私たちに力や愛情、目的を与えてくれるのだろうか、と思うんです。登場人物はそういうことを経験していないし、それは僕の映画の作り方ではありません。」
近年、スーパーヒーロー映画/コミック映画には少なくない映画監督が批判の意見を口にしてきた。今回のキャメロンの発言は、マーティン・スコセッシが「あれは映画じゃない、最も近いのはテーマパーク」「人間が他者の感情や心に訴えかけようとする映画ではない」と語ったことや、フランシス・フォード・コッポラがこれに同意して「我々は映画から学びたいんです。何かを得たい、啓蒙や知識、刺激を受けたい」と述べたことに通じるものだ。ただしキャメロンの場合、“子どもの存在”という文脈があることで、映画が子どもたちに何を伝えられるかという意味合いがやや強いと思われる。
また、以前スティーブン・ソダーバーグ監督もスーパーヒーロー映画に関心がないことを認め、「考え方が現実的すぎて、ニュートンの物理法則が存在しないユニバースに自分を解放することはできません(笑)。そういうことへの想像力が欠けているんでしょうね。[中略]時間を歪められたり重力に逆らったり、指からビームを出したりするのに、誰もセックスをしないんです。それ(性行為)がない世界で、(登場人物の)ふるまいを描く方法がわからない」と話したことがあった。キャメロンによる“ストーリーテリング批判”に最も近いのはこのコメントだと考えられる。
ところで、キャメロンがマーベル映画を批判するのは今回が初めてではない。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督と対談した際には、「私が“壮大”という言葉を使うのは特定のものだけ。デヴィッド・リーン監督の映画や、『ロード・オブ・ザ・リング』のような映画です。壮大な出来事が描かれていても──たとえばマーベル・ユニバースの映画はひたすら街が破壊されていますが、それらは私にとって壮大とは思えない」と語っていた。今回のコメントとは論点が異なるものの、キャメロンがスーパーヒーロー映画を否定的に見ていることは確かだろう。
もっとも、一部の監督たちが批判に動くかたわら、トム・マッカーシーやポール・トーマス・アンダーソンは肯定的なコメントを発してきたし、出演者であるサミュエル・L・ジャクソンやトム・ホランド、エリザベス・オルセン、ジャレッド・レトらは、おのおのの視点でその意義を語ってきた。ちなみに、今回のインタビューには『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズでガモーラ役を演じているゾーイ・サルダナも同席していたが、キャメロンの言葉をいったいどんな心境で聞いていたのだろうか……。
Source: The New York Times