『スマッシング・マシーン』ベニー・サフディ監督ロングインタビュー ─PRIDE日本描写、ドウェイン変身、そしてテクニック、すべてを語る

──あなたの映画の大ファンとして、前作『グッド・タイム』(2017)『アンカット・ダイヤモンド』(2019)、そして本作『スマッシング・マシーン』と観ていくと、良くも悪くも“人は収まるべきところに収まる”というアイデアが共通しているように思います。当然の報いがある、というか。あなたの作品では、これが大事なテーマなのかな、と思っていて。
僕の中にはいろいろな意味で道徳的なところがあるんです。キャラクターに真実味を持たせて描きたいし、努力して勝ち取ったわけではない成果を得てほしくない。良くも悪くも、これが収まるべきところだとね。
負けるべきだったのなら、負けることになる。勝った方がいいからといって勝たせることはしない。だって、どうして勝った方がいいんだ?そっちの方が、観客が興奮して劇場を後にできるから?それはそうかもしれない。でも、それはその人物が望む結末じゃない。この映画では、彼は自身の行動の結果として様々な出来事を経験する。それを変えることはできない。物語の行方は、キャラクターが決定づけるんです。

──その点についてもう一つ質問です。映画には結末がありますが、実際の人生は続いていきます。これまでの映画に登場したロバート・パティンソンもアダム・サンドラーも、それぞれの結末がありましたよね。でも、マーク・ケアーは実在の人物で、まだ生きていて、人生が続いています。映画が人の人生の一部のみを捉えるのなら、その切り抜き方について、どう考えるのですか?
まさに、そういうことを考えていましたよ。人の人生すべてを捉えようとしたら、描こうとする全てに縛られてしまうこともあると思う。一方で、人生の一部だけを描き、その人物の本質を捉えるのなら、そうなると今度は演技に集中しなければならない。見せるものの細部にも集中しなくてはならない。それを実現するために、特定の時期の中に深く没入しなくてはならない。
だからこそ、本作の結末がとても重要だったんです。現実でのマークを見せたかったのは、彼は今の人生で「大丈夫」なのであり、自分自身に幸福を見出している姿を見せたかったからです。そして、映画で描いてきた彼は、彼自身なのであることも示したかった。
実際、ドウェインは彼の欠点も、美しさも、ユーモアも、強さも全て含めて、彼になりきるという素晴らしい仕事をしてくれたおかげで、そうできたんです。特定の時期に焦点を当てることで、その人物を深く描くことができると思うんです。そうすれば、物語を急ぐ必要がなくなり、時間をかけてその人物と向き合うことができるからです。

──劇中の音楽についてもお尋ねしたいです。
もちろん。ナラ・シネフロのサウンドトラックがリリースされたばかりだと思います。素晴らしいですよ。
──ジャズドラムのビートを多用されましたよね。とても自然に感じました。まるで彼の内面から溢れるような、格闘は彼が毎日向き合っているものだと感じられるような。そして、『ロッキー』のような映画で流れるような壮大なスコアとも違います。すごくジャジーでした。一方で、そのために緊張感が取り除かれていたようにも思います。音楽は、なぜあのように?
この映画で催眠術をかけたかったんです。彼そのものの感覚を味わって欲しかった。彼はドラッグをやり、霧の中を漂うみたいに、世界を動き回っている。それから、総合格闘技には即興性があるとも思ったんです。動きに一種の感覚があるというか。そしてなぜか、試合を見ているうちに、“ジャズだな”と思ったんです。何が起こるかわからないですからね。だから、そう感じたんです。
それで、ナラは素晴らしいアーティストで、まだ映画音楽は未経験でした。ご一緒させていただいた時に、僕は彼女を役者と思って話していました。登場人物たちが何を感じ、何を経験しているのかを伝え、それを彼女が音楽へと昇華してくれたんです。サントラでサックスを演奏しているヌバイア・ガルシアが素晴らしかった。最高の仕事をしてくださいました。
僕にとって、本作の音楽は映画の“感情的な字幕”のようなものだったと思います。キャラクターが何を感じているのか、どんな人生を送っているのか、それが映画の中に、映画の音楽の中に表されているんです。
時にはそれが対照的になることもある。例えば、とても幸せそうな場面なのに、そうではない音楽が流れていたり、すごくエキサイティングな場面なのに、音楽がそれに合っていなかったりする。実際はこうなんだという表現です。この状況で、彼らがこういうことを感じていると伝えたかった。
──即興的という話ですが、カメラをリングの中に入れなかったのも同様の理由で?
そうです。目指したのは、正気じゃないほどのレベルで現実を再現すること。“どうやって実現したんですか?”と思われたかった。本作はドキュメンタリーではない。でも、時間を遡る必要があった。そして、カメラがどこを向いていても、現実そのものと感じさせたかった。
映画制作の一般的な性質上、もし自分がリングの外側にいて、誰かがパンチを打って、リング内にカットインしたとする。パンチの瞬間を見るとする。でも技術的には、リング外のカメラが、ちょうどそのパンチの瞬間にリング内のカメラも撮っていたことになるでしょう。だから僕は、現実的なことを考えていたんです。

