『スマッシング・マシーン』ベニー・サフディ監督ロングインタビュー ─PRIDE日本描写、ドウェイン変身、そしてテクニック、すべてを語る

映画『スマッシング・マシーン』で、ドウェイン・ジョンソンは総合格闘家マーク・ケアーを演じている。しかし本作が描くのは、単なる格闘技の栄光ではない。勝利の先にある孤独、敗北を認めることの難しさ、そして自分自身と和解していくまでの時間だ。
監督・脚本を務めたのは、ジョシュ・サフディとの共同監督作『グッド・タイム』(2017)『アンカット・ダイヤモンド』(2019)で、人間が追い込まれていく瞬間の熱と混沌を描いてきたベニー・サフディ。単独監督作となる本作で彼が見つめたのは、リングの上の勝利ではなく、ひとりの男が自分自身を理解していく過程だった。
THE RIVERでは、来日したサフディに単独インタビューを実施。マーク・ケアーの人生をどのように切り取ったのか、ドウェイン・ジョンソンを“ザ・ロック”ではなくマーク本人に見せるための演出、PRIDE時代の日本描写へのこだわり、そして劇中音楽やリアルな喧嘩の場面に込めた意図まで、じっくりと語ってもらった。

貴重な来日インタビューの様子は、THE RIVERの公式YouTubeチャンネルで動画公開中だ。映画本編の理解がグッと深まるサイドテキストとして、じっくりお楽しみいただきたい。
『スマッシング・マシーン』ベニー・サフディ監督 来日単独インタビュー
──本日は『スマッシング・マシーン』ベニー・サフディ監督にお越しいただいております。ベニーさん、初めまして。日本へようこそお帰りなさい。
こちらこそ、初めまして。戻ってこられて嬉しいです。
──今は桜が満開の季節です。桜は見に行きましたか?
行きましたよ!ちょうど昨日、「三鷹の森ジブリ美術館」を訪れたんです。信じられないくらい素晴らしかった。近くの公園では桜が満開で。本当に素晴らしくて、見事でした。今は雨が降っていますが、これで散ってしまわないといいな。
──ところでそのTシャツ、どこで手に入るんですか?(笑)
このTシャツは、実はスタッフのために作ったんです。Minor Planetっていう会社で、日本だとポーターとも仕事をしているところですね。彼がデザインしてくれたんです。本作に携わった全員用にね。だから非売品なんですけど、カッコいいでしょう?

──“頂天”と、漢字が描かれている。
そうなんです、ユカリという、彼女の母が日本人なんですけど、彼女がこれを書いてくれたんです。なんて意味でしたっけ?
──“Top of the world”といった意味ですね。
そう、そう!
──いいですね!ところで、あなたの兄弟のジョシュも最近、『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』を日本で撮影したというのが面白いですよね。あなたの撮影の方が先でしたか?
僕の方が先でした。確か、彼がまだ撮影している間に、僕は編集まで終えていたかな。だから、僕の方が確か1年早かった。
──兄弟の間で、日本ではこうだったよとか、こうするといいよ、みたいな話はされましたか?
それが面白い話で、彼が日本で組んだクルーが、僕のクルーと同じだったんですよ。だから、“彼らはもう慣れているよ”って話はしましたね。働く上でのスピード感とか、動き方とか。僕のおかげで準備が済んだ感じ(笑)。
──ノウハウを蓄えてあげたんですね(笑)。
その通り(笑)。
──さて、本作『スマッシング・マシーン』は“敗北”についての物語だと感じました。マークは勝利に酔いしれていましたが、ある時点から、より人間らしくあるべく苦しんでいたように思います。あなたは主に男性の観客に向けて、敗北を認めることは決して恥ずべきことではないと伝えようとしていたのでしょうか?
敗北とは、実は最も誇るべきことなんです。人間として成長するためには、負けるしかない。もしも自分の過ちも敗北も認めなければ、個人として成長することはないんです。
そして、マークの物語で僕が特に素晴らしいと思ったのは、あれだけの経験をしながらも、彼はなおも幸せだ、ということ。彼は人生に安らぎを見出していたんです。ある時点では頂点にいて、今では必ずしもそうではないという人が、ただ人生を歩いている。それって美しいことだし、それこそ僕たちみんなが目指すべきことだと思ったんです。彼は自分自身と和解できている。それは、彼が依存症に苦しみ、克服した結果だと思います。

もしも自分が依存症なら、最初のルールは、自分が依存症だと認めることですよね。誰にとっても、「自分はこうだ」と言うのは難しいことです。だって、人は常に言い訳をしますからね。今回だけだとか、多分ここだけだ、とか、こういう時だけだ、とか。絶対に認めようとしないんです。
そして、その最初の一歩は、自分が何者で、どんな問題を抱えているかを口にすることです。人はそうやって成長する。そうやって内なる平安を見出すんです。だから、この映画は、1人の人間が自分を理解していく物語なんです。確かに格闘家を描いたものではありますが、そういう意味でのスポーツ映画ではありません。
僕は、本作をとても正直な映画にしたかった。映画を観た後に、鑑賞中に感じたことを振り返りたくなるような作品にしたかったんです。彼と恋人との喧嘩はすごくリアルなものにしたかったし、本物の喧嘩のようなリズムを持たせたかったんです。一方がもう終わったと思ったら、もう一方が反撃してきて、また展開が変わって、爆発するまでずっと続くようなね。
























