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『スパイダーマン2』ピーター・パーカーと自己犠牲 ─ 人生を生きるか?ヒーローの運命を受け入れるか?再考

スパイダーマン2
© Sony Pictures Classics

あの興奮と感動をもう一度。2026年7月3日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷にてサム・ライミ監督作『スパイダーマン2』(2004)が1週間限定で上映される。今回の特別上映はTHE RIVERによる初の劇場連動企画の「REVIVAL by THE RIVER」第1弾だ。

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トビー・マグワイア演じるピーター・パーカー/スパイダーマンが活躍するサム・ライミ版『スパイダーマン』3部作だが、その魅力はピーターが二重生活を送る上での葛藤を見事に描いたところにあるだろう。

スパイダーマンとピーター・パーカー、2つの人生

『スパイダーマン2』が今も観客の心を掴み続ける理由の一つは、ピーター・パーカーが背負う「2つの人生」にある。大学生のピーター・パーカーはいわゆる苦学生だ。アルバイトで口に糊する日々を過ごし、アパートの家賃は滞納。唯一の家族であるメイおばさんは金銭的理由で家を失うことになる。

その一方で、スパイダーマンとしては大人気で、彼に憧れる子どもは多い。しかし、それはすべてピーターの人生という犠牲の上に成り立っている。スパイダーマンとしてニューヨークを守ろうとすればするほど、彼の人生はボロボロになっていく。

アルバイトのピザ屋からはクビを言い渡され、大学の講義に参加できずに落第寸前。親友のハリー・オズボーンからは「父親(ノーマン・オズボーン、またの名をグリーン・ゴブリン)を殺した悪人と仲良くしている」と責められギクシャクしている。そして、愛するメリー・ジェーン・ワトソンの演劇を観に行けず、彼女の心は離れてしまった。

ピーター・パーカーという人物にとって、スパイダーマンは十字架なのだ。ベンおじさんの「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という有名な言葉の通り、ピーターはスパイダーマンという重たい責務を背負いながら生きている。その結果、精神的に限界となった彼は蜘蛛の力を失ってしまうのである。

蜘蛛の糸のように絡みつく スパイダーマンという運命

悩み抜いた末、ピーターは“スパイダーマン”を辞めるという決断をする。それにより、彼の人生は好転し、大学の講義には遅刻せず出席できるようになり、MJの舞台を観劇し、彼女へ想いを伝えられるようになる。重い荷を下ろしたことで、ピーターは自分の人生を生きられるようになったのだ。

しかし、スパイダーマンという“大いなる責任”はピーター・パーカーの人生に蜘蛛の糸のように絡みつき、簡単には離してくれない。そもそも、ピーターは蜘蛛の力を得たとき、罪も一緒に背負ってしまっている。ベンおじさんを失った原因の一端は、自分の傲慢さにあったのだ。

ピーターはいじめられっ子だった現実から蜘蛛の力で抜け出せると思ったとき、自分の力を私利私欲のためだけに使ってしまった。その傲慢な行いは巡り巡って、それによりベンおじさんが撃たれることにつながり、怒りを抑えられなかった彼は、犯人とされる人物に復讐をしてしまう。

ピーターにとっての贖罪だったスパイダーマン。一度はスーツを捨て、もう罪は償い終えた、もう十字架を背負って生きるのは耐えられない、もう自分の人生を生きてもいいのではないか——夢でベンおじさんに告げるピーターだったが、メイおばさんからは子どもたちにとってスパイダーマンが憧れの存在になっていると知らされる。

ピーターはスパイダーマンを、自らの罪を償うための役割だと思っていた。しかし市民たちは、彼を過去に縛られた罪人ではなく、未来へ進むための希望として見ていたのである。もう、“スパイダーマン”はピーター・パーカーという1人が背負うものではない。気がつけば、彼はニューヨーク市民に支えられていたのだ。

Writer

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鯨ヶ岬勇士

アニメ・特撮・洋画を中心に、作品の魅力とその背景にある社会性を横断的に読み解くカルチャーライター。Web媒体のほか、雑誌・ムック本などにも寄稿。作品分析を軸にした評論を執筆している。

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