例えばこのインタビューの場所にも、複数のカメラが一方側に置いてありますね。つまり、ここからカットして別のショットに移ったとしたら、そのカメラからはこっちのカメラが映っているわけです。映画って、そうやって作られているんです。でも、通常は誰も疑問に思わない。映画ってそういうものだから。
だから、ショットとリバースショットがあって、そして君を見る。でも、僕の後ろにあるカメラは映らない。そういうものなんです。そうやって編集するんです。
でも僕は、これを応用したかった。どうでしょう、カメラが映らない状態で、どうやって捉えられるか?例えば、映画の中で、あなたの持っているその紙(筆者の質問リスト)をクローズアップで撮りたい時、(撮影監督の)マセオ・ビショップに「ここから始めて、回って、クローズアップして、そして戻ってきて」と指示します。そして編集で、あなたから始まり、僕に移り、そしてクローズアップに流れるようにする。そうやって、僕はその都度、常にカメラの配置を考えていました。リングの外側にとどまることで、よりリアルに感じられると思ったんです。何も隠していないことが伝わる。トリックなんてありません。今ワイドショットで撮っているけど、誰かが顔面にパンチを受けて倒れるのが映っている。
確かに彼らの配置は意図的ですし、振り付けも綿密にやっていますよ。でも、他のどんな方法よりも、今回の方法の方がずっと難しかった。それでも、「あぁ、本当にこうだったんだ」と自然に思えてしまうんです。うまくできればね。
──“現実の再現”ということについて。プライドは日本でとても馴染み深く、懐かしさもあります。僕も子供の頃、よく試合を観ていました。すごく自然な日本が描かれていて嬉しかったです。日本のヒット曲が流れているところとか、さりげないけれど、懐かしくてしっくりきました。描写について特に注意したところとか、日本の観客に気づいてもらいたいポイントはありますか?
とても嬉しいです。全体的には、プライドのリングやバックルーム、質感、素材、あとポカリスエットとか(笑)、そういった再現のこだわりはすべて重要でしたね。細心の注意を払いました。テレビ台の置き方とか、プロダクションデザイナーのジェームズ・チンランドが手がけた椅子や色など、全てをリアルで本物らしくしたかった。

それから、後半の質問についてですが、特に劇中のインタビューのシーンでは、背景に映り込むインタビュワーたちについても、全員日本人を起用しています。完璧な英語を話す人が来て、英語を話せないふりをするのはフェイクですから。だから、第二言語として英語を話す人たちを探したんです。
彼らを招き入れ、脚本を渡して、「日本語に翻訳してください」と頼むと、自分たちで日本語に翻訳してくれたんです。それで、“私の言ったとおりではなく、翻訳した通りに英語で話してください”と指示しました。だから語句は変わっているんです。彼ら自身の言葉が欲しかったからです。だから、彼らが翻訳した言葉が映画にそのまま使用されているんです。とてもリアルなものにしたかったし、敬意も払いたかった。
お互いを理解し合うことに難しさがあるのだとしたら、それは双方に要因があるようにしたかった。ドウェインがインタビュワーを理解できなかったというだけじゃない。インタビュワーも、ドウェインの言いたいことがはっきりわかっていなかったんです。「教えてくれ、私は人間として聞いてるんだ」という感じで、彼は説明を迫り続けていた。だから双方向の問題なんです。同じ言葉を話さない2人がコミュニケーションを取ろうとしているのですから。
























