『ドニー・ダーコ』をクリストファー・ノーランが救っていた ─ 配給を後押し、作品にもアイデアを提供

ジェイク・ギレンホール主演、リチャード・ケリー監督の『ドニー・ダーコ』(2001)は、今でこそ2000年代を代表するカルト映画として知られるが、劇場公開そのものが危うい時期があった。その窮地で重要な役割を果たしたのが、『メメント』(2000)で頭角を現したばかりのクリストファー・ノーランと、妻でプロデューサーのエマ・トーマスだった。『ドニー・ダーコ』は2026年8月22日(土)・23日(日)の2日間限定で、ヒューマントラスト渋谷にて限定上映。
ケリー監督が2021年当時に米The Ringerで明かしていたところによれば、『ドニー・ダーコ』は2001年1月のサンダンス映画祭で上映されたものの、その後4〜5ヶ月にわたって配給先が決まらなかった。楽曲の使用料もまだ支払われておらず、音楽を差し替える可能性や、約30分のカットを求められる状況にも直面していたという。ケリーは当時を「本当に厳しい状況でした」と振り返っている。
そこで動いたのが、『メメント』の製作総指揮を務めたアーロン・ライダーだった。ライダーは『ドニー・ダーコ』をNewmarket Filmsの幹部クリス・ボールとウィル・タイラーに見せるための試写を設定し、そこにノーランとトーマスを招待。Newmarketは『メメント』を米国で配給して成功を収めており、ノーラン夫妻の評価には大きな説得力があった。
ケリーによれば、上映が終わって明かりがつくと、ノーランとトーマスはNewmarketの幹部たちの方を向いて合図を送ったという。
「2人は彼らの方を見て、うなずいたんです。“この映画を配給した方がいい”という感じでした。」
ケリーはさらに、「クリスがNewmarketに買わせてくれた」とまで表現している。2017年のDen of Geekのインタビューでも、当時の映画は「Starzで放送されるか、そのままホームビデオ行き」になりかけていたと説明。ノーランが試写で作品を絶賛すると「Newmarketの上層部は耳を傾けた」と振り返っており、配給獲得におけるノーランの影響力を繰り返し認めている。

しかも、ノーラン夫妻の関与は配給を後押ししただけではなかった。試写後には作品そのものについても助言を送り、劇中に登場する1988年10月の日付カードの下へ、括弧書きの情報を加えることを提案した。終末まで残された時間を追いながら進む『ドニー・ダーコ』にとって、観客が時間軸を把握しやすくする仕掛けのひとつである。ケリーによれば、これはノーランとトーマスのアイデアだったという。
もっとも、ノーランの一声だけですぐに劇場公開まで決まったわけではない。Newmarketが権利を取得した後も、同社にはホームビデオでの発売を優先する考えが残っていたという。そこで製作総指揮・出演のドリュー・バリモアも交渉に加わり、ライダーらとともに劇場公開を働きかけた。ケリーの証言を整理すれば、ノーラン夫妻がNewmarketによる作品の獲得を強力に後押しし、その後バリモアらが劇場公開の実現に力を尽くした、というのがより正確な経緯だ。
こうして『ドニー・ダーコ』は2001年10月26日に米国公開されたが、タイミングはあまりにも厳しかった。9月11日の米同時多発テロから約6週間後であり、物語は飛行機のエンジンが住宅に落下するところから始まる。当時用意されていた予告編にもエンジン落下の映像が含まれており、劇場公開では興行的に苦戦した。ケリーは2016年の英Guardianでも、「9.11後のハロウィン週末に公開され、100万ドルにも届かなかった」と当時を振り返っている。
しかし、その後はホームビデオと口コミによって若い観客へ浸透し、評価を拡大。皮肉にも、かつて「そのままホームビデオ行き」になりかけた作品は、劇場公開を経たのちにホームビデオを通じてカルト映画として第二の人生を歩むことになった。ノーラン自身も『メメント』で「売りにくい」と見なされた映画をNewmarketとともに成功へ導いた直後だっただけに、『ドニー・ダーコ』の可能性を見抜いたのは象徴的なエピソードでもある。

米公開から25周年を迎える『ドニー・ダーコ』は、2026年8月22日(土)・23日(日)の2日間、ヒューマントラストシネマ渋谷にてREVIVAL by THE RIVER第2弾として限定再上映。
▼ 『ドニー・ダーコ』の記事
Source:The Ringer, Den of Geek, The Guardian



























