『オークストリートの異変』なぜ恐竜を住宅街へ?監督&J・J・エイブラムスが語る80年代映画への愛、続編構想【インタビュー】
恐竜が現れるのは、遠い孤島でもテーマパークでもない。舞台は、ごく普通のアメリカ郊外の住宅街だ。アン・ハサウェイとユアン・マクレガーが主演する映画『オークストリートの異変』は、平穏な日常のすぐ隣に恐竜が出現するという大胆な設定から、家族のサバイバルを描く完全オリジナルのスペクタクル大作である。
監督・脚本を務めたのは、『イット・フォローズ』(2014)『アンダー・ザ・シルバーレイク』(2018)で独創的な映像世界を築いてきたデヴィッド・ロバート・ミッチェル。製作には『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015)などのJ・J・エイブラムスが名を連ねた。ミッチェル自身の少年時代の記憶と、1970年代後半から80年代初頭にかけてのスピルバーグ作品やブロックバスター映画への愛情を土台に、巨大な恐竜のスペクタクルと、ごく普通の家族のドラマをひとつにした。
THE RIVERでは、ミッチェル監督とエイブラムスに単独インタビューを実施。なぜ恐竜を住宅街に放ったのか。ブライアン・デ・パルマへの敬意が込められた映像表現、80年代を舞台にした理由、歴代の恐竜映画との差別化、監督とプロデューサーの関係、そして早くも頭の中にあるという“続きの物語”まで、二人にじっくりと聞いた。
『オークストリートの異変』デヴィッド・ロバート・ミッチェル&J・J・エイブラムス 単独インタビュー
──本作はある意味、『ジュラシック・パーク』の構図をひっくり返しているところが非常に面白いと思いました。人間が恐竜の領域へ立ち入っていくのではなく、恐竜のほうが郊外の住宅地にやってくる。このアイデアはどのように生まれたのでしょうか。「ここに恐竜が現れたら面白いんじゃないか」といった話をされたと思いますが、そのプロセスを教えてください。
デヴィッド・ロバート・ミッチェル:まさにそこが、この物語で僕がワクワクしたところでした。脚本を書こうと思った最初のアイデア、そして原動力になったのは、ものすごくファンタジックなものと、ごく普通の、ある意味では平凡なアメリカの郊外住宅地を融合させることだったんです。
僕自身、そういう場所で育ちました。だから、自分の家のすぐそば、自宅の庭の外、つまり自分が最も安全だと感じている場所に恐竜がいる、という状況がすぐに面白いと思えたんです。
映像的にも、大きな動物たちが裏庭を歩いていたり、ガレージの向こう側を移動していたり、プールの水を飲んでいたりする。その対比には、僕にとって純粋な楽しさがあるんです。だから、そういった要素を組み合わせながら脚本を作っていきたいと思いました。
──その見せ方も素晴らしかったです。いくつかのシーンでは、画面の構図も非常に印象的でした。おそらくスプリット・ディオプター(※画面の手前と奥の両方にピントを合わせる)を使ったショットですよね?
デヴィッド:ええ。かなり使っています。
──ああいった映像的な手法を使った意図について教えていただけますか?
デヴィッド:僕はブライアン・デ・パルマの大ファンなんです。前景と背景の両方にピントが合っている画が大好きで。ひとつの固定されたフレームの中で、前景に何があるのか、中間に何があるのか、そして背景に何があるのか、ということを使って遊ぶのが好きなんです。
スプリット・ディオプターのようなディープフォーカスのショットには、とても面白い効果があると思っています。普通の構図なら、たとえば前景にピントが合っていて背景はボケていることがありますよね。でもスプリット・ディオプターを使うことで、観客は前景と背景の両方に注意を向けるようになるんです。
──本作の恐竜は、人間に友好的でもなければ、感情移入できるような存在でもありません。まさに文字通り「冷血な爬虫類」として描かれています。その意味では、本作は『ジュラシック・パーク』よりも『ジョーズ』の系譜に近い作品だと言えるのでしょうか?
デヴィッド:面白い質問ですね。僕自身、子どものころから本当にいろいろな恐竜映画を観て育ちました。父が大の恐竜好きだったので、レイ・ハリーハウゼンの作品、たとえば『恐竜グワンジ』なんかも観ていました。本当にたくさんありますよね。
ただ、この映画はいくつかの異なることをやっていると思います。恐竜にちょっとした遊び心を感じられる場面もありますし、一方では『ジョーズ』のような容赦のなさが出てくる場面もある。
結局のところ、僕としてはこの題材でオリジナルかつユニークなものを作りたかったんです。当然、今おっしゃったようなさまざまな作品から影響を受けながら、同時に新しいものを作ろうとしていました。
──監督とプロデューサーとで、最初から作品の方向性については意見が一致していたのでしょうか? 逆に、考え方の違いや、それぞれ異なるアプローチがあって話し合いが必要になった部分はありましたか?
J・J・エイブラムス:プロデューサーとして映画に参加する場合、自分の仕事は監督のビジョンを実現する手助けをすることだと思っています。だからこの作品について、「この映画は何なのか」「どういう前提の映画なのか」という部分で意見が食い違ったことはなかったと思います。僕たちが考えていたのは、「それをどうやって最高の形で実現するのか」ということでした。
デヴィッド:どうやって実際に成立させるのか、ということですね。
エイブラムス:そうです。僕たちはかなり恵まれた“遊び場”を与えてもらって、そこで遊ぶことができました。ただ、それでも映画作りでは「十分」ということはなかなかない。どこで撮影するのか、誰と撮るのか、どうやるのか、いつやるのか。そういったことを全部考えなければいけません。
僕は脚本を読ませてもらって、デヴィッドがやろうとしていることが大好きでした。だから僕や他のプロデューサーたちの仕事は、それをどうすれば可能な限り最高の形で実現できるか、ということだったんです。
そして実際、完成した作品は、最初の脚本に書かれていたものを大きく引き上げていると感じています。本当にエキサイティングな仕上がりになりました。
- <
- 1
- 2





















